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だいじなことは、子どもたちが気づかせてくれる。

水岡香
掲載日:2025/04/18
だいじなことは、子どもたちが気づかせてくれる。

子どもが夢中になっていることって、大人が見過ごしてしまっているようなことだったり…。 素直で無理のない言葉や行動で、私たちをハッとさせてくれることがあったり…。  保育の中で、子どもたちのちょっとした行動や言葉から、教わることがいろいろとあります。 皆さんも、そんな瞬間に出会ったことはありませんか?

4月19日の保育の日に寄せて、保育って…。子どもたちとの暮らしって…。と少し立ち止まって考えられるきっかけになればと思い、これまでHoiClueで取材をした方や園の記事を通じて見つけたいろいろな“子どもたちが気づかせてくれたこと”をご紹介します。

“そしてそれに気づくためには、やっぱり一緒にやってみること。”

“たとえば、小さなミニカーをずっと走らせている子がいます。何が面白くてずっとやっているんだろうと思ったりすることもあるかもしれないけれど、あれは絨毯が敷いてある部分と何も敷いてない床材の部分との音の違いや走らせる時の心地よさの違いを感じていたりするのよね。こうやって走らせながら、ガガガガガシューって。だから、ただ、「この子は車が好きなんだ」だけではないの。それは、外側から見ている理解だと思うんです。

そしてそれに気づくためには、やっぱり一緒にやってみること。なんであそこでガタガタさせるのかなと思ったら、自分も同じようにガタガタさせてみる。そうすると、ガガガガとシューの違いに気づいて、「あ、この感じが面白いのかもしれない」とわかってくる。子どもがしていることを一旦やるっていうことが、すごく大事な子どものわかり方かなと思います。”

記事『お茶の水こども園・宮里暁美さんと考える、0歳児保育と子どもとの関係性。』

“本当はどこでも遊べるんですよね。”

“この間、2歳児さんと山に行ったときも、のんびり子どもたちのペースで歩いていって、途中でエンストを起こしてしまった子がいたんです。それで何度かやりとりをして、でもエンジンがかからなかったから、「もう千穂ちゃんいくねー」と先に歩き出したのだけど、本人は全く意に介さずで(笑)。なんならその場で遊びはじめて、遊ぶんかいと思ったけれど、子どもはどこでもしゃがんだところが遊び場になるんだと、改めて気付かされた出来事がありました。大人は遊ぶ場所とそうじゃない場所をわけたり、保育計画も立てて目的地を持って散歩にでているけれど、本当はどこでも遊べるんですよね。”

記事『おひさま保育室の暮らしと遊びから見えてきた、子ども時代に大切にしたいこと。」』より

“あっ、しまった。私ってば、・・・恥ずかしい”

“かこちゃんが私の目の前にピカピカの靴を持ってきてくれた日のこと。
「みて!靴!!」きれいな靴に思わず「わあ、新しいの買ったの?」と聞くと「違うよ、きれいに洗ったの!」

あっ、しまった。私ってば、きれいな靴=新しく買った靴と安易に思ってしまった。恥ずかしい。本当に恥ずかしい。

その前にも園行事にご家庭の旅行で来ることができなかった子に「いいな〜お祭りに行きたかったな〜」と言われて、思わず「でも、旅行も楽しかったでしょ?」と言ったら「どうしてわかったくれないの!!」と怒った顔で言われたばっかりだったのに。”

記事『しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記II (第十二回)「ちゃんとしたいと思っている」 齋藤美和』より

“そんなこと誰も考えなかった。気づかなかった。”

“「あのさ、よしこせんせい、ぼくだってたまにはひとりでいたいときがあるんだよ」って。

よしこせんせいもこの一言には参ってしまいました。まさに、監視されているなって感じているまあちゃんの気持ちが表れたことばですよね。

3週間位経ち、女の子の傷も癒えた頃、その女の子がお母さんにこんな話をしたんだそうです。「あのね、まあちゃんにたたかれてけがしたでしょ。でも、あれ、わざとじゃなかったんだよ。あのとき、わたしのまわりにハチがとんでたから、まあちゃんはそのハチをおいはらおうとしてたの。それがあたったの。だからわざとじゃないんだよ」って。

そんなこと誰も考えなかった。気づかなかった。わざとじゃない、たまたま起きた事故だったということなんです。まあちゃんのそばにいたこの女の子が1番よくわかっていたんですよね。”

記事『「よしこせんせいって、まあちゃんのせんせいなんでしょ?」臨床保育の専門家・野本先生番外編」』より

“どんな時に大人がいるの?と聞いたらさ・・・「困ってる時は必要な時があるよ」って。”

“武田さん
15年ぐらい前なんですけど、「遊ぶ時に大人はどのくらい必要ですか?」というアンケートを子ども向けにとったことがあるんです。
小さな子たち(幼児)は、大人に遊んでもらえたら嬉しい、小学1・2年生は、大人がいるといいという回答が多いんですけど、3・4年生くらいになると、「風船が木に引っかかった時」とか、「喉が乾いた時に大人がほしい」となっていって。

・・・
愛子さん
りんごの木も、ケンカした時にあいだに入ろうとすると、「ほっといてくれる」って言われたりするの。じゃあどんな時に大人がいるの?と聞いたらさ、さっきの風船じゃないけど、「困ってる時は必要な時があるよ」って。

武田さん
大人は遊んであげないといけない、何かしてあげないといけないと思っているかもしれないけれど、基本いらないんですよね。見ていて、なにかあった時にだけこうやって手をぱっと差し出すみたいな。それだけでいいのかもしれません。”

記事『「育とうとする力が子どもの中にはある。」ー柴田愛子さん×臨床心理士 武田信子さん〈後編〉』より

“いなくなってより、子どもたちの力を頼り助けられていることを痛感するんですよ。”

“和光では、4,5月をごたごた期と呼んでいて、今までとは少し違う環境や関係に、子どもも大人もごたごたするんです。でもそれは、当然のことだから、それを収めることを目標にするのではなく、ごたごたを十分に過ごそう!という目標のもとに過ごします。

その時期は、ある意味で、大人の出番がすごく増える時期でもあるんですけど、それは、年長さんがいなくなった(卒園した)ということが大きく関わっていることに、あるとき気付いたんです。つまり、3月までは年長さんを中心とする子どもの自治のお陰で収まっていた問題が、大人のところまで届いてくるから、忙しくてしょうがなくなるんです。逆に言うと、3月までは年長さんたちが問題を未然に防いでくれたり、和らげてくれたりしたんですよね。いなくなってより、子どもたちの力を頼り助けられていることを痛感するんですよ。

いなくなって分かると言えば、時々年長さんが出掛けてしまって、当番をやる人がいない日なんかがあって、そんな時は、年中さんや年少さんの気付いた子たちが、自然にその抜けた穴を埋めるかのように補ってくれている姿をよく見ます。「いつその仕事覚えたの?」なんてしらじらしく聞いてみると、「見てたから」って当然のように返事が返ってきます。”

記事『「僕たちは心地よい暮らしの塩梅をつくっていく仲間」和光保育園の考える、暮らし人としての関係性と営み。(中編)』より

保育者の仕事は、子どもの命を守り、ときに子どもと楽しんだり悲しんだり、気持ちを共にし、保護者にも気持ちを寄せる、心も体もたくさん使う忙しい、でもとても大切な仕事。

時折立ち止まって、子どもの声に耳を傾けたり、思い切って子どもに委ねてみると子どもたちが大人が忘れてしまった大事なことや、ステキでたのしい感覚に気づかせてくれるかも…。

みなさんはどんな場面で“こどもたちが気づかせてくれる”瞬間に出会っているでしょうか?

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