保育と遊びのプラットフォーム[ほいくる]

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第八回)「かわいい、私の、私たちの縁」

齋藤美和(さいとうみわ)
掲載日:2023/12/12
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第八回)「かわいい、私の、私たちの縁」

年小クラスのみーちゃんがごはんのあと、窓の外を眺めていた。何をみているのかな、と思いつつ遠くから眺める。ここに言葉はいらない気もしたけれど、みーちゃんが何をみているのか、感じているのか知りたくなってしまう。虫がいるのか、花が咲いているのか、なんだろう。

随分と長い間、眺めているものだから、どうしても気になってしまう。

保育園での暮らしの中で、こうしてぼんやりと眺める時間があるといいなあと思ってきた。

この園舎には、廊下があったり、たくさんの窓があったり、そんな保育や暮らしが育まれる工夫が随所にある。だけど、環境があるだけではなく、それを感じられる「私」でないと、そんな保育はできない。

眺める 感じる 余白 

みーちゃんのみている世界が知りたくて、とうとう声をかけてしまった。「みーちゃん、何をみてるの?」すると、ニコッと微笑む。何も話さない。言ってしまってから、自分の声だけが輪郭を持って、その場に残ってしまったような気もしている。

その後、年長のいっちゃんがやってきて「お〜」と挨拶をした。今、しぜんの国は「こども坐禅週間」で、ブッダが悟りを開いた成道会の日まで、朝坐禅を組んでいる。私はいっちゃんと坐禅を組む時間がとても好きだ。静かで、空気がしっとりとする。今日は、なんとなくひらめいて、いっちゃんとみーちゃん二人を坐禅に誘ってみた。

いっちゃんは「やる」と言う。そんないっちゃんをみて、みーちゃんも「やる」。みーちゃんは、坐禅をやりたいというよりは、いっちゃんと一緒にいたいという感じがした。3人で座る。みーちゃんはキョロキョロしていたけれど、場にいる心地よさを感じているようだった。

目をつむり、座る。人を感じながら坐禅するこの感じがとても気持ちいい。

今日はいっちゃんとみーちゃんと坐禅をしていたら、ひーちゃんとりっちゃんと、はっちゃんとさやちゃんが来て、6人で座った。

しぜんの国という場で出会った、不思議な縁。
愛おしい縁。かわいい、私の、私たちの縁。

こどもと出会って、幸せになった。保育に出会って、幸せな人生になった。悩みも、考えることも増えるけど、こどもと一緒にいればいるほど、彼らと一緒に過ごせることに幸せを感じている。

ー このコラムは『しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記』の連載第8回です。

このコラムの連載

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第一回)「ゆらゆら期の私たち」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第一回)「ゆらゆら期の私たち」

年度末を迎え、折り重なるように新年度に向かう4月。私たちはこの時期を「ゆらゆら期」と捉え子どもたちとの時を積み重ねる。子どもたち一人ひとりの想いや表現を慎重に捉えながら、しぜんの国保育園の暮らしが子どもたちの身体に馴染むように意識をする。この意識はそれぞれのご家族とも分かち合い、この時期を過ごす。

先日、エントランスで1歳児クラスのお父さんが「絶賛ゆらゆら期っす」と話してくれた。笑顔で話してくれているものの心配だろうな、とも思いを寄せる。子どもの心、保育の心、親心、私はその三つの心をいつも、自分の中で多面的に見つめないといけないと思う。

「自分たちはいい保育をしているんだ」と、独りよがりにならないように。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第二回)「とるに足らないオシロイバナの種のような」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第二回)「とるに足らないオシロイバナの種のような」

先日、婦人之友社と東京すくすく(東京新聞)が企画した「子育てスクスクフェス」に呼んでいただき、認定特定非営利活動法人こまちぷらすの理事長・森裕美子さんとお話をさせて頂いた。

その中で「子どもとふざけるのが好き」という話をして(そんなこと実は初めて言った)、改めて帰りの電車の中で「ああちょっと本音だったな」と思い返していた。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第三回)「コーヒーの甘い部分」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第三回)「コーヒーの甘い部分」

しぜんの国の地続きにある簗田寺の敷地内にはCONZENCOFFEEというコーヒースタンドがある。生産地ごとの気象や地理的条件に由来するスペシャルティコーヒーを飲むことができる。その場で豆の焙煎も行なっているので、豆を焙煎しているときは山の方まで香りが漂って来て「あ、小井土くん(店長)が焙煎しているな」と思いを寄せる。
先日仕事終わりの月曜日、CONZENに寄った。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第四回)「この気持ちどこかで知っている」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第四回)「この気持ちどこかで知っている」

「思えば、あれが家族揃った最後の夏の旅行だったね」ってなるんですよ。と保育者の越丸さんと話をした。越丸さんは二人の大学生の親である。わざわざ「これが最後の家族旅行」と決めて旅行に行くことは少ないだろう。
何となく家族で毎年恒例だったものが、子どもの成長と共に薄れていく。そして気がついたら「あれが最後だったね」となる感じが、なんだかしっくり来る。さみしい感じではなく、その時の流れが誠実で、あいまいでとてもいい夏の話だなと思う。

話は変わって、先日の土曜日の話。…

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第五回)「ポットの音 そのまま大切にしたい」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第五回)「ポットの音 そのまま大切にしたい」

朝早く起きて原稿を書いている。コーヒーを入れるために沸かしたポットの音だけがコポコポと音を立てる。「わっしょい日記」を始めて5回目。このような場があることがありがたいなあと思っている。

9月。夏を越えて、秋に向かう季節。今年の夏は暑くて、園は熱中症対策をしながらの保育に右往左往していた。いつもは園庭、室内、好きなところでのびのび遊び、まち歩きや散歩に出かけているが、この夏は「今日は難しいね」「出れても30分」などの会話が事務所内を行き交う。秋になり気候も落ち着くと信じて季節に身を委ねたい。法人内では意向調査があり、自らの進退について考える時期になる。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第六回)「バッタのお腹」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第六回)「バッタのお腹」

「このバッタのお腹の部分が光っていてタマラナイんだよ〜」。

園庭にいると、なんだかうれしそうにりっちゃんが声をかけてくれた。私もそのタマラナイ部分が知りたくて、横並びに座ってカップに入ったバッタのお腹を見せてもらう。初めて見たバッタのお腹はなんだか白っぽくて、きらきらしている。確かに光っている。やわらかそうで、きれい。子どもの頃に見たことがあるような、初めて見るような。子どもと一緒にいると、自分には思いもよらない世界にグッと引っ張ってもらえることがたくさんある。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第七回)「人と人が場や空気を共にしながら過ごす「保育園」という共同体の中で、私たちは」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第七回)「人と人が場や空気を共にしながら過ごす「保育園」という共同体の中で、私たちは」

保育者の育成について話す機会があった、のだけれど、あんまりうまく話せなかったし、今となると何を話をしたのかちょっと忘れている。「育成」、つまり「育つ」ということについての話で、私は今、「育つ」ということに関して濃度が高い場にいることは確か。子どもも育つ、保育者も育つ、親も育つ。めえちゃん(羊です)も育つし、とんこ(豚です)も、それはもう大きく育った。私のエプロンのポッケに入れていたくらいのサイズだったのに。同時に我が家の子どもも15歳になって、ひびき山(園庭にある築山)の緑もこんもりした。来年しぜんの国保育園smallvillageは10周年を迎える。