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「子どもと私のあいだにあるものを伸ばしたり縮めたりしながら、一緒にいたい。」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【前編】

三輪ひかり
掲載日:2023/06/24
「子どもと私のあいだにあるものを伸ばしたり縮めたりしながら、一緒にいたい。」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【前編】

子どもと触れ合ったり、子どもにまつわる仕事をしている人たち。
どんなふうに、その世界を一緒にのぞいたり、近づいてみたりしているのでしょうか。

その言葉に、耳を傾けてみる?
彼らの視線のその先を、一緒に見つめてみる?
手で、足で、鼻や舌や肌で、一緒に感じてみる?
それとも…。

体験やエピソードを交えてうかがうお話の中から、子どもの世界に向き合うヒントに出会ってみたいと思います。

今回訪れたのは、東京都町田市にあるしぜんの国保育園。
園長を務める、齋藤 美和さんに会いに行ってきました。


しぜんの国保育園の入り口には「small village」の文字。人々が集まって交流できる小さな村のような保育園でありたいという願いが込められている。

「子ども観」をお聞きする前に、子どもの隣りにいる美和さんの佇まいを実際に見てみたい。・・・そんな編集部のお願いを快く受け入れてくださり、まずは一緒に園内を散策させてもらうことに。

園庭へとつながるスロープを下りながら美和さんが見つめるその先には、前日に降った雨が作りだした水たまりに誘われ、遊ぶ、子どもたち。美和さんは遠くからそんな姿をそっと見つめては、嬉しそうに微笑みます。

この日は2歳児クラスの子どもたちが園庭で過ごしていました。

「今日は気持ちいい天気だねぇ」「さくらんぼ取りに行った?」「今〇〇ちゃんは〜〜しているの?」と保育者に声をかけ、言葉を交わす。そのやりとりからは、普段の保育の中でも日常的に保育者と話しているのだろうと想像がつきます。

その一方で、いつまで経っても子どもには声を掛けません。なぜだろう…そう思いながら様子をうかがっていると、「ねぇ、これみて!」と子どもが美和さんに声をかけました。すると、すっと膝をつき子どもとの距離を縮めて、じっくりと言葉に耳を傾ける。

でも、そんな場面でも、必要以上に自分が(または子どもを)そこに留まらないようにしているように見えました。

この企画は「子どもの世界とどう向き合っているのか」をお聞きする企画なのに、 美和さんの在り方は、どうも“向き合う”という感じではなさそう・・・。では、何を想いながら子どもの隣りにいるのでしょうか。そこからお話をお伺いすることにしました。

齋藤美和さん:しぜんの国保育園園長

雑誌・書籍の編集者を経て2005年より「しぜんの国保育園」で働きはじめ、2018年に園長に就任。保育業と並行して「北欧暮らしの道具店」「Hugkum」などで、子どもや暮らしをテーマにした執筆やインタビューを行い、2015年に出版した翻訳絵本『自然のとびら』では第5回「街の本屋さんが選んだ絵本大賞」第2位、第7回ようちえん絵本大賞を受賞。和光高等学校非常勤講師。

人と人とのあいだにあるもの。

たしかに、「向き合う」とは少し違うのかもしれない。でもそれは、子どもだからというよりは、大人に対してもですね。どちらも同じ「人」との関わりなので、そこに差はありません。

(子どもも含めた)人との関係性について考えるとき、保育では「見守る」という言葉をよく使うけど、 見守るってなんなんだろう、本当にいいものなのかなと思ったりします。だって、もし誰かに「あなたのことずっと見守ってるよ」と言われたら、私は嬉しくないし、ちょっと怖いなと思ってしまう。それは子どもだって一緒なんじゃないかなと思うんです。

見守るって柔らかくていい言葉な感じもする。だけど、その距離感みたいなものは気を付けないといけない。人と向き合いすぎると疲れちゃいますから。

 あと、そこに既にある世界、保育だと子どもと保育者の世界とか、子どもと子どもの世界に対して、自分という登場人物が入ることによって何かが変わってしまうかもしれない、ということは常に意識しています。余計なお世話にならないように、というか、そこにあるものを邪魔したくないなと思うんです。


ー たしかに、先ほど一緒に園内を散策させてもらう中で、子どものことを気にかけてはいるけれど“まっすぐ見ない”感じが印象的だったんです。 美和さんは、何を見ているのかなあと思いながら、隣りで様子を拝見させてもらっていました。

その場の空気というか、人と人との“あいだ”に目を向けているのかもしれない。


ー 人と人とのあいだ、ですか。

「気」みたいなものと言えばいいのかな。そこから、その場を、そこにいる人たちを、感じ取ってみる。そうすると、なんとなく見えてくるんですよ。「あ、面白いことが起きはじめているんだな」とか、「あれ、ちょっとギスギスしているかも」って。そこでようやく自分は動き出す(アクションを起こす)という順番かもしれない。

ー 美和さんが動き出すとき、なるべくその場に作用したくないと思われているのか、それともこう作用したいと思っている何かがあるのか。どちらなのでしょうか?

例えば、今日も泥だらけになって園庭で遊んでいる子どもの姿がありましたけど、 あれを一緒になってやるという保育者もいますよね。大人が入ることで場が変わるから、意識的にやるという人もいるかもしれない。でも、私はやらない方かもしれない。

いつもそうかというとそうでもなくて、自分が「遊んじゃう」ときもたくさんあります。時折保育の中で場を巻き起こさなきゃいけなくなる瞬間もあったりするから、そういう時は揺らぎを起こすような動きをすることもあるかなぁ。今日だと、園庭のさくらんぼを子どもたちが採っていたけど、保育者に言われた通りにかごや袋に入れていたから、私はその場で食べちゃいました。

なので、どう動くのかはその時々で違うけど、そこで大事にしているのは「どっち(自分が動くか/動かないか)が面白くなるか」かもしれない。そのためにはそこで起きていることが何なのかを見極めなくちゃいけないから、まずは人と人や、人と場のあいだにあるものを見ておきたいという気持ちが強いのだと思います。

「してあげたい」は、長続きしない

ー ご自身が場や人にどう影響を及ぼすのか。美和さんは、とても慎重に心を寄せているように感じるのですが、そうしようと思われたきっかけがあるのでしょうか?

子育てをする中で親や周りにいる人が手を差し伸べてくれるときに、ありがたい、助かると感じる反面、助けてもらうことで疲れてしまう自分がいたことがあったんです。普通でいいのにって。


ー ケアされる側のその気持ち、わかるような気がします。

普通にして!みたいな。だからこそ、子どもに対しても、保育者に対しても、過度な支援をしすぎたくないなという気持ちがあります。

特に子どもとの関係性だと、支援がエスカレートしやすいんですよね。大人はどんどんしてあげたくなっちゃうし、場合によっては良かれと思ってそうしているときもある。でも、その大人の関わりによって、子どもが失敗しない(できない)環境になってしまったり、子どもが自分でつくっていく暮らしの余白がなくなってしまったりする。ちょうど昨日も、保育者たちとのケース会議で、気をつけないといけないよねと話をしました。

今年度から非常勤スタッフとしてルリさんというダウン症のあるスタッフが仲間になってくれたんだけど、子どもたちは最初「なにかしてあげたい」みたいな気持ちを持ったみたいで、ルリさんが来たら優しくしたり、手を引いたりするようなことをしていたの。それで私に「ルリさんに〇〇してあげたよ」などと報告しに来てくれることも多かった。でも、最近は一緒にいるのが当たり前になってるから、別にそういうこともしなくなって。

そういう子どもたちの姿を見ていても、してあげたいという気持ちってやっぱり続かないよなと感じたし、そうじゃない在り方のほうが自然でいいな、どう一緒にいるのかってすごく重要だよなと、改めて思いました。


ー どう一緒にいるのか。美和さんは、子どもたちとどう一緒にいたいと思っているのか、お聞きしたいです。

子どもと私のあいだにあるものを伸ばしたり縮めたりしながら、一緒にいたいかな。焦点を当てすぎると、お互い辛くなることってあるから、見たり、逸らしたりみたいなのは大事な気がしています。それは親子でも、夫婦でも、友だちでも、どの関係性でもそうかもしれないですね。

あと、保育園に通う乳幼児期って、その子の人生の中でとっても大事な時期で、私たち保育者はその大切な時間を共に過ごさせてもらっていると思うんです。でも、子どもたちは大きくなったらこの日々のことも、私のことも、きっと忘れちゃう。子どもたちって、本当に「今」を生きているから。

でも、だからこそ、私(私たち)がこの時を覚えておきたいという気持ちで一緒にいます。


しぜんの国では、積極的にエピソード記述を書いたり、ドキュメンテーションやスケッチをつくっている。

その中で、「今日、こんなことがあって…」みたいな話を保護者として、それが親子で語られた時に、本人は忘れちゃっていたかもしれないけど、この日々が改めてその子の思い出になっていく。その懐かしさや思い出は、いつかその子の人生を支える大きな部分になると思いませんか?

だから私は、子どもと共に過ごしてる「時」を慎重にすくっておきたい。見てないようで、見ておきたい。丁寧にキャッチしておきたいなと思うんです。

後編 では、一児の母でもある美和さんに子育ての話から伺っていきます。



この記事の連載

「子どもと一緒に生きるのは、ままならなさも増えるけど、だからこそ面白い」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【後編】

「子どもと一緒に生きるのは、ままならなさも増えるけど、だからこそ面白い」ーしぜんの国保育園園長・齋藤 美和さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.4【後編】

今回お話を聞いたのは、しぜんの国保育園園長・齋藤美和さん。
前編では、子どもを含めた人との関係性の築きかたやご自身の在り方について、たっぷりと言葉にしてくださいました。

後編では、一児の母でもある美和さんに子育ての話から伺っていきます。