しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記II (第七回)「私もマサコちゃんも」

あ、カマキリ。里山を通って園に向かう道すがら、木の上からカマキリがポトっと落ちてきた。つい「おはよう」と声をかける。そのまま山道を歩いていると、カサカサっと音がした。4㎝くらいのサワガニだった。また「おはよう」と声をかける。
このところ、気温の変化のせいか体調不良の子が多い。熱や嘔吐、その他の体調不良などで保育者が電話をしたり、折り返しの電話を私もとったり。おそらく、ご家庭のみなさんも保育園から連絡が入るとドキッとすると思う。園の保育者も「●●さんお仕事始めたばっかりなのに・・・」「ああ、先週もお休みだったのに」などと言いながら電話をしている。
子どもたちは体調が悪くても、自分で帰ることはできないし、私たちが連絡するしかない。たくさんの子どもたちが過ごす場所。どうか通院をして体調が良くなっていくこと、ご家族も看病疲れが出ないことを願う。そしてお仕事の調整も・・・。
基本的にお昼ごはんは幼児グループの子どもたちとランチルームでお話ししながら食べる。
「まあくんはねえ、お熱でおやすみしたときねえ、寝て、おやつ食べて、また寝てたよ」「みなみはねえ、お熱の時アイス食べた」
私も自分が子どもの頃体調不良でお休みした時のことを思い出す。
ひんやりした桃の缶詰、冷たくて甘いバニラのアイスクリーム。プラスチックの容器に入ったオレンジ色のシロップ。地元大田区にあった「小林内科クリニック」のおひげの先生。
ある日、体調不良でクリニックに吸引に行くと、1つ年上のマサコちゃんが待合室にいた。私の幼稚園も縦割りクラスの園だったので、同じクラスのちょっとエバりんぼうのお姉さんだったマサコちゃん。
いつもは「お姉さん」という雰囲気で近寄りがたい感じもあったマサコちゃんが病院で会うと、なんだか小さく見える。
足をブラブラさせて、心もとない雰囲気を出していた。自分も子どもだったけれど「あ、マサコちゃんも子どもなんだ」と思った記憶がある。
ちらっと目があった気もしたけど話しかけなかった。
病院帰りの自転車。後ろの座席で母の背中に頰をつけながら「マサコちゃんがいた」というと母が「あら、マサコちゃんも風邪かな。マサコちゃんも美和ちゃんもよくなるといいね」と言った。
ー このコラムは『しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記II』の連載第七回です。
このコラムの連載
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記Ⅱ(第一回)「わわわっと2024年がスタート」
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記II (第二回)「葉っぱを裂く」
「ねえ、メイちゃん、なんでこの葉っぱから糸が出るってわかったの?」そうたずねると、「めったんに教えてもらったの」と小さい声で答えた。
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 II(第三回)「今日も子どもの傍に」
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 II(第四回)「一緒に迎える、越えていく、渡る」
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記II (第五回)「遠く離れて」
モンテネグロからボスニアに渡るバスの中で母から教えられたことを思い出した。この夏、バックパックを背負って、トルコ、モンテネグロ、ボスニアヘルツェコビナ、クロアチアの4カ国を渡る旅をした。飛行機、長距離バス、夫が運転するレンタカーで移動した旅。毎日足の裏がジンジンするまでとにかく歩いた。トルコではピーマンに米と玉ねぎ、そして牛ひき肉を入れたドルマ、クロアチアのザグレブではハムとチーズが何層にもなったカツレツ、その土地の食事をすることもあれば、現地のスーパーで買い物をし簡単な料理をすることもあった。その土地に流れる風を感じ、人と人の間にある表情を感じる。同じ地域に連泊したのは一度だけ。今まででいちばん一度の旅行の中で国境を越えた。
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記II (第六回)「平気な顔してサンドイッチ」
そんな風な会話をご近所さんや、保育者と話しながら9月が始まった。
以前、保育者を経て行政の仕事をされている方とお話しているときに「最近では、節分などの季節の行事をコンビニで感じることが多くて・・・。子どもたちと一緒にいた時には、暮らしの中で感じていたんですけどね」という言葉を聞いた。