「子ども心は、誰もが持っている感性だと思う。」柴田愛子さん×絵本作家 長野ヒデ子さん〈前編〉
りんごの木子どもクラブの柴田愛子さんが、子どもの世界の淵(ふち)にいる方とおしゃべりをする連載「井戸端aiko」。
第四回目のおしゃべりのお相手は、『せとうちたいこさん』シリーズをはじめ、子どもから大人にまで親しまれているたくさんの絵本の生みの親である絵本作家・長野ヒデ子さん。
実は、愛子さんと長野さん、ともにつくった絵本もあるのです。
いつもなんとなく気になる人なんです。
どうしているかなぁ、元気かしらって。長野さんの温かさが欲しくなるときもある。
たまにメールしあっているんだけど、ちゃんと話したくなって、お誘いしました。
今回の対談場所は、長野さんからお誘いを受けて神奈川県鎌倉市にある鎌倉文学館に。
ちょうど開催中だった「長野ヒデ子の世界」展(2022年9月19日に終了)で、長野さんの絵本や紙芝居の原画を鑑賞してから、庭園へ移動して、井戸端aikoのスタートです。
「井戸端aiko」おしゃべりのお相手は…
長野 ヒデ子さん
1941年、愛媛県生まれ。
絵本作家。絵本創作に紙芝居、イラストレーションなどの創作の仕事やエッセイや翻訳も行う。紙芝居文化推進協議会会長。
代表的な作品に『とうさんかあさん』(石風社/絵本日本賞文部大臣賞受賞)『おかあさんがおかあさんになった日』(童心社/サンケイ児童出版文化賞受賞)、『せとうちたいこさん・デパートいきタイ』シリーズ(童心社/日本絵本賞受賞)。『ころころじゃぽーん』(童心社)をはじめ、紙芝居作品も多数ある。エッセイ集『ふしぎとうれしい』(石風社)、『絵本のまにまに』。
柴田 愛子さん
1948年、東京生まれ。
私立幼稚園に5年勤務したが多様な教育方法に混乱して退職。OLを体験してみたが、子どもの魅力がすてられず再度別の私立幼稚園に5年勤務。
1982年、「子どもの心に添う」を基本姿勢とした「りんごの木」を発足。保育のかたわら、講演、執筆、絵本作りと様々な子どもの分野で活動中。テレビ、ラジオなどのメディアにも出演。
子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えながら、‘子どもとおとなの気持ちのいい関係づくり’をめざしている。
著書
「子育てを楽しむ本」「親と子のいい関係」りんごの木、「こどものみかた」福音館、「それって保育の常識ですか?」鈴木出版、「今日からしつけをやめてみた」主婦の友社、「とことんあそんで でっかく育て」世界文化社、「保育のコミュ力」ひかりのくに、「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」小学館、絵本「けんかのきもち」絵本大賞受賞、「わたしのくつ」その他多数。
長野さんっていい人。
愛子さん:
私たちの出会いは、同じ研究会に出入りしていたことなのよね。その研究会のメンバーに絵本作家でシンガーソングライターの中川ひろたか(※)や新沢としひこ(※)もいて。長野さん、その時はまだ絵本一冊も出していなかったっけ?
※中川ひろたかさん、新沢としひこさんは、りんごの木子どもクラブで保育者をしていたことがありました。
長野さん:
『とうさん かあさん』(石風社)と『おかあさんがおかあさんになった日』(童心社)は出ていたかな。
愛子さん:
私、その当時長野さんが絵本作家だって知らなかったの。同じ研究会のメンバーで、りんごの木子どもクラブ(以下、りんごの木)のご近所さんの長野さん、だったのよね。
長野さん:
そうそう。我が家のそばに、新しい商店が入ってもすぐつぶれる建物があったんだけど、そこでなにか新しいお店が始まったなと思って覗いてみたら、愛子さんが出てきて。なんでこんなところに愛子さんがいるの?って思ったら、「ここで保育やるの」って。
愛子さん:
それでね、長野さんが駅に行くためには絶対にりんごの木の前を通らないといけないから、毎回「長野さん、どこ行くの?どこ行くの?」って(笑)。
長野さん:
もう関所みたいでねぇ。
愛子さん:
でね、帰ってくるとまた「長野さん、おかえりー!」って言ってね。
長野さん:
帰りには、おでんとかなにか余ったものがあると鍋ごとくれたよね。
それから当時、りんごの木には「保育士になりたいです」って訪ねてくる子がよくいて、愛子さんが断っても頑張って居続ける子がいたのよね。そうすると、その子たちの泊まるところがないから、「長野さん泊めてやってくれない?」って愛子さんが頼みに来て、なぜかその子たちがうちに泊まっていたのよ(笑)。
愛子さん:
本当、ご迷惑な話よね(笑)。まさき君だっけ?関西からきた男の子。
長野さん:
まさき君は一ヶ月以上もいたね。クリちゃんだってそうよ。クリちゃんはとうとう半年いて、念願叶ってりんごの木の保育士になれたのよね。
愛子さん:
まず伝えたいのはね、私のなかでいい人の代表が長野さんなの。これ以上、いい人はいない。
長野さんって、いきなり家に行っても「泊まってけば?」「ごはん一緒に食べようよ」なんて言って、壁がないの。だからみんな入り込んじゃうのよね。
「私のなかではみんな一緒くた」
愛子さん:
だからね、私にとって長野さんは“いい人”っていうのが最初にくる看板で、“絵本作家”っていうのは次にでてくる看板なの。
そもそも長野さんって、いつから絵本作家って言われるようになったの?
長野さん:
そう聞かれると、あんまり言われてこなかったね。自分でも「私は絵本作家なんです」なんて言ってこなかった。
デビュー作の『とうさん かあさん』は九州に住んでいるときに出たんだけど、まさか自分の創ったものが絵本になるなんて思ってもいなかったからびっくりしてね。その後すぐ転勤で東京に来て、渋谷の本屋に行ったら『とうさん かあさん』が平積みになっているわけ。引っ越したから図書館の利用カードを作ろうと思って図書館に行ったときも、新刊として置いてあってさ、司書さんに「おもしろいですよ」なんて言われちゃったから、作るのやめて逃げ帰ってきたりしていたわ。
愛子さん:
長野さん自身より、作品が先にどんどん世に出て行ったのね。
長野さんの作品って、おかしなのもいっぱいあるじゃない?おかしな、なんて言ったらいけないけれど。
例えばさ、紙芝居の『ネコのたいそう』(童心社)。あんなふうにネコが体操して、しかも一緒にやらない?って読者を誘うなんて、考えないわよね、普通!
長野さん:
よく言われるね。当時(1990年代)、ああいう感じのなかったのよね。
愛子さん:
なかったなかった。それで、ネコの体操を紙芝居で演じたらどうなるかというと、子どももこうやって一緒になってやるの。
長野さんって擬人化の仕方がすごいのよ!『とのさまぶたまん』(あすなろ書房)だってそうだし、『せとうちたいこさん』(童心社)もそう。
長野さん:
なんて言えばいいのかな。人間と、ぶたまんと、鯛と、なんとか…って区別がないの。私のなかではみんな一緒くた。
愛子さん:
その一緒くた感っていうのはね、子どもなんだと思うのよ。
長野さん:
あぁ、そうかもそうかも。
愛子さん:
だから長野さんってね、看板は“いい人”なんだけど、中身を見ると子ども心が常に生きている人なのよ。
私、大人の長野さんに会ったことないと思うもの(笑)。
長野さん:
そんなこと言われたの初めてだ(笑)。
愛子さん:
作品見てもやっぱり子どもなのよ、気持ちが。だから違和感なく、自然と読み手の中に入っていくんだと思うの。子ども心は誰もが持っている感性だから。そして長野さんはそれが人一倍大きいのね。
でもさ、せとうちたいこさんは、なんで歩かせたの?あれが鯛じゃなくて人だったらつまらないよね。
長野さん:
鯛ってだけだとつまらないから名前をつけてやったの。それでね、せとうちたいこさんって名前がついた途端に、好奇心が生まれて歩き出したの。
あれが瀬戸内生まれの“せとうち”たいこさんじゃなくて、若狭生まれの“わかさ”たいこさんだったら、話がまた違ってた。せとうちたいこだから好奇心があったのよ。だから、名前ってすごいなと思う。
愛子さん:
でも鯛がヒール履いて買い物しちゃうなんて奇想天外よ!
愛子さん:
そういえばさ、何年か前に広島の三次市の妖怪博物館(三次もののけミュージアム)に行ったじゃない。そうしたら江戸時代の巻物で、鯛が歩いていたんだよね!
長野さん:
そうそう!びっくりしたわよね。
愛子さん:
たしか、結婚式の行列の絵だったんだっけ。
長野さん:
鯛はめでたいから歩かせたのかな。鯛を歩かせるって、同じようなことを考える人が江戸時代にもいたなんて、あの時はびっくりした。
愛子さん:
「長野さん!鯛が、鯛が、たいこさんがこんなところで歩いてる!」ってね(笑)。
でも、江戸時代のその人も、長野さんも、自然とこういうことを考えたりするのはすごいよね。
長野さん:
思い返してみると、わりかし子どもの時からそういうことを考えてたっていうか、やってたね。
愛子さん:
たしかに、お話つくるのがうまい子っている。そういう子って、ごはんを食べながら箸がいきなり立ちあがっちゃうのよね。それでトコトコ、トコトコ歩いちゃう。
そうすると、そこのテーブルの子はみんなしてトコトコ、トコトコやっているの。お弁当なんて全然食べないのね。いいとか悪いとかじゃなくて、そうなっちゃうのよ。
長野さんもそうなっちゃうんだね。
長野さん:
そうなのよ。
愛子さん:
2歳くらいまでは、みんなそうなの。だから誰でも長野さんみたいな目を持っているんだよね。
でもその子は5歳でもそうなっちゃった子。そして、長野さんは大人でもそうなっちゃう人。
そういう目を持続して育てていけるかどうかっていうことかしら。いや、育てていくんじゃないわね、育っちゃうのよね。
自分の中にある面を膨らませてお話をつくる
愛子さん:
長野さん自身から自然と出てきたものを絵本にしているわけだけど、それには読む人が必ずいるわけじゃない。読者の声って入ってくるものなの?
長野さん:
あまり気にしないね。
愛子さん:
あまり気にしない?!
でも一つ作品ができると生み出した感じはあるよね?できたできた、あら、嬉しいわってところで終わっちゃうの?
長野さん:
あら嬉しいわ、なんてならないわよ。あーもう、こんなの出していいのかなって。もうギリギリになったから出したけど、もうちょっと何かできたんじゃないかって。
愛子さん:
いまだにそう思うの?
長野さん:
そう。
愛子さん:
じゃあ、よし!これが私の集大成!…みたいな感覚はないのね?
長野さん:
ない。次はちゃんとやろうと思う。次はいい作品を描きたいなって。
愛子さん:
新米だからそう思うのかと思ったけど、そうじゃないんだ。
というのもね、私、『けんかのきもち』(ポプラ社)を出した時に、絵本の中のけんかより、私の中にあるコウタとタイのけんかのほうがはるかに大きかったのよ。本当の話だから。だから、発売されてから2ヶ月くらいは開けなかったのね。見たくないなって思っちゃって。
でも、だんだん私の中にあったけんかとこれは別物なんだって割り切れるようになって、読めるようになったの。
長野さん:
ドキュメンタリーとして書いてはいるけど、愛子さんの中では、絵本と実際は違うものなのね。
愛子さん:
長野さんも実際にあった話を物語にしたりするわよね?『おかあさんがおかあさんになった日』の話も、自分の子のこと?
長野さん:
自分のことだね。『おかあさんがおかあさんになった日』は、その言葉が先にうまれたの。
子どもって大きくなるとだんだん親の言うことなんて聞かなくなるじゃない。その時に「なにさ、私が産んであげたのに、親の言うことも聞かないで」って思ったことがあったんだけど、よく考えてみたら、彼女が産まれたから私もお母さんになれたのよね。だから、そんな風にいばることでもないし、スタート時点は私もこの子も一緒だって。そこでなんだあと思って、何かつくってみようかなと。
『とうさん かあさん』も自分のことだよ。だって、自分のことしか描けないもの。
だから、人間の出てくるお話じゃなくても、ほとんど自分のことなの。いろいろある自分の面を膨らませているだけ。
愛子さん:
私は、今までドキュメンタリーばかりをテーマにしてきたから、どう回したり、くずしたりするとそれが絵本になるのかが思いつかないのよね。
でも長野さんは、ごく自然にどんなことでも絵本にしちゃう。多様になんでも絵本になっちゃうのは、長野ヒデ子の中に仕切りがないからかもしれないね。
長野さん:
そうそう、そうなの。仕切りがない。これ面白そうとか、こうしたら心地いいなって思うほうへ、ついつい行っちゃうの。見境もなくねえ。でも後で失敗もすることもあるのよ。
愛子さん:
それが大人からの視点だったり、子どもからの視点だったり。いろんな、どんなものでもへっちゃらなんだね。
それってとっても素敵なことね。
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撮影:雨宮 みなみ
この記事の連載
「子どもと子どもの間の心の機微は、人間の豊かさの原点。」柴田愛子さん×絵本作家 長野ヒデ子さん〈後編〉
前編は、愛子さんと長野さんの出会いや、絵本作家である長野さんのモノの捉え方・考え方などへと、おしゃべりが広がっていきました。
後編では、愛子さんと長野さん2人でつくった絵本の制作エピソードから、紙芝居の話にまでどんどん深まっていきます。
私たちの子ども時代の話。ー 柴田愛子さん×絵本作家 長野ヒデ子さん〈番外編〉
第四回目のおしゃべりのお相手は、絵本作家の長野ヒデ子さん。
盛り上がったおしゃべりの中で、泣く泣く本編からはカットした「愛子さんと長野さんのこぼれ話」を、番外編としてお届けします。