「子どもを“観察する”から遊びが生まれました」工作アーティスト・吉田麻理子さん―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.1―
子どもと触れ合ったり、子どもにまつわる仕事をしている人たち。
どんなふうに、その世界を一緒にのぞいたり、近づいてみたりしているのでしょうか。
その言葉に、耳を傾けてみる?
彼らの視線のその先を、一緒に見つめてみる?
手で、足で、鼻や舌や肌で、一緒に感じてみる?
それとも…。
体験やエピソードを交えてうかがうお話の中から、子どもの世界に向き合うヒントに出会ってみたいと思います。
今回お話してくださったのは工作アーティスト・吉田麻理子さん。
HoiClueで長年、自然遊びや工作、実験遊びなど子どもと一緒に楽しめる遊びのアイデアを紹介してくれている吉田さんは、現在小学生2人のお母さんでもあります。
大事にしているのは、“大人が考えた子ども向けの遊び”ではなく、”子ども自身から生まれた遊び”なのだそうです。
吉田麻理子さん
工作アーティスト
1985年横浜生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。鎌倉の里山に暮らす。2児の母。
(株)リクルートライフスタイル在籍時の2012 年より工作家として活動を開始。2015年、同社を退職しフリーランスに。日々の子どもたちとの暮らしの中から、様々な遊びや実験・工作を考え出している。小学館「小学一年生」等で連載を持つ。
この仕事についたきっかけは…
ずっと「何かをつくること」が好きだった
ー「工作アーティスト」として活躍されている吉田さんですが、小さい頃から、工作やもの作りは好きだったんですか?
そうですね、工作遊びはすごく好きでした。ほかにも野原で草花摘んで何かを作ったり、すすきみたいな高い野草を組んで秘密基地を作ってみたり。自然遊びも大好きでしたね。
「作るのが好き」なのはその先もで、高校時代は、文化祭でお化け屋敷や映画を作ったり、大学ではプログラミングを学んで発明品を作ったりもしました。
就職したのは大手広告代理店です。テクノロジーを活用してこれまでにないサービスを研究開発する新規事業の部署に入りたいと思っていたんですが、配属されたのは営業部で。
でも仕事に追われながらも「何かを作りたい!」って気持ちは、どこかで持ち続けていたと思います。
ー今とは全く違うお仕事をされていたんですね。営業というお仕事から、今の子どもの遊びを生み出す仕事につくまでに、どんな転機があったのでしょう?
結婚し、妊娠出産でお休みに入った頃、アメリカの作家・ジュリア・キャメロンの『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』という本に出会ったんです。
私のようなアート関係のことにチャレンジしてみたいと思う人にぴったりのワークブックで、だんだんと自分がやりたいことが見えていきました。
「私は身近な人や自分自身が楽しくなったり便利になったりするようなもの作りをしたいんだ」って。
そこから、自分でちょっとずつ作品を作り始めました。
育休明けに作ったのが、天井から吊るすフランスパンでできたモビール。保育園から帰宅してお腹をすかせている子どもが遊びながら小腹も満たせるおもちゃです。
こういった作品をブログやSNSにアップしていたら、だんだん育児雑誌やテレビ番組などで取り上げていただくようになって。
会社を辞めて本格的に活動をスタートし、HoiClueでも子どもと楽しむ工作遊びの連載をもたせてもらうようになりました。
子どもと向き合う中で、変化したこと
遊びを“提案する”って、ちょっとしんどい
ー 2016年からHoiClueで遊びのアイデアを紹介していただくようになったんですよね。
「身近な人や自分自身が楽しくなったり便利になったりするようなもの作りがしたい」という、吉田さんが一番やりたかったことが叶ったように思いました。
はい。当初は、私が思いついたことを形にした工作遊びのアイデアを、毎週連載させてもらっていたんです。でもそれに、ちょっとした限界が来て。
ゼロベースから、週1という頻度で新しい遊びを考えていくってしんどいなと思うようになりました。
ー作ることが好きだったのに、「しんどい」と感じるようになったというのは、ちょっと意外です。
遊びを頭で考えていくと、アイデアを思いつくときは思いつくけれど、そうでないときはなかなか思いつかない…という感じで。
あと、私の方から自分の子どもたちに何か教えながら遊ぼうとすると、けんかをしちゃうことがあって。
例えば、私から「絵を描いてみようよ」と提案して、子どもの前に水彩絵の具を出してみる。でも子どもが全然乗り気じゃないと、すぐに終わっちゃったり。
すごくがっかりするんです、「やらせよう」とした私の方は。でもそれって、どうなんだろう…葛藤が、いつもどこかにありました。
子どもの発想…おもしろい!
ー 遊びを“作り出す”ことは実は簡単ではないし、さらにその遊びを楽しんでほしいと思う子どもには子どもなりのリズムがあるんでしょうね。
そんな葛藤とは、どう向き合っていったんでしょう?
そうですね、ちょうど遊びを作り出す難しさを感じていた頃だったかな…
「子どもアイデア」という2コママンガを、HoiClueで描かせてもらうようになったんです。
ある日、私が朝から溜めっぱなしだったお皿を洗っていたら、当時5歳の息子が「UNOしようよ」と誘ってきたんですよ。疲弊しながら「今、まだお皿が20枚ぐらいあるんだよ…」って答えたら、息子は「手が20本あればいいのにね」と一言。
確かに!20本も手があったら何でもできるよなぁ…って(笑)。
そこで、大人がぶつかる「困った…」を、子どもだったらどんなふうに解決する?っていうテーマで子どもとの日常のやりとりを描いてみることにしたんです。
私(大人)の課題を解決してくれる、子どもの発想の面白さに気づかされました。
ーお子さんたちとの日々の何気ないやりとりから、発見があったんですね。
そうなんです。
もうひとつ、私自身の遊びの捉え方が変わる大きなきっかけになったのが、2年前の転居。
引っ越したのは1月で、すぐには新しい保育園に入園できなくて…それで新年度になるまでの3ヶ月間、当時6歳の息子と4歳の娘と親子3人で、ちょっと長めの春休みを過ごすことにしました。
今住む場所は自然が豊かで、家の庭にも、周辺にも草花や木がたくさんあって。
ペンペン草やつくし、たんぽぽ、ダンゴムシ…外にいると子どもたちだけで遊びが自然に始まっていくんですよ。
その様子を何気なく観察していたら「…なに、その遊び?!すごくおもしろいね!」ってハッとする瞬間があったんです。
ちょうどその頃からですかね。
私が遊びを作り出すんじゃなく、子どもが遊んでいる様子を“観察”して、子ども自身が生み出した遊びをブラッシュアップして紹介していってみよう、と思うようになりました。
子どもの世界に近づくために
“観察する”ことから、遊びが生まれた
ー お子さんとのやりとりや遊びを観察すること。
簡単そうにみえて、忙しい毎日の中、つい聞き逃したり見逃したりしてしまうことはないですか?
HoiClueの連載として紹介していくという目標もあって、私自身は常に意識するようになりました(笑)。わが子が近所のお友達と遊んでいる時なんかもジッと観察してます、なにか面白いことひらめいていないかなぁって。
子どもって、名もない遊びというか、自分で生み出した遊びにすごく夢中になる時がありますよね。
以前ほいくるで紹介した「【自然遊び】ごちそう!「みどりサラダ」の作り方」は、きれいな葉っぱがいっぱい生えている場所で遊んでいた子どもたちが、たまたまあったお皿のようなものに葉をちぎってのせ、「サラダにしま〜す」…なんて自然に始まった遊びです。
【自然遊び】ごちそう!「みどりサラダ」の作り方
「【実験遊び】不思議な動きで転がる?!風船ゴロゴロ人形」は、近所の子が風船に水を入れて転がしてみたら、面白い転がり方をしたので、それを元にしたアイデアです。
どちらも子どもたちが何気なく始めて、「おもしろい!」と感じたからか、その後もずーっと続けていました。
そういう遊びに私も加わってみると、「じゃぁ次、こうやったらどうなるんだろう…?」って、子どもと一緒に夢中になっていくんです。
子どもと対等でいられる心地よさ
ー 先ほど伺った、吉田さんが作り出した遊びを子どもと一緒にやってみるのとは、吉田さんの感じ方も違うようですね。
子どもが生み出す遊びには、完成形のイメージがないから、私の方にモヤモヤが全くないんです。
ただそこに、子どもも大人も面白さと感動だけがある。
終わったら終わったで、さぁ次いこう!みたいな。さっぱりしていて、お互いにいい時間を過ごせるんです。
…対等でいられるから、いいのかなぁ。
遊びを通した発見の前では、子どもも大人も対等じゃないですか。
遊びを教える側、教えられる側になっちゃうと「なんで子どもはこうしてくれないの」「大人はなんでわかりやすく教えてくれないの」みたいなイライラがお互いに生まれてきちゃう。
でも子どもから生まれた遊びの前では、見つけた子どもの方がすごい、って素直に思うんです。
「それ、どうやって見つけたの?教えて〜!」って私も思わず聞いたり、そういう感じが好きですね。
ー子どもから生まれた遊びを一緒に楽しんでいるときって、吉田さんご自身も子どもの頃に戻ったような感覚があるのでしょうか。
それが不思議で、目線は同じだけど、すべてが同じではないなぁ…と思うんです。
たとえばぬいぐるみ遊びやごっこ遊びなんかは、自分が子どもだった時はあんなに夢中になれたのに、子どもたちの世界に完全には入り込めない、ちょっと疲れちゃうんです。
草花遊びだと、同じように楽しめるんですけどね。
そういう意味では、どんな遊びでも夢中になって遊べる、それが子どもなのかなぁ、なんて思います。