「子どもの姿や成長に対して喜べるかどうかは、脇役の人がすごく大事。」柴田愛子さん×助産院バースあおば<後編>
りんごの木子どもクラブの柴田愛子さんが、子どもの世界の淵(ふち)にいる方とおしゃべりをする連載「井戸端aiko」。
第2回目のおしゃべりのお相手は、神奈川県横浜市で自然なお産のお手伝いをし続ける「助産院 バースあおば」の助産師、柳澤さん、仲さん、宮岸さん。
前編では、バースあおばの成り立ちから移り変わってきたお産事情、そこから垣間見えた家族の姿まで、多岐に渡りお話が広がっていきました。
後編は、対談に同席したライターであり保育士でもある三輪が、取材前からぜひ伺いたいと思っていた質問からはじまります。
「井戸端aiko」おしゃべりのお相手は…
バースあおば
1996年青葉区たちばな台に山川助産院(バースあおば)開設。
2006年に現在の鴨志田町に助産院バースあおばとして移転。
<助産師>
柳澤初美さん:
1951年生まれ、長野県出身。助産師として神奈川県立母子保健センターで働く。母子保健センターが閉院となる際にカンガルーの会を妊婦さんや産後の母親とともに創設し母子保健センターの存続を訴えた。母子保健センターはその後閉院となり、神奈川県立子ども医療センターへ。カンガルーの会の活動で自然なお産ができるところをと母親たちの活動から、山川助産院(バースあおば)の開設に至った。
仲かよさん:
1945年生まれ、群馬県出身。柳澤さんとともに神奈川県立母子保健センターで働く。母子保健センター閉院後、神奈川県立子ども医療センターへ。カンガルーの会の活動を一緒に行い、その後に山川助産院(バースあおば)を開設に至った。バースあおばでは自身の孫3人をとりあげた。
宮岸晴美さん:
1971年生まれ、横浜市出身。大学病院で働いた後、病院でのお産に疑問を抱き、バースあおばに就職。自身もバースあおばで2人の子どもを出産した。
柴田愛子さん
1948年、東京生まれ。
私立幼稚園に5年勤務したが多様な教育方法に混乱して退職。OLを体験してみたが、子どもの魅力がすてられず再度別の私立幼稚園に5年勤務。
1982年、「子どもの心に添う」を基本姿勢とした「りんごの木」を発足。保育のかたわら、講演、執筆、絵本作りと様々な子どもの分野で活動中。テレビ、ラジオなどのメディアにも出演。
子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えながら、‘子どもとおとなの気持ちのいい関係づくり’をめざしている。
著書
「子育てを楽しむ本」「親と子のいい関係」りんごの木、「こどものみかた」福音館、「それって保育の常識ですか?」鈴木出版、「今日からしつけをやめてみた」主婦の友社、「とことんあそんで でっかく育て」世界文化社、「保育のコミュ力」ひかりのくに、「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」小学館、絵本「けんかのきもち」絵本大賞受賞、「わたしのくつ」その他多数。
家族との信頼関係がなにより大切
ー 保育士は、早い段階から子どもや家族に関わる他者だと言われますが、助産師さんはそれよりも前、生まれる前からその家族に関わる貴重な存在ですよね。
もし、その時期から関わるからこそ大事にされていることがあればお聞きしたいです。
宮岸さん:
たしかに赤ちゃんがお腹のなかにいる時からそのご家族に関わる人ってあまりいないのかもしれませんね。
妊婦検診で、エコーを使ってお腹のなかの赤ちゃんの様子を見たりするんですけど、その時に何か異常を見つけるためというよりは、「こんなに小さいけど元気いっぱいだね」「大きくなってきたね」という視点でいたいなといつも思っています。嬉しいよね、感動するよねという気持ちをお母さんやお父さんと一緒に感じ合えるような助産師でありたい。そうするとお母さんたちもこの感情は正しいんだな、これでいいんだなって、お腹のなかにいる時から赤ちゃんのことを大事に思ったり、自分自身のことも肯定できると思うんですよね。
宮岸さん
柳澤さん:
それは妊娠の初期の時から産んだ後も一貫して言えることかもしれないね。お互いに喜びあえる、信じあえるような気持ちを持つこと。
宮岸さん:
助産院では、妊婦さんに何か気になることがあった場合でも「正常値からちょっと外れているけれど、この人にとっては大丈夫」とか、「このご家族はこういう理解の仕方だから大丈夫だろうな」という感じで、その人やご家族によって、私たちの捉え方が違うんですよ。
愛子さん:
身体だけじゃなくて、赤ちゃんだけじゃなくて、その人の人柄も、家族も含めて見ているのね。
宮岸さん:
そうなんです。病院からバースに移ってきたお母さんもいるんですけど、「これまでかかっていた病院は私のことは見ていない。身体の一部だけ見ているみたいに思ってがっかりして帰ったり、せっかく嬉しいはずの健診なのに疲れて帰ったりした」って。でもここのお母さんたちは、自分と赤ちゃんをしっかりと見てもらえるから、元気になって帰るような印象があります。
愛子さん:
人を信じるということで成り立っているのかもしれないわね。こうやって赤ちゃんを他人に取り上げていただくって、信頼がなかったらできないわよね。
柳澤さん:
信頼こそが助産院の、私たちの全てだと思っている。自分と赤ちゃんの命を預ける、お父さんにとっては家族の命を委ねることって、やっぱり信頼がなかったらできないことだろうなと感じています。
愛子さん:
そうですよね。私は、赤ちゃんを授かったって聞くと、愛おしくてその妊婦さんの背中をさするのね。実は3歳くらいの子どもも、人を励ますのに言葉がないから、黙って背中をさすることがすごく多いのよ。人ってやっぱり声の柔らかさとか、一緒に喜んでくれる、触ってくれるということで心が柔らかくなっていくのかもしれないわね。
一緒に迎える気持ちになるというのも、素晴らしいことよね。保育の仕事もある意味同じでね、0歳児から預けちゃうと初めて立ったとか初めて歩いたというのとかも、お母さんよりも先に保育者が出くわしちゃうことがあるのよ。その時に、「お母さん大変よ!今日〇〇ちゃんが歩いたの!!!」と、こっちがすごく感動して伝えると、「え、そうなんですか!」って、お母さんもすごく喜ぶのよね。でも、「おたくのお子さん歩きましたよ」くらいだと、「ああそうですか」って。そう思うと、その子どもの姿や成長に対して喜べるかどうかって、やっぱり脇役の人がすごく大事だと思う。
仲さん:
一つひとつの節目に寄り添って、一緒に喜べることって大切ですよね。成長を当たり前のことと思っている親もいるかもしれないけれど、一つひとつ本当に素晴らしいことだから。
愛子さん:
そういう風に思ってくれるから、産んだ後も関係性が続いて、親子にとってバースあおばが困ったら帰ってこられる場所になっているのかもしれないわね。
宮岸さん:
病院は無事に出産したら、親子との関係性はそこで終わることが多いんですよね。でもここでは全部見ているから、ずっとつながり続ける。
柳澤さん:
家族と切れ目なくつながっているというのは、助産院の一つの特徴かもしれないですね。
出産の瞬間って嬉しいですか?
愛子さん:
赤ちゃんを取り上げる時ってやっぱり嬉しいものですか?誕生の時に初めて出会う人なわけじゃない。
柳澤さん:
嬉しいけど、だからこそどんなお産に関わってもドキドキしますよ。そういう表情は見せていないから、しばらくしてからお母さんとお産の話をしていると「え、柳澤さんそんな気持ちだったんですか」って言われることもあるくらい。
お産って、産まれたら終わりなわけじゃないんですよ。赤ちゃんが元気に産まれて、泣いてくれて、ママの胸に抱っこされて。そこまでいって一度ホッとするけど、でもそのあとも出血があるかもしれない…とかね、数時間は目が離せないんです。
宮岸さん:
出産直後からちょっと時間が経たないと心からはホッとできないですよね。
愛子さん:
産んだ人はそんなこと思っていないわよ。「思ったよりもスルっと産まれた」とか「産まれそうだから、押さえながら助産院に向かったの」という話、よく聞くもの(笑)。
柳澤さん:
それでいいと思うんですよ。それはこちらの仕事なので。
柳澤さん
愛子さん:
実際に危険な場面とか、ヒヤッとするようなこともあったりするんでしょう?
柳澤さん:
そうですね。お産は本当に何があるか分からないので。でも、そういうことはお母さん本人には伝えないですよ。何かあったのかなって思うと、産むことに集中できなくなっちゃうので、ちゃんとその人が産む力を保てるようにするのも、私たちの仕事ですね。
愛子さん:
でもちょっと間違えたら本当に大変なことになるわよね。
宮岸さん:
助産院って、できないことははっきりしているんです。だからできないことは無理しない。柳澤さんや仲さんも判断がすごく早くて、とても学ぶことが多いです。下手にここでどうにかしていこうとするのではなくて、ちゃんと診るところは診るけどダメだったら病院と連携する。
愛子さん:
自分の範疇じゃないって思ったらやらないのね。大事なことかもしれない。
時代の変化と人間の変化
愛子さん:
長くやっていらっしゃると、時代によって家族関係やお産に変化を感じたりしますか?産むということ自体は、太古から変わっていないわけだけど。
柳澤さん:
子どもを授かり産むということは、たしかに太古から変わってないんだけど、出産に自信が持てない人が増えているのを感じますね。気持ち的にも弱くなってきているからか、無痛分娩のような出産スタイルを選択する人も増えた。もちろん、産後の身体の戻りのことや、高齢出産で体力的なことを考えて選ぶ人もいると思うんだけど、痛いのがいやだ、嫌いだという理由の人も多いんじゃないかなと思って。
宮岸さん:
無痛分娩って、麻酔をかけて痛みを和らげるという方法なんですけど、すごく増えているんですよね。
愛子さん:
そういう背景もあって、助産院ではなく病院で出産する人が増えていたりするのかしらね。
柳澤さん:
昔は、子どもの頃から普段の生活のなかでたっぷりと身体を使ってきたでしょう。遊びでも、生活のなかでも。それで体力がついて、出産に耐えられる身体になっていたんだけど、今は自然分娩するためには、そのための体力づくりをしないと出産に臨めないという人もいたりするんです。
愛子さん:
昔はトイレも和式だったから力んでしたりしていたし、雑巾掛けとか、薪割りとかを生活のなかでしていたものね。
柳澤さん:
そうそうそう。
愛子さん:
身体が自然に妊娠や分娩をしにくいというのは、そういう生活様式の変化からくるってことなのかしら?
柳澤さん:
大きな要因のひとつだと思います。
愛子さん:
だから、ここでは妊娠中のお母さんに運動から教えているんでしたっけ?
仲さん:
そうですね、まずはよく歩いてもらって。同じ時期にバースにきているお母さんたちで一緒にこのあたりをずっと散歩してもらったりね。あとは床拭きとか、スクワットの姿勢で草取りしたり、薪割りをしてもらったり。
愛子さん:
じゃあちょっと前の自然な暮らしをすれば、自然なお産に向けた身体を作れるってわけね。でも今は不自然になってきているから、その自然な頃の生活に戻って…というのをあえてしていくのね。
実は昨日、「おむつなし育児の会」の方とお話をしてきたんだけど、そこでおむつに頼りすぎるのはやめましょうよって話を聞いたんだけどね。というのも、今は3歳でおむつしている子がすごく多いし、さらに小学校にしてくる子も増えているらしいの。私は、失敗するのイヤだからとか、恥ずかしいからという理由で取れないんだと思っていたんだけど、そうじゃなくて、身体の機能的に子どもたちが膀胱や腹筋とかがおしっこを溜め込めなくなってしまっているんだっていうのよ。それでその講演者は、おむつが身体が本来持っている自然な機能の代わりをしてしまったことで、そういう変化が起きているんじゃないかと考えたみたいなのよね。
愛子さん:
そして、それは脳と関係しているって言うのよ。おしっこを貯めておくこと、トイレトレーニング(トイレで用を足す)ができるということは、脳と身体がきちんと連携して、コントロールしているから可能なことなんだって。だから、トイレで排泄ができないということだけじゃなくて、子どもの脳と身体の連携も緩慢になってきているという話だったの。
トイレのことも、お産のことも、この不自然な進化はどうすればいいんでしょうね。本来何か進化すると、何かリスクを負うということかもね。だから、ときどき立ち止まる必要があるんでしょうね。
人のスタートに立ち会える仕事
愛子さん:
最後に一つ聞きたいんですけど、ものすごく印象に残っているお産ってあります?
柳澤さん:
よく聞かれるんだけどね、すごく大変だったのって忘れるのよね(笑)。もちろんその時のことは頭に残ってはいるから、同じ状況が起きたときに「あのときはこうだったな、ああだったな」って思い返すけど、だけどどれが?って聞かれると、たくさんありすぎちゃって。
愛子さん:
考えたら私も同じだわ。やんちゃ坊主がいてさー、あの子もこの子もって(笑)。
仲さん:
でも喉元過ぎれば、ああこんなに大きくなってってね。
「この手がたくさんの子どもを取り上げてきたのね」と思わず手を握る愛子さん。
柳澤さん:
そうそう。これくらい大きくなりましたって、顔を見せにきてくれたりね。
愛子さん:
改めてすごくいい仕事よね。助産師も、保育士も、人のスタートに立ち会えるんだもの。
取材・撮影:雨宮 みなみ
この記事の連載
第2回目のおしゃべりのお相手は、神奈川県横浜市で自然なお産のお手伝いをしている「助産院 バースあおば」の助産師、柳澤さん、仲さん、宮岸さん。
りんごの木には、バースあおばで産まれた子どもたちがたくさんいます。愛子さんとバースあおばのみなさんは直接会ったことはなかったけれど、そんな子どもや家族を通して、互いに強いつながりを感じていたといいます。
「大人も子どもも、自分で決める練習がもっともっと必要だなと思う」親子に関わり続ける柴田愛子さんからの提案。〜井戸端aiko番外編〜
第2回目のおしゃべりのお相手は、神奈川県横浜市で自然なお産のお手伝いをし続ける「助産院 バースあおば」の助産師、柳澤さん、仲さん、宮岸さん。
盛り上がったおしゃべりの中で、泣く泣く本編からはカットした「愛子さんとバースあおばのみなさんのこぼれ話」を、番外編としてお届けしたいと思います。