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しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第一回)「ゆらゆら期の私たち」

齋藤美和(さいとうみわ)
掲載日:2023/05/15
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第一回)「ゆらゆら期の私たち」

年度末を迎え、折り重なるように新年度に向かう4月。私たちはこの時期を「ゆらゆら期」と捉え子どもたちとの時を積み重ねる。子どもたち一人ひとりの想いや表現を慎重に捉えながら、しぜんの国保育園の暮らしが子どもたちの身体に馴染むように意識をする。この意識はそれぞれのご家族とも分かち合い、この時期を過ごす。

先日、エントランスで1歳児クラスのお父さんが「絶賛ゆらゆら期っす」と話してくれた。笑顔で話してくれているものの心配だろうな、とも思いを寄せる。子どもの心、保育の心、親心、私はその三つの心をいつも、自分の中で多面的に見つめないといけないと思う。

「自分たちはいい保育をしているんだ」と、独りよがりにならないように。


誕生会の在り方に迷って

園長の仕事として、年度末に、年度末の事業報告と共に、新年度の運営方針、事業計画、予算を立てる。年間予定も立てていく。その中で、少し迷ったのが「誕生会」の在り方だった。

しぜんの国は現在、渋谷、世田谷、町田に3園ある。「誕生会」を行なっているのは町田だけだ。通年、保護者に来園してもらい幼児グループを中心にホールに集い、誕生会を行う。その会の後には、親御さんも一緒に過ごす。晴れの日は思い切り園庭で、雨の日はしっとり室内で。その後子どもたちとお誕生日の特別ランチやケーキを食べる。

5、6年前だっただろうか。一人の保育者から「一堂に会して集まる意味はあるのか」「好きな遊びをしている中、子どもを誕生会のために集らせるのはかわいそう」という声が届いた。ご家庭からも「平日にそのために休みを取らなきゃいけない」という話も出て、ネガティブな意見に当たり前に思っていた「誕生会は楽しいもの」というイメージに影が差した。

ネガティブな意見とポジティブな意見。
その都度、そうなのかな、そうかもな、本当にそうなのかな?という気持ちに揺れる。園長は「判断」「決断」がつきものだ。いつも揺れ、悩み、葛藤する。どんな答えに導かれたとしても、悩むというプロセスは私の日々から離れることはない。気持ちが迷子になるのは行きたい道があるから。時間の許す限り「悩む自分」も許してあげたいといつも思う。

誕生会の持ち方については保護者ともオンラインで話をしたり、保育者とも会議の議題にあげた。内容は更新しつつ「一人ひとりが生まれた日を村中で祝福する日があってもいいかな」とも思い始めた。そう、町田のしぜんの国は子どもも大人も心地よい村を作るというコンセプト「smallvillage」という副題がついているのだ。うん、村で祝福する日があってもいいように思えてきた。ただ、大人数が集まった時に出る「音」や「迫力」が辛くなってしまう子もいるから、その時は一人ひとりの気持ちや状況に応じて話をしながら進んで行こうとも決めた。そんな気持ちで、コロナの感染状況を含め、保護者の参加の有無も検討しながら、形態を変えつつ誕生会を続けた。

さて、そんな中での2023年度の誕生会はコロナの対策にも変化があったため「保護者も一緒にお食事をするかどうか」がキーとなった。すると給食の食数も変わる、その体制を知らない保育者もいる。できるかな?一瞬、食事はそのまま無しにしようかとも思った。正直、「やりたいな」と思う自分と「やったらキッチンも保育者も『大変』になるかな」という気持ちでまた揺れた。


「『大変さ』は、みんなでなんとかできると思う」

そんな話を周りのメンバーにした。絵美さんは「食事ももちろんなんですけど、食事を準備している間に保護者の方が園で子どもたちと一緒に遊ぶ風景が私はとても好きでした」やなぎは「『大変』というのが、食事をしない理由なのだとしたら、その『大変さ』は、みんなでなんとかできると思う」キッチンの三木さんは「なんでも言ってください。子どもたちの誕生日と共に、頭の片隅にちょっぴり残るような献立を作れたらなと思います」とそれぞれの心持ちを聞かせてくれた。

園運営の中での「大変」という状況をどう咀嚼し、その場にどう作用していくか。信頼できる人がそばにいることで勇気が湧く。それは私だけじゃなく、子どもたちも同じだろう。


今年1年間、しぜんの国保育園の暮らしを園長という視点から描いていきます。タイトルの「わっしょい」はさまざまあるようですが、語源である「和を背負う」という意味と、なんだか口に出すとうれしい気持ちになるところから名付けました。悩み揺れながら感じる日々の小さなあれこれを綴っていきたいです。