しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第七回)「人と人が場や空気を共にしながら過ごす「保育園」という共同体の中で、私たちは」
保育者の育成について話す機会があった、のだけれど、あんまりうまく話せなかったし、今となると何を話をしたのかちょっと忘れている。「育成」、つまり「育つ」ということについての話で、私は今、「育つ」ということに関して濃度が高い場にいることは確か。子どもも育つ、保育者も育つ、親も育つ。めえちゃん(羊です)も育つし、とんこ(豚です)も、それはもう大きく育った。私のエプロンのポッケに入れていたくらいのサイズだったのに。同時に我が家の子どもも15歳になって、ひびき山(園庭にある築山)の緑もこんもりした。来年しぜんの国保育園smallvillageは10周年を迎える。
先日一時保育に来ているお母さんと話をした。4人のお子さんがいて一番年上のお姉ちゃんと、そのひとつ年下のお姉ちゃんは、私が子育てひろばを担当していた時に一緒に過ごしたご家庭だ。
「園長先生になって、なかなか会えなくなってしまって。お元気ですか?」と声をかけてくれた。「元気です、そんな忙しいわけじゃないんだけどな〜」と言いつつ、その優しい声に心地よさを感じる。ふとした瞬間に立ち上がる甘い気持ち。保育者が育つ過程において、子どもとの日々はもちろん、保護者との関係性というのはとても大きいなと思う。すっかり私も包み込まれるような気持ちになって、そのお母さんと話す。「子どもたちの成長を一緒に見ることができて本当にうれしいです」と伝えると「私もうれしいです」と穏やかに帰られていった。
以前、しぜんの国の保育者の島田さんとこんな話をしたことがある。彼女は1年目の時に担任発表の朝、親御さんが「担任は新任じゃないといいな」と話しているのを背中で聞いたそう。その年の新任は、島田さんともう一人の保育者だったので「あ、私のことかもしれない」と思いつつ、「確かに新任って不安だろうな、いつか必ず信頼される保育者になろう」と心の中で誓ったと話してくれたことがあった。私も園長を引き継ぐ予定の年だったので、そんな島田さんの気持ちにグッと引き寄せられて「私も信頼される園長になろう」と、あの緑のカーペットが敷いてある廊下で小さく誓ったのだった。
人と人が場や空気を共にしながら過ごす「保育園」という共同体の中で、私たちは、どうしたって影響を受けながら暮らすことになる。時に場の濃度が高くなって苦しい時もある。
でもそんな時、かりんの実がぽとりと落ちて、あおちゃんがいい匂いがするよと持ってきてくれたり、「焚き火におならをかけたらもっと燃えるかな〜」と焼き芋を食べながら、たかしくんが話しかけてきてくれたりする。「へへへ、やってみようかな」なんて一緒におどけてみる。りとくんと秋の空を眺めていたら、はっちゃんが「美和さんくつろいでるね〜」と声をかけてくれた。たくさんの人をあびながら、ここの場で育つ。ややこしいことも、おもしろいことも、ままならないことも含めて、わたしはこどもたちと保育者と一緒にここで育っていく。育てながら、育てられていく。
9月からキッチンスタッフの真由子さんのおすすめで、小さなジムに通い始めた。最初のトレーニングの日にトレーナーからこう言われたことを覚えている。
「これから、使っていない筋肉に出会いますよ。眠っている筋肉を起こして行きましょう。ほら、教室で寝ている学生っているじゃないですか。齋藤さんの筋肉の中にも眠っている子がまだいますよ。トレーニングしながら、『おーい』って起こしていきましょう」
まじまじと自分の腕をみてみる。タプタプの二の腕。私の中に起きていない身体があるのか。畑で0歳児のいっくんが転ばないように、しっかりと支えていた私の二の腕。初めてのさつまいも掘りで、彼がぎゅっと握ってくれていた感覚を思い出す。
心も身体もどっぷり使っていく「保育」という仕事の渦の中で、いまだに新鮮でいられることの喜び。これは、こどもと一緒にいるからこそ、そしてこどもと一緒にいることに喜びを感じる大人と一緒に保育しているからこそ生まれる感情なのだろう。日々の家事も、筋トレも、こどもと過ごす日々も、運営も会計も、夢も、全部絡み取りながら、まだまだ進んでいく。
ー このコラムは『しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記』の連載第7回です。
このコラムの連載
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第一回)「ゆらゆら期の私たち」
先日、エントランスで1歳児クラスのお父さんが「絶賛ゆらゆら期っす」と話してくれた。笑顔で話してくれているものの心配だろうな、とも思いを寄せる。子どもの心、保育の心、親心、私はその三つの心をいつも、自分の中で多面的に見つめないといけないと思う。
「自分たちはいい保育をしているんだ」と、独りよがりにならないように。
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第二回)「とるに足らないオシロイバナの種のような」
その中で「子どもとふざけるのが好き」という話をして(そんなこと実は初めて言った)、改めて帰りの電車の中で「ああちょっと本音だったな」と思い返していた。
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第三回)「コーヒーの甘い部分」
先日仕事終わりの月曜日、CONZENに寄った。
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第四回)「この気持ちどこかで知っている」
何となく家族で毎年恒例だったものが、子どもの成長と共に薄れていく。そして気がついたら「あれが最後だったね」となる感じが、なんだかしっくり来る。さみしい感じではなく、その時の流れが誠実で、あいまいでとてもいい夏の話だなと思う。
話は変わって、先日の土曜日の話。…
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第五回)「ポットの音 そのまま大切にしたい」
9月。夏を越えて、秋に向かう季節。今年の夏は暑くて、園は熱中症対策をしながらの保育に右往左往していた。いつもは園庭、室内、好きなところでのびのび遊び、まち歩きや散歩に出かけているが、この夏は「今日は難しいね」「出れても30分」などの会話が事務所内を行き交う。秋になり気候も落ち着くと信じて季節に身を委ねたい。法人内では意向調査があり、自らの進退について考える時期になる。
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第六回)「バッタのお腹」
園庭にいると、なんだかうれしそうにりっちゃんが声をかけてくれた。私もそのタマラナイ部分が知りたくて、横並びに座ってカップに入ったバッタのお腹を見せてもらう。初めて見たバッタのお腹はなんだか白っぽくて、きらきらしている。確かに光っている。やわらかそうで、きれい。子どもの頃に見たことがあるような、初めて見るような。子どもと一緒にいると、自分には思いもよらない世界にグッと引っ張ってもらえることがたくさんある。