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しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第九回)「らーめんチームと一緒に年越しラーメンを食べに行く」

齋藤美和(さいとうみわ)
掲載日:2024/01/16
しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第九回)「らーめんチームと一緒に年越しラーメンを食べに行く」


2023年の暮れ、らーめんチーム(3,4,5才時の異年齢のチーム)の子どもたちと一緒に、歩いて20分くらいのラーメン屋さんに「年越しラーメン」を食べに行った。セッションで、子どもたちから「本当のらーめんが食べたい」という話が出て、担当のあおいさんがいろいろと調査して、この願いを受け止めてくれるラーメン屋さんに出会い、歩いて食べに行くことに。事前に保育者のあおいさんとあゆちゃんが試食に行って、とても美味しかったとのこと。私にも美味しそうなツヤツヤのスープのラーメンの写真が送られてきた。彼女の「いま、このタイミングで絶対一緒に叶えたい」という思いが伝わってきた。

もちろん、保護者の方にも事前にアナウンスをして、保育園でもご家庭でも「ラーメン」を食べに行くことが話題になっていたからか、うれしいような、緊張するような、そんな雰囲気に包まれて、なんだかちょっとそわそわしながら出発。

周りの保育者にも「らーめんチーム、どこ行くの?」とあえて聞かれる中、子どもたちは「らーめん食べる」「らーめん食べに行く」とちょっと誇らしそう。だけど、途中、3歳のかっちゃんが泣き出す。

「ママに会いたい。ママに会いたい」。「らーめん屋さんに行くこと」が急に不安になったみたい。私はそっとかっちゃんと、ひーくんの手を握りながら「らーめん楽しみ」と話しながら歩いた。こんなとき、小さなことだけど「らーめん楽しみだね」ということに躊躇してしまうことがある。「楽しみ」は、私の気持ち。「楽しみだね」というと、押し付けてしまっているような気がしてしまう。「ね」は心の中にしまってみる。でも、気持ちは「らーめん楽しみだね」。こんな風に、子どもたちと一緒にラーメンを食べる日が来るなんて。

黄色と赤の看板にたどり着くと、店主さんとお店のスタッフの皆さんが温かく迎え入れてくれた。奥のお座敷をあけておいてくれて、12人の子どもたちが靴を脱いで上がった。この頃には、かっちゃんもホッとしたのかほぐれた笑顔で「らーめん、らーめん」とうれしそう。

子どもたちは、3つの席に4人ずつ座る。大盛りにしたラーメンの丼が、7つ運ばれてきた。湯気でホカホカ。れいくんが「ほら、麺が黄色いよ!」とうれしそう。幼児チームは、数年前までカラーチームで呼ばれていたけれど、色じゃなくて、色にまつわる物の名前の方が、呼んだ時に楽しい気持ちになるね、と子どもたちと名前を決めることにしたのだった。らーめんチームは元をたどると黄色チーム。れいくんはそれをおぼえていたんだ。みんなで静かにラーメンを食べる。「おいしい」「おいしいね」私もさっきまで気にしていた「ね」を使ってみんなとラーメンをすすりながら目を合わせる。ふふふ、おいしい、おいしいよ。おいしいね。みんなと今まで食べたラーメンの中でいちばんおいしい。たくさんおかわりして、あっという間にぺろり。いっちゃんが「ありがとうございました、らーめん美味しかったです」と頭を下げた。すると「また来てね」と優しいまなざしを向けてくれた。

どうなるかな、と思って行った、子どもたちとのラーメン屋さん。らーめんチームの子どもたちとあおいさんに導かれて、また新しい風景に出会わせてくれた。温かいラーメン。本当においしかったなあ。

ー このコラムは『しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記』の連載第9回です。

このコラムの連載

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第一回)「ゆらゆら期の私たち」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第一回)「ゆらゆら期の私たち」

年度末を迎え、折り重なるように新年度に向かう4月。私たちはこの時期を「ゆらゆら期」と捉え子どもたちとの時を積み重ねる。子どもたち一人ひとりの想いや表現を慎重に捉えながら、しぜんの国保育園の暮らしが子どもたちの身体に馴染むように意識をする。この意識はそれぞれのご家族とも分かち合い、この時期を過ごす。

先日、エントランスで1歳児クラスのお父さんが「絶賛ゆらゆら期っす」と話してくれた。笑顔で話してくれているものの心配だろうな、とも思いを寄せる。子どもの心、保育の心、親心、私はその三つの心をいつも、自分の中で多面的に見つめないといけないと思う。

「自分たちはいい保育をしているんだ」と、独りよがりにならないように。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第二回)「とるに足らないオシロイバナの種のような」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記(第二回)「とるに足らないオシロイバナの種のような」

先日、婦人之友社と東京すくすく(東京新聞)が企画した「子育てスクスクフェス」に呼んでいただき、認定特定非営利活動法人こまちぷらすの理事長・森裕美子さんとお話をさせて頂いた。

その中で「子どもとふざけるのが好き」という話をして(そんなこと実は初めて言った)、改めて帰りの電車の中で「ああちょっと本音だったな」と思い返していた。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第三回)「コーヒーの甘い部分」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第三回)「コーヒーの甘い部分」

しぜんの国の地続きにある簗田寺の敷地内にはCONZENCOFFEEというコーヒースタンドがある。生産地ごとの気象や地理的条件に由来するスペシャルティコーヒーを飲むことができる。その場で豆の焙煎も行なっているので、豆を焙煎しているときは山の方まで香りが漂って来て「あ、小井土くん(店長)が焙煎しているな」と思いを寄せる。
先日仕事終わりの月曜日、CONZENに寄った。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第四回)「この気持ちどこかで知っている」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第四回)「この気持ちどこかで知っている」

「思えば、あれが家族揃った最後の夏の旅行だったね」ってなるんですよ。と保育者の越丸さんと話をした。越丸さんは二人の大学生の親である。わざわざ「これが最後の家族旅行」と決めて旅行に行くことは少ないだろう。
何となく家族で毎年恒例だったものが、子どもの成長と共に薄れていく。そして気がついたら「あれが最後だったね」となる感じが、なんだかしっくり来る。さみしい感じではなく、その時の流れが誠実で、あいまいでとてもいい夏の話だなと思う。

話は変わって、先日の土曜日の話。…

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第五回)「ポットの音 そのまま大切にしたい」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第五回)「ポットの音 そのまま大切にしたい」

朝早く起きて原稿を書いている。コーヒーを入れるために沸かしたポットの音だけがコポコポと音を立てる。「わっしょい日記」を始めて5回目。このような場があることがありがたいなあと思っている。

9月。夏を越えて、秋に向かう季節。今年の夏は暑くて、園は熱中症対策をしながらの保育に右往左往していた。いつもは園庭、室内、好きなところでのびのび遊び、まち歩きや散歩に出かけているが、この夏は「今日は難しいね」「出れても30分」などの会話が事務所内を行き交う。秋になり気候も落ち着くと信じて季節に身を委ねたい。法人内では意向調査があり、自らの進退について考える時期になる。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第六回)「バッタのお腹」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第六回)「バッタのお腹」

「このバッタのお腹の部分が光っていてタマラナイんだよ〜」。

園庭にいると、なんだかうれしそうにりっちゃんが声をかけてくれた。私もそのタマラナイ部分が知りたくて、横並びに座ってカップに入ったバッタのお腹を見せてもらう。初めて見たバッタのお腹はなんだか白っぽくて、きらきらしている。確かに光っている。やわらかそうで、きれい。子どもの頃に見たことがあるような、初めて見るような。子どもと一緒にいると、自分には思いもよらない世界にグッと引っ張ってもらえることがたくさんある。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第七回)「人と人が場や空気を共にしながら過ごす「保育園」という共同体の中で、私たちは」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第七回)「人と人が場や空気を共にしながら過ごす「保育園」という共同体の中で、私たちは」

保育者の育成について話す機会があった、のだけれど、あんまりうまく話せなかったし、今となると何を話をしたのかちょっと忘れている。「育成」、つまり「育つ」ということについての話で、私は今、「育つ」ということに関して濃度が高い場にいることは確か。子どもも育つ、保育者も育つ、親も育つ。めえちゃん(羊です)も育つし、とんこ(豚です)も、それはもう大きく育った。私のエプロンのポッケに入れていたくらいのサイズだったのに。同時に我が家の子どもも15歳になって、ひびき山(園庭にある築山)の緑もこんもりした。来年しぜんの国保育園smallvillageは10周年を迎える。

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第八回)「かわいい、私の、私たちの縁」

しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記 (第八回)「かわいい、私の、私たちの縁」

年小クラスのみーちゃんがごはんのあと、窓の外を眺めていた。何をみているのかな、と思いつつ遠くから眺める。ここに言葉はいらない気もしたけれど、みーちゃんが何をみているのか、感じているのか知りたくなってしまう。虫がいるのか、花が咲いているのか、なんだろう。

随分と長い間、眺めているものだから、どうしても気になってしまう。