「やっぱり子どもは一人ひとりだし、その一人ひとりはかけがえのない存在。」宮里暁美さんの子どもへの眼差し。〈後編〉
文京区立お茶の水女子大学こども園元園長で、お茶の水女子大学アカデミック・プロダクション寄附講座教授も務める、宮里暁美先生。
前編では、0歳児の子どもたちの育ちや、その育ちを見守る保育者の在り方についてたっぷりとお話をお伺いしました。
後編では、お茶大こども園の0歳児クラスのことや宮里先生の編著書『今、この子は何を感じている?0歳児の育ちを支える視点』(ひかりのくに株式会社)の内容にも触れながら、更に「子どもと保育」について話が深まっていきます。
宮里暁美 さん
静岡県生まれ。国公立幼稚園教諭、お茶の水女子大学附属幼稚園副園長、文京区立お茶の水女子大学こども園園長、お茶の水女子大学人間発達教育科学研究所教授を経て、2021年4月よりお茶の水女子大学アカデミック・プロダクション寄付講座教授。併せて、文京区立お茶の水女子大学こども園運営アドバイザーとして、子どもたちのごくそばで過ごしながら、子どもたちの小さな動きに目をとめ、保育について思いをめぐらし、研究している。「子育て応援団」として、様々な場で子育てを応援するメッセージを発信している。
0歳児保育の個と集団をどう考える?
ー 0歳児は、月齢によって成長段階が特に大きく異なると思うのですが、保育の中での「個と集団」をどのように考えるといいのでしょうか?
園によっては、1歳の誕生日を迎えると1歳児クラスに移行するというような園もありますよね。お茶の水こども園の場合は、0歳児の子どもの人数が6名と少ないこともあって、今のところは1年間は0歳児クラスで過ごし、4月にみんな揃って1歳児クラスへ移行していくような形をとっています。
そうすると、たしかにクラスの中に大きな人と小さな人がいることになります。でも私は、立っている子の横にまだハイハイしている子がいるみたいな、混在している状態がいいなと感じたりします。そして、その時にどちらかをどちらかに合わせるというよりは、そうなんだよねと、その差を、それぞれを、そのまま受け止めるような環境にしておくことが大切なのかなと思っています。
お茶の水子ども園0歳児クラス。ごろんと寝転がる子も立つ子も楽しめるよう、高さの違う鏡が壁につけられている。
ー それぞれをそのまま受け止めるような環境。
特に違いがすごくはっきりしているのは、ごろんとしている頃からつかまり立ちをする頃までの時期ですよね。生活や遊びの違いがはっきり見えるその時期を持ちこたえられるような、どの子にとっても安心ができ、かつ五感を刺激されるような環境にしておけるといいなと思います。
例えば、ごろんごろんしてる人のそばでは、歩き回れる子もちょっとゴロゴロしたくなるような仕掛けをつくってみたり。立てない子を立たせようとはしないし、立てる子を無理やり座らせようとはしない。そんな工夫ができるといいですよね。
先ほど園を見学してもらう中で、0歳児クラスの先生が見せてくれたノートもすごくいいなと思います。子どもを理解しようとすると見えないものの話になるけれど、環境(場)の話は見えるものなので、先生同士でも考え合いやすいですよね。幸せなことに少し環境を変えてみると子どもたちは何かしらの反応をくれるので記録がとれる。
そうこうしているうちに、子どもも育っていくじゃないですか。その様子にまた先生たちが気づくとしたら、場や物のことを考えていながら子ども理解が進み、結果、個を大切にした集団でいられるということにも繋がるのかなと思います。
0歳児クラスで見せていただいた、環境ノート。環境を変える度に写真と文章でその時の子どもたちの反応や遊び方を記録して残している。
あと、集団を考える時に「友だち」という言葉の扱いには気をつけたいなと思ったりします。保育者って、「友だち」とか「人との関わり」という言葉を好んで使うことが多いように思うんだけれど、0歳児の場合、それは本当に瞬間の中にあるものだと思うんです。
まだ座っている子の頭の上に何かを乗せてみたりするような姿も、「この空間の中にいるな」ぐらいな感じで出会っているのであって、「友だちだから関わりたい」という気持ちから生まれた行動ではないと思うのよね。
だから、少なくとも、0歳児のポートフォリオやドキュメンテーションには「友だち」という言葉は使わない方がいいんじゃないかな。友だちと思っているわけではなくて、同じ空間にいる別の子みたいな感覚だと思うんです。もちろん、ふと手を伸ばすと繋がったみたいなことは嬉しいことなんだけど、基本はやっぱり一人ひとり。そのことを大人はいつも忘れずにいたいと思うんです。
その子の「はじまり」に立ち会えるということ。
この本(『今、この子は何を感じている?0歳児の育ちを支える視点』)で取り上げさせてもらった子どもたちが、今5歳児になったのだけれど、子どもの育ちって本当にそれぞれだし、本当に面白いなと改めて感じています。
3人の子どもの4年間のポートフォリオがたっぷりと掲載されている。
例えば、このAちゃんという子は、安心できる居場所があることが0歳の時から大事だったんです。いつもどっしりと、どこか一つのところにいるような子だった。1歳児クラスに進級した時も「Aちゃんのじゅうたん」というのがあって、3歳になった時も、Aちゃんには場所がある方がいいよねと保育者で話をして、やっぱり「Aちゃんのじゅうたん」という場所を作ったんです。そしてそれを周りの子も認めていて、誰かがそこへ行くと「そこはAちゃんのじゅうたんだけど」という子もいたりして。
Bちゃんは、じっくり派でまなざしの子なんですよ。いいことを見つけた時の目の集中する感じとか、砂を袋いっぱいに入れる感じがすごいでしょう。
『今、この子は何を感じている?0歳児の育ちを支える視点』 P94より
この砂集めの時、私もたまたまそばにいたんですけど、袋いっぱいに集めた砂が半分くらいこぼれちゃったんです。どうするのかなと思ったら、彼女は袋に残っていた砂も全部1回出したんです。私だったらその上にまた追加すると思うのに。
ー へぇー面白い!
面白いわよね。つまり、効率よく短時間で砂を入れるという仕事をしているわけではなくて、いっぱい入れるということを満足するまでやりたかった。だから、半分こぼれちゃった段階でダメなんでしょうね。最初からやりなおし。その時、そばにいた担任の先生が、「そうよね、Bちゃんはそうするよね」と言ったんです。その一言もすごいよね、ゾクゾクしました。そして、Bちゃんは5歳になった今でもやっぱり探究派っていうか、まなざしのBちゃんなんです。
そう考えると、これは私たちがその子に惚れ込んだものを繋いでいくから結果そうなった、とも言えるんだけれども、その子の“はじまり”に立ち会っていたんだということで。はじまりの時を私たちに委ねてくれたなんてものすごい幸運というか、だからこそ、「立派に成長させなくちゃ」という視点で子どもを見るのではなく、「この子はどんな子かな」「この子はこんな時どうするのかな」ってそんな眼差しでありたいなと思いますよね。
繰り返しになりますけど、やっぱり一人ひとりだし、その一人ひとりはかけがえのない一人ひとりで。発達という意味からも一定理解はできるかもしれないけれど、それでは収まらないぐらい、この子にはこの子の感じ方や在り方があるんです。
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撮影:雨宮 みなみ
この記事の連載
お茶の水こども園・宮里暁美さんと考える、0歳児保育と子どもとの関係性。〈前編〉
“子どもたちと保育者がともに過ごしながら展開していく保育は輝きを放っています。一人ひとりに応じたプランのもと、応答的な関わりを重ねる中で日々紡ぎ出されていくもの、それが保育です。一日として同じ日はなく、一つとして同じ保育はない。「今、ここで生まれてくるもの」それが、保育なのです。”
この言葉を綴ったのは、編著者の宮里暁美さん。そんな言葉を保育者に贈ってくださる宮里先生に、ぜひ0歳児保育についてお話を伺いたいと思い、宮里先生が5年間園長を務められ、現在は運営アドバイザーとして園運営を支えられている、文京区立お茶の水女子大学こども園(以下、お茶大こども園)を見学させてもらったあと、インタビューをさせてもらいました。
子どもの“やりたくない”を「本人がそれが“いい”と言っている」と大人が思えたら、全然ストレスはないんです。〈番外編〉
最後に番外編として、インタビューに同席してくださっていたお茶大こども園の保育士・伊藤幸子さんの「年長になってもよく嫌だと泣いていたAくんに卒園した後に、“お茶の水こども園での一番の思い出は?”と聞いたら、『散歩に行きたくない、嫌だって言って、後から宮里先生と色々なお話をしながらキャンパスを歩いたこと」って言っていたんです。』という一言から垣間見えた、宮里先生の子どもへの関わり方と眼差しについてお届けします。