安月給、重労働…それでも私が「保育士」を続ける理由
「保育園って、誰のためのものなのだろう」
保育士を始めて何年も経つのに、よく初心に帰って考えてしまう。
世間から見た、『保育士』像
私が働く保育園の近くの公園には、急な斜面の崖がある。2歳児クラスの子どもたち10人が、その頂点を目指して登ろうとする。
大人はそこで何と言うべきか。
そのときの状況によりけりだが、もしもその大人が保育士だったら、第一声で「危ないから降りなさい」とは、叫ばないだろう。
***
「保育士は遊んでいるだけだから楽でしょう」と言われる事がある。
「うるさい親がいて大変でしょう、給料はいくらなの?体力仕事だから辛いでしょう」と同情されることもある。
「“危ないから降りなさい”と言わずに、ケガをさせたら親にどう説明するの?」と聞かれる事もある。
そんな時、私はだいたい最初に、「そうですねー」と答える。保育士って、世間からそういう風に見られているのか、と逆に興味がわいてくる。
「ぜひ、保育士を一度経験してみてください。そうすれば、わかると思いますよ。」と言えたらどんなに手っ取り早いか。
それくらい、保育士の仕事というのは奥深い。
正解のない世界で考え続ける仕事
さて、急な斜面の崖を登ろうとする子どもたちに対して、保育士は何をするのか。
1.「楽しいと思うけど、難しいかもしれないよ」と言う
2.「そこの木につかまったほうがいいと思うよ」と言う
3.「おっこちそうになったら、手をつくんだよ」と言う
4.「そこに大きな石があるから気を付けてね」と言う
5.「お友だちのことは押さないでね」と言う
6.何も言わずに見守る
7.その他
子どもたちが何をしたいのかをよく見て、丁寧に関わろうとするのが保育士だ。
だからこそ、よく観察しなければいけないのだが、そこには、これだと言える、「正解」はない。
さくちゃんは慎重派だから、自分の出来るやり方で登る。だから見守ろう。
りんたろうくんはお友だちと関わりながらスリル遊びをしたいようだから、誰かを押してしまうかもしれない。
のんちゃんは木の枝を持っていったけど、何がしたいのだろう。
こうくんは尻もちをつくのが上手だから、大丈夫。
かんちゃんは興奮しているから、注意して見ておこう。
私たち保育士は、瞬時にそんなことを判断しながら子どもたちと関わっていく。
保育の仕事が大変なのは、“体力勝負”だからでもなく、“安月給”だからでもない。
子どもたちの命を守りながらも、彼らにとっての「ベスト」を考え続ける仕事だからだと、私は思っている。
人はみんな、失敗から学ぶ
一方、保育園では「ケガをさせてはいけない」というプレッシャーがあるのも間違いではない。
もちろん大ケガをするよりも、無傷で親に返せた方が良いに決まっている。
でもだからといって、子どもたちの楽しみを排除して安全を優先させるのは、保育士の仕事ではない、と私は思う。
2歳児クラスの担任だった私は、昨年度最初の保護者会で、こう話した。
「大きなケガはしないように気を付けます。でも子どもたちにはそれぞれやりたい事があります。子どもたちがやりたい事をやって、失敗することには意味があると思うんです。ケガをして子どもが何を学ぶか、というところを大事にしませんか。」
2歳児クラスの子どもたちというのは、動きが活発になってきて、出来る事ややりたい事がたくさんある。
一方で、興奮すると周りが見えなくなったり、注意が不十分でケガをする事も多く、保育士は、様々な事態を予測しながら、危険と日常の境界線を見極めている。
「さくちゃんとかんちゃんがけんかをしているけど、手は出ないだろう」「今のりんたろうくんは本気で怒っているからもしかしたらこうくんを叩くかもしれない」「のんちゃんは木の枝を振り回しているけど、友だちにはやらないからしばらく見守ろう」と、子ども一人ひとりに寄り添っているのだ。
もちろん、失敗から学ぶ事はたくさんある。
転ぶときは手を出せば、顔を守る事が出来るという事を知る。
木の枝を振り回すときは、人に当たらないように気をつける事を知る。
友だちの頬を叩いたら赤く腫れるし、相手が痛い思いをして、自分も嬉しい気持ちにはならない事を学ぶ。
ケガをすることは、結果ではなく成長できるきっかけであることを、保育士も、子どもたちも知っている。
子どもたちが生きている場所、保育園
私がまだ十代だった頃、保育士というのは、甲高い声で子どもたちを集めて「先生」を演じる仕事なのだと思っていた。
熱心に子どもを指導し、何かをできるようにさせる事にやりがいを感じるのだろうな、と。
しかし、実際現場に入った私が、子どもたちに何かを指導できる場面は、ほとんどなかったし、これからもないだろう。
保育園は、子どもたちが生活する場所だ。
そこに、保育士という大人が仲間に入れてもらっている。
私が「保育士」を続ける理由
今日も、子どもに何かを教えてもらう。それに対して私が反応をする。
ただそんな日常の繰り返しだけど、私はその中で葛藤し、喜び、苦しみ、安心する。
私にとって保育士は、「子どもがかわいい」から続けられる仕事なわけでも「やりがいがある」から辞められないわけでもない。
私にとってそこは、日常生活の中で「人間としての豊かさを感じられる場所」なのだ。
簡単で難しい、怖いけど楽しい。正解のないこの世界を一緒に楽しんでくれる子どもたちがいるから、私は今日も保育園へ通う。
誰かを受け入れ、誰かに受け入れられる環境がある保育園では、今日も子どもたちが中心であってほしい。
保育士の仕事の奥深さが、少しでも社会に伝わりますように。
ぜひあわせて読んでほしい、保育士さんのリアルな“本音”や溢れる想いが知れる記事はこちら
⇛ 保育者474人の、“社会へ伝えたいこと”
(編集:三輪ひかり)