「条件付きで認める」のではなく、無条件で「あなたはあなたのままでいい」と言ってあげたい。ー柴田愛子さん×臨床心理士 武田信子さん〈前編〉
第8回目のおしゃべりのお相手は、臨床心理士で一般社団法人ジョイスの代表理事を務める武田信子さん。
「武田さんがりんごの木に遊びに来てくださった時におしゃべりに花が開いて。井戸端aikoでもぜひ武田さんとお話したいなと思ったの。」という愛子さんからのリクエストで、武田さんとの対談が決まりました。
実はね、武田信子さんというお名前は知っていて、本やお話は聞いていました。でもね、大学の先生で理論的に考えれる人ってちょっと近寄りがたい遠い存在だったのです。ところがある日「りんごの木に行っていいですか?」と、お問い合わせがあって、びっくりぎょうてん!断れるわけもなく、偉い人が来ることになったと緊張。駅から迷われるといけないと思って、最寄りの駅をお伝えして待ち合わせをすることにしました。
駅寸前で電話がはいりました。「間違っちゃったみたい、今横浜なんだけど、どうすればいい?」ここで肩書きから中身がちらっと見えました。やっと会えたときは、手を振ってしまうほど距離が近づいていました。さらに子どもたちとお昼ご飯を召し上がっていただいたら、隣に座った子が嫌いなキュウリを指で摘まんで、武田さんのお皿にいれます。それも匂いをかいだ後につぎつぎと。すると、彼女は平然と食べちゃうんです。その辺から肩書きは消えて、武田信子という人に興味が湧きました。
二人で畳の部屋で話し始めたら、もう私達はただのおしゃべりなおばさんになっていたというわけです。4時間くらいたっていたのではないかしら?それでももっと聞きたいこと、話したいことが次々。心残りを感じながら夕暮れのなかお見送りしたので、今回、続きのおしゃべりをしたかったのです。
「井戸端aiko」おしゃべりのお相手は…
武田 信子さん
1962年、名古屋生まれ。
20代の頃に総合病院精神神経科思春期病棟で行われていた精神分析的治療の様子から、人生の最初期のケアがどれほど大切かをスタッフや患者さんたちから学ぶ。
大学教員をしながらの子育てを経て、乳幼児の養育環境の改善による発達支援のために、世界各国・日本各地の子育てや教育の現場を子連れで視察、滞在。心理学・教育学・ソーシャルワークの3分野の学びを深める。
2020年に大学を早期退職して、2021年一般社団法人ジェイスを立ち上げ、体と心と脳の発達を保障する社会の実現を図ろうと、日本の子どもたちの育つ環境について、全国で講演や研修、集会を行い、発信している。
柴田 愛子さん
1948年、東京生まれ。
私立幼稚園に5年勤務したが多様な教育方法に混乱して退職。OLを体験してみたが、子どもの魅力がすてられず再度別の私立幼稚園に5年勤務。
1982年、「子どもの心に添う」を基本姿勢とした「りんごの木」を発足。保育のかたわら、講演、執筆、絵本作りと様々な子どもの分野で活動中。テレビ、ラジオなどのメディアにも出演。
子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えながら、‘子どもとおとなの気持ちのいい関係づくり’をめざしている。
著書
「子育てを楽しむ本」「親と子のいい関係」りんごの木、「こどものみかた」福音館、「それって保育の常識ですか?」鈴木出版、「今日からしつけをやめてみた」主婦の友社、「とことんあそんで でっかく育て」世界文化社、「保育のコミュ力」ひかりのくに、「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」小学館、「それってホントに子どものため?」チャイルド本社、絵本「けんかのきもち」絵本大賞受賞、「わたしのくつ」その他多数。
新刊「保育のヘンな文化 そのままでいいんですか!?」大豆生田啓友共著 小学館、「愛子さんの子育てお悩み相談室」小学館。
自分を生きるということの付属物にすぎないじゃない。
愛子さん
今日、武田さんにお聞きしたいなと思っていたことはたくさんあるんだけど、まず聞きたいのがね、これだけ多くの子どもたちが息苦しさを感じながら生きているのに、どうして社会や大人たちは変われないんだろう。オランダやイタリアのように、過去の過ちに気づいて教育改革をしてる国があるのに、どうしてそこから日本は学べないんだと思います?
武田さん
今の日本はヒエラルキーの上に乗っかるほうが得なんだと思います。
例えば、親に勉強を強いられてきたけれど、それによって東大に入れたとします。そうすると、周りにいる人たちは将来日本のトップと呼ばれるところで働くような人が多いですから、いろんなコネクションのある人たちと繋がれて、自分自身もヒエラルキーの上の方に行っていろんなところで優遇されるし、お金がたくさんもらえる生活ができる。
その過程でどんなに辛かったり苦しかったりする経験をしたとしても、それは自分の人生の「成功体験」として語られるようになるし、そういう人が親になって子育てをするとなると、同じようなことを繰り返す人が多いんです。ヒエラルキーの上に居れた方が得だって、みんな信じていますから。
愛子さん
でもそうすると、日本はいわゆる頭がいいというか、勉強ができる人が勝つ国ってこと?今、この地球で生きていくためには学歴ではなくて、主体性や創造性の方が大事と言われる時代になってきているのに、それでもまだ高学歴であることや経済的に豊かであることだけをみんなが望むのかしら。
武田さん
ヒエラルキーの上の方にいる人たちは上から落ちたくないんですよ。自分自身もそのままでいたいし、自分の子どももそのランクに乗っけておきたい。一方、ヒエラルキーの下の方の人はどう考えるかというと、その人自身に能力があっても大卒ではなく高卒である、というだけでもらえる給料が低くなるなど、自分自身が苦しい経験を重ねてきているわけですから、自分の子どもにはそうなってほしくないと思うわけです。つまり、ヒエラルキーの上の方にいる人も、下の方にいる人も、どちらも自分の子どもには上に行ってほしいと思うんですよね。
愛子さん
でもさ、そうじゃない社会をつくろうと思えばつくっていけるじゃない。
りんごの木を42年前につくった時から私は「命の重さはみんな同じ」だと思っているから、子どものことはもちろんそうだけれど、保育者のことも学歴とかでその人を評価することはしたくないと思ってきたの。だからうちは保育者の子どもに対しての誠意を信じられればそれで良しになっていて、その人がりんごの木以外でどんな仕事をしていても何をしていてもいい、と考えているのよね。
それに、年功序列みたいな、歳をとると給料が上がるという仕組みもなんでなのかしらって思うわけよ。若ければ若いほど、感性が豊かな時ほど、いい映画やいい景色を見たり、美味しいものを食べたりしてたくさんのことを感じられたほうがいいじゃない。だから、りんごの木は私も含めてみんな一律同じ時給なの。私なんてこうやって(他に用事があって園に)行かない時が多いからさ、1番給料が安いくらいなのよ(笑)。
愛子さん
でもね、私思うんだけど、金銭的に恵まれたり、職業や役職、学歴によって待遇的に恵まれた人生を歩むことを主体的に生きているって言える?その全ては、自分を生きるということの付属物にすぎないじゃない。それがあることで、安心感と誇りを持ちたいってことなのかしら。
武田さん
安心感を持ちたいというよりも、お金や他者からの評価がないことが不安なんだと思う。
まず、「老後2000万円問題」といって退職時に2000万円持っていないと生活費が払えなくなるとか、老人ホームに入れないとか言われていますよね。そうすると、歳をとった時にお金が必要だから貯めとかないといけないみたいな頭になっちゃうので、今を楽しもうとか、お金よりも大事なものがあると全然思えなくなってしまうんじゃないかなと思います。
私、デンマークとか北欧が好きなんですけど、好きな理由の一つは、北欧の多くはお金を多く持っているとか成績がいいということより、「その人の人生をどう全うするか」ということを大事に思っているからなんです。
そういう国と日本とでは、子どもが育つ環境として本当に大きな違いがあると思います。日本みたいな価値観の中にいたら子どもたちは混乱する。こんなとこにいられない、苦しいって思うよねと、危機感を感じずにはいられません。
そのままで大丈夫、って言ってあげたい。
愛子さん
子どものそばにいる大人たちが、「あなたは生きてるだけで、そのままで大丈夫」って、ただこれだけを言ってあげられるといいわよね。
私が山ほど親から言われてきたのはね、「好きなことが1つあれば、人間生きていけます」だったのよ。こう見えても私、小学生の時はそんなに外で喋れない、よく泣く子だったの。でもそんな私に母は、「愛子にはピアノがあるから大丈夫」って、当時ピアノが大好きだった私に何度も言ってくれたの。
だから、「好きなことが1つあれば生きていける」という言葉は、耳にタコができるぐらい聞かされてきて。小学生の時にはどういうことかわからなかったけれど、今思うとそれが親が子に与えるメッセージとして最良だなと思うのよね。
いい学校に入れとか、いい会社に入れとか、そんなのはどうでもいいことであってさ、それはあなた(親)の気持ちやプライドを満たしたいだけでしょって。この子はこの子で元気に生きている。あなたのプライドのために生まれたわけじゃないのって。
武田さん
愛子さんのお母さんみたいに言ってくれる人は少ないんじゃないかな。学校だって、そもそもそのままでいいと言ってくれない場所だし、「条件付きで認める」ということが今の世の中にはあまりにも多い気がする。無条件で「あなたはあなたのままでいい」と言ってもらえた人ってどれぐらいいるんだろう。
編集部
お二人のお話を聞きながら思ったことがあるのですが、親の立場であっても、保育者や教育者という立場であっても、「子どもに不幸せになってほしい」とは誰も本当は思っていないんじゃないかと思うんです。何なら「子どもに幸せであってほしい」と思っていて、そう思った時に、私にできることってなんだろう、私の役割ってなんだろうと考えて、何かを与える(やらせる)という行動にでてしまって、そこで子どもが望んでいないことまでやりすぎてしまう、ということがたくさん起きてしまっているのかなと。
愛子さん
でも、子どもは自分の好きなことをやっている時、すでに幸せそうよね。これ以上の幸せをあげたい、と思うのはお節介じゃない?
編集部
そうなんですよね。だからその「そのまんまでもうこの子は充分に幸せなんだ」ということにどうやったら気づけるのか、または気づいているけれど、それで本当に大丈夫なのか不安になってしまうということを、どうやって「これでいいんだ」と信じていけるようにするのか、ということだと思うんです。
それこそ、一人だとちょっと心許ないから、家族や保育者など周りにいる子どもを一緒に見守る人と、「この子は今幸せ?自分のやりたいことをやれているかな?」と言い合えるといいんじゃないかと思いました。
赤ちゃんからの民主主義
武田さん
あとは、赤ちゃんのことでいうと、赤ちゃんって泣いて自分の状況を知らせるじゃないですか。それは決して「今私は不幸せ」と言っているんじゃなくて、「おなかがすいた」とか「お尻が気持ち悪い」と伝えてケアのタイミングを教えてくれているだけなんだけど、泣いている状態に対してどうしていいかわからなくて余分なことをやっちゃうということも多い気がするんです。
どうすればいいのかわからないからインターネットに答えを求めてしまうし、そこで他の子と自分の子を比較して、自分がうまく育てられていないことや、この子は将来どうなってしまうんだろうということに不安になってさらに何かを与えたくなってしまうという子育ての現状を、いろんな親や専門家などに話を聞いているとすごく感じますね。
愛子さん
本当は、子どもを見ていれば発見できるじゃない。「あ、今眠いけどうまく眠りにつけなくて泣いているんだな」とか、「ずっと指を眺めているけど、もしかしてこれは自分の手を発見しているんじゃないの」って。でも、あなたの声を聴かせてという気持ちがないから見てないんだよね。だから発見できない。
武田さん
「赤ちゃんからの民主主義」という言葉をよく使うんですけど、「あなたは今、何を言いたいの?聞かせて」と相手をリスペクトする気持ちを、赤ちゃんに対しても持てることがすごく大切だと思うんです。自分の方が知っているとか、大人が何かしてあげないとこの子は何もできないじゃなくて、あなた(赤ちゃん)から学ぼう、知ろうという気持ちを大人が持つことが必要。
愛子さん
赤ちゃんが泣くのもそうだけど、「あ、この泣き方はこういう気持ちなのかしら」と思いを馳せたところで、もうすでにその子を励ましていると思うのね。だから、どうやったら泣き止ませられるかしらって、そもそも大人は思わなくていいんじゃないかしら。
写真:雨宮 みなみ
この記事の連載
「育とうとする力が子どもの中にはある。」ー柴田愛子さん×臨床心理士 武田信子さん〈後編〉
第8回目のおしゃべりのお相手は、臨床心理士で一般社団法人ジョイスの代表理事を務める武田信子さん。
後編では、編集部の質問から話が広がり、お二人の考えや在り方をたっぷりとお聞きしました。
わがままに生きることってそんなにいけないことかしら?ー柴田愛子さん×臨床心理士 武田信子さん〈番外編〉
第8回目のおしゃべりのお相手は、臨床心理士で一般社団法人ジョイスの代表理事を務める武田信子さん。
盛り上がったおしゃべりの中で、泣く泣く本編からはカットした「愛子さんと武田信子さんのこぼれ話」を、番外編としてお届けしたいと思います。