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「子どもと一緒に生きるのは、ままならなさも増えるけど、だからこそ面白い」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【後編】

三輪ひかり
掲載日:2023/06/24
「子どもと一緒に生きるのは、ままならなさも増えるけど、だからこそ面白い」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【後編】

今回お話を聞いたのは、しぜんの国保育園園長・齋藤美和さん。
前編では、子どもを含めた人との関係性の築きかたやご自身の在り方について、たっぷりと言葉にしてくださいました。

後編では、一児の母でもある美和さんに子育ての話から伺っていきます。

自分の好きや気持ちを手放さない

息子はなんかいい感じっていうと雑な表現の仕方ですけど(笑)、結構いい感じで。一緒にいると、面白いですよ。

私はかなりの難産で、息子が生まれたときに子宮を摘出することになって。その瞬間に、これが最初で最後の子育てになると決まったんです。

最初で最後の子育てだと思ったら、なんか不思議な感覚でした。子育ては始まったばかりだというのに、儚さみたいなものも感じていたし、すごく力が入っていたような気がします。

でも途中で、自分(だけ)が息子を育てていると思いすぎると息苦しくなるし、いいことないなと思い始めて。夫ともたくさん話をしましたね。そこから、みんなに育ててもらおうという気持ちになったり、どうやったら面白く子育てできるのかなと考えてやってみるようになったんです。


ー どんなことをされたんですか?

息子が「おふろはいりたくない」って言ったらアイスを一緒に風呂場で食べてみたり、とにかく子どもが行きたい方へ散歩にひたすら行ってみたり(笑)。本当にささやかなことなんだけど、自分の好きなことや自分の気持ちを手放さないほうが、子どもと一緒に生きていくのは面白くなるんじゃないかなと気づきました。

最近だと、中3になった息子と夫と受験について家族でたくさん話をしました。彼は今、音楽とカルチャーを学びたいと言っているので、夫の友人のアーティストに家庭教師をしてもらったり、学校の他に音楽や芸術を学べるスクールに通ったりなど、新たな道を進んでいて、親の私も一緒にわくわくしています。

子どもと一緒に生きるって、ままならなさも増えるけど、だからこそ「どうしよう」「こうしよう」が生まれてくる。創造的な思考が働くから、面白い。それは子育てだけでなく、保育もそうだと思っています。

園での子どもたちとの暮らしは、楽しくて、面白くて、毎日が新鮮。この日々が、私はすごく好きなんです。

心の機微に感じる心地よさや面白さ

ー  美和さんのお話のなかで「面白い」という言葉が何度も出てきました。美和さんの言う「面白い」ってなんなのか、どういうことを面白いと感じているのか気になります。

私すぐ「面白い」って言っちゃうんだけど、それがなんなのかをまだうまく言葉にはできていなくて・・・こういう瞬間を面白いと思っているかもというものを、お話するのでもいいですか?


ー もちろんです。

その場で起きてる瞬間瞬間のことを、見つけたり、感じたりすることが好きで、その感情を面白いと呼んでいる気がします。

たとえば、さっき園庭を案内させてもらったときに、背中だけが濡れている子がいたけど、そういうのもなんでそうなったのかなって面白く眺めちゃいます。


袖やお尻は濡れていないのに、背中だけ大きく濡れている。が、本人は気にしていない様子。なんでそうなったのだろう?

あとは、人の小さなちいさな心の機微みたいなのを感じたりするのが心地よくて、面白く感じるのかもしれない。思わずなっちゃってる、とかもそうで、子どもって思わず起こってしまうことばっかりだから、好きなのかも。


ー たしかに、大人は世間体やこうするべきみたいなのが出てきて、心の機微みたいなものをそのまま表現したり、大事にできなくなってしまうことがある気がします。

そうですよね。思わずこう、足取り軽くなっちゃうとかね。一見何も起きていないように見えるところに、面白さを感じることが多いです。 


ー だから、美和さんは丁寧にその場を見るし、自分がどう動くかをよく考えていらっしゃるのかもしれないですね。「面白い」を大切にする奥に、美和さんの在り方の原点みたいなものがある気がします。

私が「わたし」で居られる理由。

ここまで、私がどう子どもの隣りにいるか、みたいな話をさせてもらってきたけど、私の佇まいというか、私がこう在ることができるのは、周りの人がそれを許してくれているというのがすごく大きいなと思うんです。

というのも、子どもの頃、母に「マイペースって、自分のペースがある人のことをいうんじゃない。周りの人を感じながら、 自分のペースがあることをマイペースっていうんだよ」と言われたんです。だから、自分のリズムだけでやったらいかんよって。子どもの頃の私が、よっぽどのマイペースだったんだろうと思うんですけど(笑)。

でも、母の言っていることはその通りだなと。今、私が園長ができたり、ここでのびのびと居られるのは、それを受け入れてくれている人がいるからだということを忘れちゃいけないなと思うんです。自分勝手なマイペースでいると困る人がいたり、できないことが山のようにあるということにも気づける自分でいたいなと思います。


ー 自分の自由やらしさが、他の人の自由とからしさを奪っていないか。

そうそう、そうです。そこは意識しとかないと、なんか出たらめになっちゃう。

私たちは、一人で生きているわけじゃないし、人と関わっていく中で「わたし」って生まれているものだから。それを忘れずに、これからも子どもたちの隣りにいられたらと思います。



この記事の連載

「子どもと私のあいだにあるものを伸ばしたり縮めたりしながら、一緒にいたい。」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【前編】

「子どもと私のあいだにあるものを伸ばしたり縮めたりしながら、一緒にいたい。」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【前編】

子どもと触れ合ったり、子どもにまつわる仕事をしている人たち。
どんなふうに、その世界を一緒にのぞいたり、近づいてみたりしているのでしょうか。

その言葉に、耳を傾けてみる?
彼らの視線のその先を、一緒に見つめてみる?
手で、足で、鼻や舌や肌で、一緒に感じてみる?
それとも…。

体験やエピソードを交えてうかがうお話の中から、子どもの世界に向き合うヒントに出会ってみたいと思います。