第6回 保育士だってプレーリーダー?
こんにちは。
今回は“遊びと保育士の専門性に関係があるのはなぜか”という話を中心にお届けしたいと思います。
始めに少し、私自身の失敗談についてお話しましょう。
学生時代にボランティアで児童館に行った時のこと。
小学生たちがドッヂボールをやろうとワイワイ集まってきたので、私は自ら申し出て審判をしました。
アウトやセーフの判断だけならまだしも、「はじまりの礼」を皮切りに、陣地やボール決めのジャンケン、細かなルール(線を踏んだかとか頭はセーフとか)決めを仕切り、最後はバッチリ整列させて「終わりの礼」をさせるといった振る舞いをしたのを覚えています。その日の反省会で「ドッヂボールがうまく仕切れて良かった」と言ったことも…。
子どもたちの様子を思い返せば、新たに入る子は私に「入っていいですか?」と聞き、当たったか当たっていないかの微妙な場面では、子どもたちみんなが私を見て「どっち?」と判断を仰いでいました。
一方、大人が関わらずにやっていた後日のドッヂボールでは…
新たに入りたい子はタイミングを見計らい自ら声をかけて混ざり、遊びの中では「あーしよう!こーしよう!」とその場でルールを決めて活き活きと楽しんでいました。
「子どもが遊ぶ場所で自分に何ができるか」と悩んではいたものの、「子どもの遊びをしっかり誘導してうまく遊べる」ために大人がいるのだと、学生時代の私は思っていました。
それは間違いではなく、時と場合によっては、おもしろくさせようと誘導することもあるのですが、「大人は子どもの遊びを変えてしまう力があるということをしっかり自覚していること」、「遊びの主人公は子ども自身であり、遊びの専門家は子ども自身だということを理解していること」といった気付きには至らず、「関わらない」という選択肢がなかったことが苦い思い出になっています。
遊び理解や子ども理解を深めることが、子どもの遊びへの関わりの幅を広げ、子ども自身の遊ぶ力を引き出すことにつながっていきます。
子どもを保育する現場にとっての遊びの質の重要性については、これまでにも書かせていただきましたね。子どもの育ちの中心は遊びにあり、遊びは生活の中心にあるからです。
だからこそ、遊びと保育士の専門性には密接な関わりがあるのではないかと私は思います。
また、子どもに直接関わること以外にも、遊びと保育士の専門性は重要な役割があります。それは保護者との関わりです。
友人の保育士から、以前こんな話を聞きました。
「服を汚したくない、怪我をさせたくない」といった保護者からの要望で、天気が良いにも関わらず、園庭がないため一日中屋内で過ごす場合があるというお話です(中には、「保育士不足」や「近隣に適した屋外の遊び場がない」などの理由でお散歩に出られない園があるかもしれませんが)。
様々な事情があるにせよ、現在の子どもが過ごす保育の環境は、子どもが伸び伸びと遊べる環境に適しているのでしょうか。
「保護者からの要望(苦情)に対して、すぐに園は屈してしまう…」と嘆く友人の言葉を聞いて、なぜこのような状況が起きてしまうのかを私なりに考えた結果、「サービスの提供者(保育園)<サービスの享受者(保護者)という関係性ができてしまっている環境があるのでは?」という思いが頭に浮かびました。
保育園で働く保育士は、子どもの育ちを保つ専門職として「遊びという行為の意味」や「子どもが遊ぶことの大切さ」(第2回、第3回のコラムで私も書きました)について知っていて、さらに日頃から子どもたちの色々な姿を見ています。だからこそ、保護者に語りかけ、理解を得るための動きができると私は思っています。
例えば、遊びがきっかけで起きた子ども同士のトラブル。
保育士が「大人が一歩引いて見守ることが、実は当人同士が納得するためのやりとりを十分にさせてあげられることにつながったりするんですよ。」と、子どもが本来持っている問題解決の力を伸ばしたいという気持ちを伝えた上で、子ども同士がケンカをしながら見せるその子独自の変化の兆しをしっかり双方の親に話すことができたのなら、その後の保護者の反応や要望は変わってくるのではないでしょうか。
そう、実は要望(苦情)は保育士の大切にしていることを保護者に届ける最大のチャンスだったりもするのです。
次回はこのような専門性ってどうやったら身につけることができるようになるのか?を元に、みなさんが日常で工夫したり、新たな気付きにつながるようなお話につなげていけたらと思っています。
環境編、屋内や屋外でできる工夫などについてのお話です。お楽しみに☆
今回は“遊びと保育士の専門性に関係があるのはなぜか”という話を中心にお届けしたいと思います。
始めに少し、私自身の失敗談についてお話しましょう。
学生時代にボランティアで児童館に行った時のこと。
小学生たちがドッヂボールをやろうとワイワイ集まってきたので、私は自ら申し出て審判をしました。
アウトやセーフの判断だけならまだしも、「はじまりの礼」を皮切りに、陣地やボール決めのジャンケン、細かなルール(線を踏んだかとか頭はセーフとか)決めを仕切り、最後はバッチリ整列させて「終わりの礼」をさせるといった振る舞いをしたのを覚えています。その日の反省会で「ドッヂボールがうまく仕切れて良かった」と言ったことも…。
子どもたちの様子を思い返せば、新たに入る子は私に「入っていいですか?」と聞き、当たったか当たっていないかの微妙な場面では、子どもたちみんなが私を見て「どっち?」と判断を仰いでいました。
一方、大人が関わらずにやっていた後日のドッヂボールでは…
新たに入りたい子はタイミングを見計らい自ら声をかけて混ざり、遊びの中では「あーしよう!こーしよう!」とその場でルールを決めて活き活きと楽しんでいました。
「子どもが遊ぶ場所で自分に何ができるか」と悩んではいたものの、「子どもの遊びをしっかり誘導してうまく遊べる」ために大人がいるのだと、学生時代の私は思っていました。
それは間違いではなく、時と場合によっては、おもしろくさせようと誘導することもあるのですが、「大人は子どもの遊びを変えてしまう力があるということをしっかり自覚していること」、「遊びの主人公は子ども自身であり、遊びの専門家は子ども自身だということを理解していること」といった気付きには至らず、「関わらない」という選択肢がなかったことが苦い思い出になっています。
遊び理解や子ども理解を深めることが、子どもの遊びへの関わりの幅を広げ、子ども自身の遊ぶ力を引き出すことにつながっていきます。
子どもを保育する現場にとっての遊びの質の重要性については、これまでにも書かせていただきましたね。子どもの育ちの中心は遊びにあり、遊びは生活の中心にあるからです。
だからこそ、遊びと保育士の専門性には密接な関わりがあるのではないかと私は思います。
また、子どもに直接関わること以外にも、遊びと保育士の専門性は重要な役割があります。それは保護者との関わりです。
友人の保育士から、以前こんな話を聞きました。
「服を汚したくない、怪我をさせたくない」といった保護者からの要望で、天気が良いにも関わらず、園庭がないため一日中屋内で過ごす場合があるというお話です(中には、「保育士不足」や「近隣に適した屋外の遊び場がない」などの理由でお散歩に出られない園があるかもしれませんが)。
様々な事情があるにせよ、現在の子どもが過ごす保育の環境は、子どもが伸び伸びと遊べる環境に適しているのでしょうか。
「保護者からの要望(苦情)に対して、すぐに園は屈してしまう…」と嘆く友人の言葉を聞いて、なぜこのような状況が起きてしまうのかを私なりに考えた結果、「サービスの提供者(保育園)<サービスの享受者(保護者)という関係性ができてしまっている環境があるのでは?」という思いが頭に浮かびました。
保育園で働く保育士は、子どもの育ちを保つ専門職として「遊びという行為の意味」や「子どもが遊ぶことの大切さ」(第2回、第3回のコラムで私も書きました)について知っていて、さらに日頃から子どもたちの色々な姿を見ています。だからこそ、保護者に語りかけ、理解を得るための動きができると私は思っています。
例えば、遊びがきっかけで起きた子ども同士のトラブル。
保育士が「大人が一歩引いて見守ることが、実は当人同士が納得するためのやりとりを十分にさせてあげられることにつながったりするんですよ。」と、子どもが本来持っている問題解決の力を伸ばしたいという気持ちを伝えた上で、子ども同士がケンカをしながら見せるその子独自の変化の兆しをしっかり双方の親に話すことができたのなら、その後の保護者の反応や要望は変わってくるのではないでしょうか。
そう、実は要望(苦情)は保育士の大切にしていることを保護者に届ける最大のチャンスだったりもするのです。
次回はこのような専門性ってどうやったら身につけることができるようになるのか?を元に、みなさんが日常で工夫したり、新たな気付きにつながるようなお話につなげていけたらと思っています。
あさかプレーパークにて、集めた丸太を並べた枠が、即席プールに変身!
予告
のびのび遊べる環境をつくろう(前編)です。環境編、屋内や屋外でできる工夫などについてのお話です。お楽しみに☆