「遊び場は、ゆっくり育てればいい。」遊び場づくりの実践者・神林さんが大切にする「スロースタート」という考え方

前編・後編では、神林さんの原体験や、「子どもの声を聴く」ということについてお話を伺いました。
実は、取材ではそのほかにも印象に残ったお話がたくさんありました。
その一つが、地域で遊び場をつくるときに、神林さんが大切にしている考え方です。「子どもの声を聴く」というテーマにも通じるものがありました。
本編では紹介しきれなかったお話を、番外編としてお届けします。
遊び場ができる喜びよりも、なくなってしまう喪失感のほうが大きい
遊び場をつくるとき、僕が最初に考えるのは、「何をやるか」ではありません。まず聞くのは、「どうして、この遊び場をつくりたいんですか?」ということです。
町会やPTA、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん——その場をつくる人たちが、どんな遊び場を目指しているのか。その思いを丁寧に聞いていきます。
でも、それと同じくらい大切なのが、「何が不安なのか」を聞くことなんです。

「ノコギリは怖い。」
「焚き火はやったことがない。」
「水遊びで風邪をひいたらどうしよう。」
そんな声があれば、最初は全部やめます。
「じゃあノコギリはなしにしましょう。」
「焚き火もやめましょう。」
「水遊びもやめましょう。」
一人でも不安がある中で場をやっちゃうと、落ち着かないので。その緊張は子どもにも、大人同士にも伝わります。そして、「ほら、言ったでしょう」という空気が生まれて、人は場を離れてしまう。
そうすると、せっかく始めた遊び場が、大人の都合で終わってしまうこともある。僕は、子どもにとっては、遊び場ができる喜びよりも、なくなってしまう喪失感のほうが大きいと思うんですよ。
だから、地域の人たちが手作りしていく子どもの遊び場であれば、最初から無理はしないほうがいい。やってみて、「意外とできたね」と思えたら、そのとき初めて一つずつ足していく。続くことのほうが、ずっと大切ですから。

子どもは、本来、遊びを生み出す力を持っている
そもそも、子どもは、本来、遊びを生み出す力を持っています。だから、何もなくたって遊べるんですよね。もちろん、遊具や環境が豊かなことは素敵です。でも、それ以上に大切なのは、安心してそこにいられること。
大人同士が「何のためにこの遊び場をつくるのか」を共有し、安心して関われることが、子どもの遊びの土台になります。
一方で、「一番不安な人に合わせる」という考え方については、この数年で新たな気づきもあって。都内で遊び場づくりを続ける中で、高学年や中高生から「あそこは小さい子の場所だから」と距離を置かれてしまう場面があったんです。
だから、「一番不安な人に合わせる」という考え方は、あくまでも気持ちの面であって、遊具や設備といった”ハード”にそのまま当てはめるものではない。大切なのは、誰も置き去りにしないという心のあり方であって、環境そのものは、多様な人が使えるものである必要があるということが、遊び場づくりを続ける中で見えてきました。

今、公園では「ごめんなさい」から始まって「ごめんなさい」で終わるコミュニケーションが本当に増えています。
子どもが他の子に近づいただけで、「すみません」。他の子が持ってきたおもちゃを触っただけで、「ごめんなさい」。
遊びの中で育まれる子どもの育ちや関係性よりも、大人の不安や社会からどう見られるかという圧みたいなもののほうが大きくなり、家族だけで遊ぶことが当たり前になっている。
だからこそ、やっぱり安心して遊べること、安心して人と人とが関わりあえる土台をつくることが大切で。その積み重ねの先に、子どもたちや親子が「また来たい」と思える遊び場が育っていくのだと感じています。
子どもを聞く、見つめる、感じる。

子どもと触れ合ったり、子どもにまつわる仕事をしている人たち。 どんなふうに、その世界を一緒にのぞいたり、近づいてみたりしているのでしょうか。 その言葉に、耳を傾けてみる? 彼らの視線のその先を、一緒に見つめてみる? 手で、足で、鼻や舌や肌で、一緒に感じてみる? それとも…。 体験やエピソードを交えてうかがうお話の中から、子どもの世界に向き合うヒントに出会ってみたいと思います。





