保育と遊びのプラットフォーム[ほいくる]

「くやしさや葛藤」〜造形あそびとこどもたち Vol.10〜

矢生秀仁
掲載日:2024/01/12
「くやしさや葛藤」〜造形あそびとこどもたち Vol.10〜
今月も皆さんと一緒に造形活動の子どもたちの姿から、保育について考えていければと思います。 
今回は、こども園の5歳クラスでの実践場面から。

2023年度からスタートした、連載コラム「造形あそびとこどもたち」。
造形の時間を通して出会った子どもたちの姿から、その奥にある子どもの世界を覗いていきます。

今回出会ったのは…


くやしさや葛藤

この日は、アルミホイルをつかった造形遊びでした。こどもたちは、アルミホイルを丸めたり、つまんだり、ねじったりしながら、思い思いの形を作っていきます。

そんな中、その背中から、「自分のイメージを形にするのだ!」という意気込みというか、気迫のようなものが滲み出ている女の子がいました。アイちゃんです。

アイちゃんは、椅子に座ることもせず、ずっとしゃがんだまま、ドラゴンを作っていました。
その姿に一瞬、「アイちゃん、その格好だと、作りづらくない?椅子に座ったら?」と声をかけようとしましたが、すぐに思い直しました。集中しているのに、余計なお世話だろうなと思ったからです。

声はかけずに、「なぜしゃがんで作っているのだろう。」としばらくアイちゃんの様子をみていると、一つ、気づきました。アイちゃんの目線の高さは、ドラゴンの背の高さと同じだったのです。

そこで、自分もしゃがんで目線を落としてみると、納得しました。手元で作るのと、目線を落として、目の前で作るのでは、作っているドラゴンの迫力が全然違うのです。目の前にあると、まるで実物大のドラゴンの模型を作っているような、そんな感覚になるのかもしれません。
また、アイちゃんの目の高さは、ドラゴンの目の高さと同じでもありました。その真剣なまなざしを見ていると、まるで「もうすぐできるからね。できたらあそぼうね。」なんて、ドラゴンに語りかけているようにも思えました。
アイちゃんの本心は、見ることができませんが、その姿勢からは、いろんなことが想像されました。

そのあと、しばらく他のこどもたちの様子も見たり、完成した生き物や人形、アクセサリーなどで遊んだりして、またアイちゃんの様子をみにいくと、アイちゃんは急に泣き出してしまいました。
「どうしたの?」と声をかけると、

「頭がうまくくっつかないんだよ。」

アイちゃんはくやしそうに、泣くのをこらえようとくちびるをぐっと結んで、言いました。それでも、ぽろぽろと涙がこぼれてきました。
「手伝おうか?」僕が聞くと、

「いい。」

小さい声で、でも力強く首を横にふって答えました。
「そっか、わかった。がんばってね。手伝うことあればいってね。」そう言って、その場を離れました。

アイちゃんは、しばらく泣いていましたが、落ち着くと、また一人で続きを作りはじめ、見事に自分の満足するドラゴンを完成させました。

アイちゃんの夢中になってドラゴンを作る姿勢、そして自分の思いと表現のずれに悔しくて涙する姿は、僕が気安く声をかけたり、助言したりしてはいけない、誠実に自分のアイデアと表現に向き合う姿でした。

こどもたちが、いかに真剣に「表現」と向き合っているか(それも、遊びを通して)に、あらためて気づかせてもらった場面でした。


造形や制作の活動というのは、自分の頭の中にあるイメージを形にする活動、見えないものを見える形にする活動です。ですから、それは、時に、自分の思うようにいかないこともあるものです。悔しくてたまらない時もあるものです。そんな時に、僕たち大人は、どう関わるのか。

サポートをするのが良い場面もあるでしょうし、ぐっとこらえて、本人が葛藤と向き合うことが良い場面もあるでしょう。十人十色で、こどもたちとの関わりに正解は、ありません。だからこそ、その都度、少しでも、こどもたちの思いに想像をめぐらせることを大切にしていきたいですよね。

そして、こどもたちのこうした悔しさや葛藤の場面も、先回りの準備や過度なサポートでなくしてしまうのではなく、どっしりと寄り添っていけたらいいなと思います。


明日もこどもたちと益々楽しい1日になりますように。