しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記Ⅲ (第九回)「よく生きる」
園の3大祭典である「こども美術館」を無事終えた先週末。心にまだ余韻を残しつつ、子どもとの日常が続いている。今日のお昼は、ランチルームで子どもたちと一緒に「沖縄風豚バラ麺」と「小松菜サラダ」を食べた。ゆうちゃんが、テーブルに少しだけ溢れてしまった麦茶で絵を描いていた。普段だったら見逃してしまいそうな風景も、美術館を経たことで、少し視点の解像度が変わった。じっくり眺める。すると、ゆうちゃんは、溢れた水が一本の線になっていたところから、指先を使って、枝葉のように「何か」を描いていった。目が合うと笑って「絵を描いたよ」と教えてくれた。
こども美術館は、作品展ではなくて、美術館。子ども一人ひとりの表現を大切に掬い、保育者がその様をスケッチしたものを展示する。一人ひとりを大切にするとともに、全体のキュレーションも意識する。私が私たちになって、段々と「私」も薄くなっていく。子どもたちは、自分の作品と共に、周りの友人の作品も家族に紹介している様子があちらこちらに見られる。
ご家族の皆さんも、自分の子どもの作品だけではなく、美術館全体をじっくり楽しんでくれている雰囲気に包まれる。日々、子どもが暮らす場が「美術館」になり、子どもたちの表現に触れ、その場にいた人の心が開き、人と人が、この風景に溶けていくさまを近くから、そして遠くから眺め、今ここにいる人たちの幸せを心から思わず願ってしまう。
入り口であり、出口でもある、この美術館のエントランスは保育者が子どもたちの創造性で感化された設えをほどこす。園全体の様子を私が言葉で書かせてもらい、飾る。いつもこの言葉が完成するのが、ギリギリになってしまうが、子どもたちの表現、保育者のクリエイティビティや、愛が大きく膨らんだ瞬間に、私も「書きたい!」という気持ちになってくる。エントランスに飾った言葉を12月の「わっしょい日記」に残しておきたい。
よく生きる
Live a life that honors life itself.
もしかしたら大人の知識に当てはめることではないのかもしれない、あてはめてしまったらひろくんの世界観とは離れていってしまうのかも、と思いました。
(保育者のスケッチより)
ようこそ、しぜんの国保育園のこども美術館へ。
この美術館は、たった1日だけの会期です。
けれども、この日の前から、そしてこの日の後も続く、続いていく、美しい時をスケッチした、人生の美術館です。
私たち保育者は、いつも子どもの傍らで、呼吸をして、ごはんを食べ、共に笑い、時に苦悩し、彼ら、彼女たちの世界への触れ方、掴み方、支え方、さまざまなグラデーションを持って身体を通して、共に生きています。
本年度の園のテーマは「よく生きる」。
4月、以下のステートメントを掲げました。
今、そこ此処にある「この命」がいきいきしいものであること、それをそっと願いながら、生きていくこと。私の命もあなたの命も祝福できるよう関係性を手入れし続ける場を目指します。しぜんの国では、子どもも大人も
「『生きているを創っている』を経験する」ことを大切にします。
よく生きるの「よく」ってなんだろう?手のひらの問いを大切に考えながら今年度も歩いていきます。
近づいては離れて、掴んだと思ったら、また手放して。
人との関係性は常に揺れ動きます。
蝋燭の火のように、
たゆたう糸のように、
ゆらゆらと揺れる、今、この時。
エントランスは、そんな関係性の網目、繭の中で蝶へと変化するような儚くも豊かな瞬間をイメージして保育者がしつらえました。
ー このコラムは『しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記Ⅲ』の連載第九回です。
園長美和さんのわっしょい日記
しぜんの国保育園の暮らしについて、園長という視点から綴られているコラム連載。“タイトルの「わっしょい」はさまざまあるようですが、語源である「和を背負う」という意味と、なんだか口に出すとうれしい気持ちになるところから名付けました。悩み揺れながら感じる日々の小さなあれこれを綴っていきたいです。”(園長美和さんより)
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