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「親が働くか働かないかで、大事な乳幼児期の子育てや遊びの環境に差があっていいのだろうか?」ー柴田愛子さん×NPO法人びーのびーの 原美紀さん〈前編〉

三輪ひかり
掲載日:2024/05/17
「親が働くか働かないかで、大事な乳幼児期の子育てや遊びの環境に差があっていいのだろうか?」ー柴田愛子さん×NPO法人びーのびーの 原美紀さん〈前編〉
りんごの木子どもクラブの柴田愛子さんが、子どもの世界の淵(ふち)にいる方とおしゃべりをする連載「井戸端aiko」。

第7回目のおしゃべりのお相手は、横浜市港北区を拠点として子育て支援を行う認定NPO法人「びーのびーの」で副理事長を務める原美紀さん。

「全国で初の子育て支援を立ち上げたグループ、それも主婦達が。今は当たり前になっている支援センターとかひろばですが、先駆者としての意見を聞いてみたいです」という愛子さんからのリクエストで、びーのびーのを立ち上げ、現在副理事を務める原さんとの対談が決まりました。

今や当たり前になっている子育て広場や支援センターですが、その始まりのひとつ「びーのびーの」をスタートさせたのは子育て中の親たち。りんごの木に関係している人もいたので、その動きを注視していました。親たちが場所を探し、有料会員制という思いもしない方法でした。自分達にとっての必然が、なにより強い居場所作りを立ち上げる力になったのだと感動しました。その後もいろんな子育て支援活動を広げています。ゼロから突き動かしてきた原動力はなんなのか、あれから子育て中の親たちとの関係の推移もお聞きしたいと思いました。そして、なによりご自身のお気持ちの育ちのお話も。


「井戸端aiko」おしゃべりのお相手は…

原 美紀さん
認定NPO法人びーのびーの 副理事長・事務局長。
びーのびーのの活動は地域家族を増やし、自分の「モノサシ」を長く太くしてくれる、その時々での語り合いがその時々を豊かにしてくれる、暮らしの中にあったらいいものが実現できるような活動になりたい、と願っています。
多くの子育て家庭と子育て家庭を育む地域とこれからもこの響き合いを続けていきたいと思います。
2006年~2022年まで港北区地域子育て支援拠点どろっぷ施設長を務め、現在は法人事務局において企業連携や人材育成など新たな活動に注力しています。
一般社団法人ラシク045代表理事、NPO法人アクションポート理事、NPO法人セカンドリーグ神奈川理事、港北区地域福祉保健計画推進委員等。

柴田 愛子さん

1948年、東京生まれ。
私立幼稚園に5年勤務したが多様な教育方法に混乱して退職。OLを体験してみたが、子どもの魅力がすてられず再度別の私立幼稚園に5年勤務。
1982年、「子どもの心に添う」を基本姿勢とした「りんごの木」を発足。保育のかたわら、講演、執筆、絵本作りと様々な子どもの分野で活動中。テレビ、ラジオなどのメディアにも出演。
子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えながら、‘子どもとおとなの気持ちのいい関係づくり’をめざしている。
著書
「子育てを楽しむ本」「親と子のいい関係」りんごの木、「こどものみかた」福音館、「それって保育の常識ですか?」鈴木出版、「今日からしつけをやめてみた」主婦の友社、「とことんあそんで でっかく育て」世界文化社、「保育のコミュ力」ひかりのくに、「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」小学館、「それってホントに子どものため?」チャイルド本社、絵本「けんかのきもち」絵本大賞受賞、「わたしのくつ」その他多数。


みんな居場所を求めている。

愛子さん 
びーのびーのができて何年になります?

原さん 
24年目。来年25周年だから、四半世紀になります。

愛子さん 
25年前はまだ「子育て支援」という言葉があまりなかったじゃない。周りもきっと、「あの人たち何をつくってるんだ 」というぐらいの感覚だったと思うの。でもそういう世の中でもびーのびーのをつくった。その時のいきさつを聞きたいなと思っていたの。

原さん
私と奥山さん(びーのびーの理事長)は子どもが3人いるんですけど、私が2人目を出産したばかりで、奥山さんが 3人目を妊娠している頃に、区役所で出会ったんです。というのも、私は当時港北区に引っ越したばかりで、用事があって区役所に行ったときに、ついでに子ども家庭支援課で「地域の遊べるところが載っている情報マップみたいなのはありますか?」と質問したら、話を聞いてくれた保健師さんが、「あなた、ちょうどいいわ。そういう情報を知りたいんだったら、これから区役所でそういう子育て通信を出すから、一緒に編集やりなさいよ。保育付きだし、友だちも増えるからいいんじゃない?」と。私も引っ越したばかりで友だちもいないし、情報も手に入るならいいかと思って参加することにしたら、そこに奥山さんがいて。

愛子さん
ああ、そうなの。

原さん
それでそこから1年くらい一緒に子育て通信を作っていたんです。その一環で、あるとき大きな公園で遊ぶイベントを企画しようということになって、やってみたら200組集まったんです。区報で「無料でやります」と宣伝しただけなのに200組。その光景を見たときに、「みんな行き場がないんだな。居場所を求めているんだな」とわかったんですよね。

しかも、保健師さんといろいろ活動している中で、0歳児を保育園に預けると一人当たり月間40〜60万円というお金が掛かってその大部分を国が補助しているのに、私たち預けられない人たちは月5000円の児童手当だけしか補助がないことや、横浜市は児童館もないので、園に通っていない限り、子どもが遊べる場所って家か公園しかないこととかも見えてきたりして。

親が働くか働かないかで、大事な乳幼児期の子育てや遊びの環境に大きな差があることが不平等だな、このままでいいのだろうかと感じるようになったんです。

そんなとき、武蔵野市にある子育て支援施設「0123吉祥寺」が取り上げられているニュースを見て、これだ!と思って、我が子たち3人ずつをぞろぞろ連れて私と奥山さんとで吉祥寺まで視察に行きました。横浜でもこういう場所をつくろうと思って動き出したら、地元の小児科の上で子育て広場をやっている大豆生田千夏さんやカナダのドロップインやファミリーリソースセンターの研究をしてる先生方と出会って、「私たちも学校の教鞭で忙しいし、あなたたちがもし民間でやるんだったらここを辞めて手伝うよ」と言ってくださって。そこから場所を探したんです。

お客さんにしない

原さん
それで菊名に場所を見つけたんですけど、家賃に21万円かかる。さあ、どうするかって。

愛子さん
その頃は、そういう子育て支援の事業をやるからって援助はなかったものね。家賃まで捻出してそういうことやろうっていうのはそれなりに覚悟がいることだと思うのに、自分の子どもも小さかったのに、よくやったね。

原さん
経営のこととかを最初から深く考え過ぎていたらできていなかっただろうなと思いますね。「やりたい」という気持ちだけで動いていたので。

愛子さん
でも、21万って結構高額よね。そのお金をどうやって稼いだの?

原さん
1つは幼稚園保育園ガイドというものを出すことにしたんです。


びーのびーのが一年に一度発行している幼稚園・認定子ども園・保育園の情報ガイドブック。一般的な園情報だけでなく、掲載園の先生からのメッセージや、利用している保護者の声も掲載されている。

愛子さん
あとは、会費もとっていたんだっけ?

原さん
当時はなんと1ヶ月3000円。

愛子さん
そうだ、3000円だった。子育て中の人にとって3000円って安くはないじゃない。だから当時、「3000円を出しても、ここに自分の居場所がほしいと思うんだ」って、私すごいびっくりしたの覚えてるわ。

原さん
そうですね。あと、その会費のことでいうと、そこで絶対「利用料」とか「利用者さん」とか言わないようにするっていうことを意識していました。「施設の維持分担費です。みんなにとって、我が子にとって必要だって思ってるから、みんなで支えてつくって行く場所です」と、お金の説明をするところばっかり練習していました(笑)。

愛子さん
なるほど、でもすごく大事なことね。お客さんにしない。

原さん
その一方で、たくさんの親子に来てもらえるか心配だったので、ベビーマッサージとか助産師さんとか、いろんな講師陣を並べたりもしたわけです。

そうしたら、当時世田谷区の自主保育をやっていた理事の方から、「あなたたちがやりたかったことはこういうことなの?親子がゆったりのんびりできる場所をつくりたいんでしょ。講師を呼ぶなら、参加者0人でもいいって言ってくれる講師を選びなさい。講師のために20組入れないと申し訳ないとか、謝礼出すから儲けなきゃいけないとかなっちゃうのが、子どもの居場所として正しい?」と言われて。広報は大事だけど、それはやりたかったことじゃないと考え直したり。

しかも蓋をあけてみると、利用者はプログラムを目指して来てないんですよね、みんな。その時間を外して来るようになってくるんですよ。それで、「ノー プログラム イズ プログラム」の良さが分かったんですよね。何もしないことがプログラム。そういう場が大事なんだって、来てくれる親子から学ばせてもらうことばかりでした。


公的施設だからできること

原さん
そういうふうにびーのびーのを運営していく中で、国も2002年に少子化対策室新規予算でつどいの広場事業を始めたりと少しずつ変わってきました。児童館がなかった横浜もようやく動いて、2006年に港北区地域子育て支援拠点「どろっぷ」ができて。

主に0歳から未就学児・妊婦さんとそのご家族、地域で子育てを応援している方のための施設「どろっぷ大倉山」

愛子さん
どろっぷは港北区から委託を受けてびーのびーのが運営しているのね。

原さん
そうです。でも実は、びーのびーのは最初あまり乗り気じゃなかったんですよ。というのも、最初から「みんなの広場」なんて謳ったら、誰の広場にもならないんじゃないかという懸念があったし、公的な支援センターやることの緊張感もやっぱりあったので。

でもやるなら、私たちが最適と思える場所に絶対したいと思って、5つの条件を出したんです。たとえば、場所は土地から必ず確保する。水と土と太陽は絶対条件とか、利用料を100円でもいいからもらう。区民のことを思えば、ここに1箇所しか支援センターがないなんて絶対足りないし1日100組来たら年間何百万って溜まるわけだから、それを蓄えてもう1つ施設を建てられるようにした方がよっぽど区民のためにならないかとか。

愛子さん
それで、その条件は呑まれたわけ?

原さん
利用料無料だけは生活保護世帯の方もいるからと、呑んでもらえなかったんです。でもあとは全部クリアしてきました。

愛子さん
あら、すごいじゃない。

原さん
今でもよく意見を活発に交わしています。役所や保健師さんに対して、当初つくる時はタバコが体に悪いなんて今のお母さんはみんなわかっている。だから隠れて吸うんだから、公的な場所にこそちゃんと喫煙所を設けるべきだとか、パソコンも10台ぐらい並べていいんじゃないですか、とか無謀だけど考える視点として投げかけたりしていました。

ダメって言われていることを大手を振ってやれるということが、公的であることの意味だと思うんです。だから、そういうところはものすごく戦っています。

愛子さん
あなた、根性あるね。それで、どろっぷをつくったら、周辺に住む親子たちが集まってくるようになったの?

原さん 
利用者は広域からきます。今もですけど、特に当時は横浜市に1個しかなかったので、電車に乗って来る人も多かった。

愛子さん
1日どれくらいの人が来るの?

原さん
今は、1日70〜100組くらい来ます。コロナで少し少なくなった時期もありましたけど、また戻ってきたんじゃないですかね。

愛子さん
1日100組も来るの、すごくない?でもさ、どうしてそんなにも来るのかしら?うちにいるのは嫌だってことでしょ。

原さん
いられないってこともあるかもしれないですね。

愛子さん
うちにはいられないっていうことは、やっぱり喋る相手がいるとか、子どもが誰かと遊んでれば私が楽になるとか。やっぱりそれは、自分が大変だったら来ないよね。

原さん
そうかもしれないですね。でも、びーのびーのは何かをやってあげる場所、提供してあげる場所ではないし、ボランティアさんにずっと頼っているので、「誰かと会える」みたいなことが大事なのかなと思います。

大豆生田千夏さんにも、「ありがとう」なんて言われてるようじゃダメよねと言われてきて、その感覚が今はよくわかります。誰の何によって元気になったのかがわからないぐらいの場所でありたい。そう思うと、多様な人たちが居てくれるのは本当にありがたいなと。

ドロップ内の様子。乳幼児と家族が過ごしやすい場を提供している。


地域にひらく、出会う。

編集部 三輪
いわゆる子育て支援センターや児童館は、安全であるということが大事にされているからこそ、地域と隔離されているところが多いイメージがあります。禁止はされていないかもしれないけれど、親子以外の利用を見たことがない。そんな中、びーのびーのさんの施設では、ボランティアさんや遊びにきている地域の方がたくさんいるのが、とても印象的でした。

原さん
「地域って意外と捨てたものじゃない」みたいな感覚をみんなに持ってもらいたいなと思うんです。
特に今の子育て世代の人たちは、おじいちゃんおばあちゃんがいてもまだ働いていたり、遠くに住んでいるという人もいるので、なかなか子育てをする中で「頼る」ということができないんですよね。だからこそ、地元で、サービスだけが頼りじゃなくてもあなたたちのために動いてくれる人がいるよ、みたいなことを感じてほしい。

愛子さん
地域のおじいちゃんおばあちゃんはどうやって来てもらうようになったの?

原さん
例えば、商店街の朝会とかご高齢の方や地域の人たちが集う場にいっぱい出ていきました。「いつでも遊びに来てください」と言うだけだと、地域の方たちからも逆に、「いや、そこは親子で完結している場所でしょ」「子育てに関係ないから」みたいに言われることもあったので、まずは自分達から出向いて、そこから来てもらう。

親子だけではなく地域の方にも使ってもらえる場所になりたいし、来てもらえた方が「地域ぐるみの子育て」ということが、私たちの言葉で言うよりもよっぽど伝わるということを関係性を築いていく中で実感してきました。

愛子さん
やっぱり中の人の誘い入れる気持ちが大切よね。

原さん
土日には、子どもが小さい時にびーのびーのの施設を利用していたお父さんがボランティアしてくれたりもしているんです。そうすると子どもを連れてきたお父さんは絶対入りやすいし、居やすいですよね。

やっぱり私たちスタッフだけで完結しない方が、よっぽど地域の可能性が広がっているなと思うことばかりです。

写真:雨宮 みなみ
写真の一部ご提供:NPO法人びーのびーの

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前編は、びーのびーの立ち上げ期のお話から子育て支援を地域にひらいて行うことの意義まで、たっぷりとお話をお伺いしました。

後編では、25年の子育て支援で見えてきたこと、そしてこれからの社会について語っていきます。