お茶の水こども園・宮里暁美さんと考える、0歳児保育と子どもとの関係性。〈前編〉
2023年夏に発刊された『今、この子は何を感じている?0歳児の育ちを支える視点』(ひかりのくに株式会社)。その中にこんな一節がありました。
“子どもたちと保育者がともに過ごしながら展開していく保育は輝きを放っています。一人ひとりに応じたプランのもと、応答的な関わりを重ねる中で日々紡ぎ出されていくもの、それが保育です。一日として同じ日はなく、一つとして同じ保育はない。「今、ここで生まれてくるもの」それが、保育なのです。”
この言葉を綴ったのは、編著者の宮里暁美さん。そんな言葉を保育者に贈ってくださる宮里先生に、ぜひ0歳児保育についてお話を伺いたいと思い、宮里先生が5年間園長を務められ、現在は運営アドバイザーとして園運営を支えられている、文京区立お茶の水女子大学こども園(以下、お茶大こども園)を見学させてもらったあと、インタビューをさせていただきました。
見学中に、綿の手仕事をはじめる宮里先生。そんな宮里先生のところには、なんとなく遊びが定まらない子、ちょっと先生の横でホッとしたいなという子が来ては満たされ、また遊びに誘われていく姿がありました。種を少し取って「もうつかれたー」と言う子に、「それくらいでいいのよ。それくらいがいいのよ」と掛けた言葉もとても印象的でした。
宮里暁美 さん
静岡県生まれ。国公立幼稚園教諭、お茶の水女子大学附属幼稚園副園長、文京区立お茶の水女子大学こども園園長、お茶の水女子大学人間発達教育科学研究所教授を経て、2021年4月よりお茶の水女子大学アカデミック・プロダクション寄付講座教授。併せて、文京区立お茶の水女子大学こども園運営アドバイザーとして、子どもたちのごくそばで過ごしながら、子どもたちの小さな動きに目をとめ、保育について思いをめぐらし、研究している。「子育て応援団」として、様々な場で子育てを応援するメッセージを発信している。
意思を持った一人ひとり、一家族一家族。
ー 0歳児の子どもたちの育ちや保育の特徴について教えてください。
つくづく「一人ひとり」だなと思います。そして、その一人ひとりは、 子どもの一人ひとりもあるけれども一家族一家族。だって、保育園に子どもだけが突然登場するのではなくて、絶対にそのご家族ぐるみでしょう。それぞれのご家庭で大事にされていることぐるみで、その子の扉が開いていくということは大事にしたいなと思います。
私自身、子どもを3人育ててきてはいるけれど、長年、幼稚園の教員をしてきたので、お茶大こども園ができた当初、「0歳児の保育ってどうすればいいんだろう」という気持ちの方が強かったんです。すごく丁寧にしなくてはいけないことや気を付けなきゃいけないことが多いというふうにも思い込んでいました。でも、日々子どもたちと過ごしていると、「0歳児もみんな意思を持った存在である」ということを強く感じるのよね。そのことを大事にする保育ってどうあったらいいのかなというのは、常に考えています。
ー 意志を持った存在としての子ども。そこを大事に思いながら保育をするとは具体的にどういうことなのでしょうか。
例えば、はじめましての4、5月頃、子どもの様子から「この子は午前中ぐずぐずすることが多い」と保育者が気づいて、午前にも一度寝るようなリズムにしてみようとすること。 「○ヶ月の子はこういう生活リズム」とか「園としてはこういう保育のプログラム(流れ)にしたい」ということから決めるのではなく、「この子は今、こういうふうにしたいのかも」と手探りの中でその子自身を感じながらやるということだと思います。
眠くなるとかお腹が空くということは、生理的な欲求ではあるんですけれど、その子が「とにかくそうしたいんだ」って、身体いっぱいで表現したり、泣いたり、ぐずってみたりして示すという点では、立派な意思だと思うんです。だからそれに向き合って、できるだけこうかな?ああかな?ってしたいですよね。
そういえば今日こんなことがありました。保育者を志す学生さんが見学に来てくれて、「子どもたちの意思を先生がよく受け止めているんだなと感じました」と言うので、「どういう場面でそう思われたんですか?」と聞いたの。そうしたら、0歳児の子どもたちが散歩から帰ってきて室内に入ったところで、一人の子がもう一度外に出たがる素ぶりをしたんですって。学生さんは、今帰ってきたところだから出ちゃダメだろうなと思ったら、保育者が「外にもう1回行きたいの?」と言って、ガラガラと扉を開けたんだそう。すごく嬉しそうにしてるその子の姿を見て、何をやりたがっているかをしっかり受け止められているんだなと感じた、と教えてくれました。 私はそれに対して、「それは多分、今だからかもしれないですね」と言ったんです。
ー 今だからかもしれない、ですか。
多分、4、5月頃だと子どももそういう意思は示さないし、示したとしてもこちら(保育者側)もオッケーはしていなかったんじゃないかなと思うんです。今は歩行も安定しているし、子ども自身も「ここから先には出たら危ないんだな」というような園の生活や環境のことをわかっている。そして、保育者もそんな子どもの今を理解しているから、ガラガラと扉を開けられるのよね。
だから、はじめから全部が自由だったわけではなくて、少しずつそういう範囲が広がっていく感じ。やっぱり人と人って関係性を築いていくもの。それは0歳でも何歳でも変わらないなと思います。
最近、1、2歳のクラスに入った時に思ったことがあってね、自分の意思をより一層強く出すようになった子どもたちは、牛乳を飲むということ一つ取っても「いらない」「のまない」「いや」の嵐なんです。時間にしてみれば20分とかそれくらいだったけれど、「牛乳はやだ」と言う子のそばにいて、「え、そうなんだ」と言いながら積み木で遊んだり、ぐだぐだしているそばにいて、そのあとの散歩も一緒に出かけたら、子どもがなんとなく私を一員として感じてくれている気がしました。
やっぱり、子どもにちゃんと受け入れてもらうというのが1番。大人たちが子どもを理解することの前に、子どもにとって違和感がない存在になること。子ども側が、この人を受け入れると思ってくれることから関係性ってはじまると思うんです。
解釈の前に一緒に味わう。一緒に驚く。
ー 子どもに受け入れてもらうためには、どんな在り方や子どもを見守る視点を持てるといいのでしょうか?
子どもがおもちゃを床に打ちつけるようにトントントンとしていると、「振って音を出したいのね」とか「面白いね」と解釈を言っちゃう人ってたまにいますよね。もちろんそれも間違いではないですけれど、私はそれはちょっとやりたくないなと思うんです。
トントンとしたら、その子と同じ動きをする。もしくは、オノマトペ的に「トントン」とその動きの音と似たことを言葉にしてみる。解釈や「この子〇〇やるようになったよね」という評価的なことではなくて、その子のリズムと合う動作や言葉でその場にいる。
たとえば、ただごろんと外を見ている子がいます。感じているものをまだ言葉にはしないけれど、その子の見ている向こうにキラキラしてるものがあったら「キラキラ」って。そうすると、その子が見ているものや感じているものを感じる入り口が開くような気がしませんか。
いかに大人的な理解の方へと子どもを持っていかないで、動きで応答したり、共鳴するか。それが小さな人の、特にまだ子ども自身があまり喋らない時期の子どものそばにいる時に大事なことかなと思っています。
お茶の水女子大学にある3園が合同で作った子育て応援ブック「のびのび子育て」。0、1歳児のページには、写真に被さるようにオノマトペが載せてある。
子どもたちをどういうふうに分かってあげたらいいのかわからないとか、どうやって理解したらいいんだろうというけれど、子どもがこの人は悪くない人だって思うための行為を、まずはしたらどうだろうと思うんです。子どもに理解してもらう在り方でいることが大切で、子どもが何かしたらニコニコしたり、その子がポンポンってやった時に同じようにポンポンとやる。そうすると、すごくうるさくしたらNOかもしれないんだけど、何もしないより絶対にNOではないし、自分のしていることと繋がった感じを子どもは受けるような気がします。
だから、子どもを理解しようと思うより子どもに理解されようと思う努力をしたいですよね。そして、大丈夫な時間が増えてきたなと思った時に、「あ、この子って、こんなふうなことが好きなんだね」とか、「こんなふうにやるよね」という理解ができていく。そんな気がするんです。
見守る視点という話でいうと、取材に来てくださるきっかけになった本のタイトルも「今、この子は何を感じている?」にしたんですけれど、外側から見ているだけではその子のことはわからないと思ったからなんです。
たとえば、小さなミニカーをずっと走らせている子がいます。何が面白くてずっとやっているんだろうと思ったりすることもあるかもしれないけれど、あれは絨毯が敷いてある部分と何も敷いてない床材の部分との音の違いや走らせる時の心地よさの違いを感じていたりするのよね。こうやって走らせながら、ガガガガガシューって。だから、ただ、「この子は車が好きなんだ」だけではないの。それは、外側から見ている理解だと思うんです。
そしてそれに気づくためには、やっぱり一緒にやってみること。なんであそこでガタガタさせるのかなと思ったら、自分も同じようにガタガタさせてみる。そうすると、ガガガガとシューの違いに気づいて、「あ、この感じが面白いのかもしれない」とわかってくる。子どもがしていることを一旦やるっていうことが、すごく大事な子どものわかり方かなと思います。
ー 私、今1歳9ヶ月の娘がいるんですけど、娘が児童館で初めて自動で動く電車を手に取った時に、電車を裏返しにして動いているタイヤを指でずーっと触っていたことがあったんです。なんでかなと思って同じようにやってみたら、その感覚がすごく気持ちよかったということがありました。
そうそう、大人も一緒に確かめる。大人はすでに先を生きているので、どれもこれもかつて経験しているけれど、今となっては電車を裏返して確かめようとはなかなかしないじゃないですか。でも、子どもがやったのを見て、「あ、自分も小さい頃にやったな」と思い出したりしながらやってみるといいですよね。大人がいかに言葉を後回しにするかが重要で、大人が先に言葉にしてしまうと、すごく大事なものが消えちゃう気がします。
もちろん、1番最後の方に「後ろ側、面白いね」とか「ぐるぐる回ってるんだね」と言ってもいいけれど、まずはそれを一緒に味わう。一緒に驚く。そういう大人で在りたいなと思うんです。
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撮影:雨宮 みなみ
この記事の連載
「やっぱり子どもは一人ひとりだし、その一人ひとりはかけがえのない存在。」宮里暁美さんの子どもへの眼差し。〈後編〉
前編では、0歳児の子どもたちの育ちや、その育ちを見守る保育者の在り方についてたっぷりとお話をお伺いしました。
後編では、お茶大こども園の0歳児クラスのことや宮里先生の編著書『今、この子は何を感じている?0歳児の育ちを支える視点』(ひかりのくに株式会社)の内容にも触れながら、更に「子どもと保育」について話が深まっていきます。
子どもの“やりたくない”を「本人がそれが“いい”と言っている」と大人が思えたら、全然ストレスはないんです。〈番外編〉
最後に番外編として、インタビューに同席してくださっていたお茶大こども園の保育士・伊藤幸子さんの「年長になってもよく嫌だと泣いていたAくんに卒園した後に、“お茶の水こども園での一番の思い出は?”と聞いたら、『散歩に行きたくない、嫌だって言って、後から宮里先生と色々なお話をしながらキャンパスを歩いたこと」って言っていたんです。』という一言から垣間見えた、宮里先生の子どもへの関わり方と眼差しについてお届けします。