3月から4月。揺れる中で見える風景。保育者とこどもたち 〜こどもの“やってみたい”を やってみよう/しぜんの国保育園の実践より〜
子どもたちから生まれる、あんなこと、こんなこと「やってみたい」という気持ち。 大人はどんなふうに一緒に楽しめるでしょう…?
子どもたちの「今日は何をしよう?」から生まれる保育を大切にしている、東京都町田市・しぜんの国保育園。 その実践の様子を紹介いただきながら、子どもの「やってみたい」やいろんな気持ちの受けとめかた、楽しみかたのヒントを見つけていけたらと思います。
第3回はしぜんの国保育園の保育士・角さんの記録より、「3月から4月。揺れる中で見える風景。保育者とこどもたち」。
しぜんの国保育園(東京都町田市)
しぜんの国保育園 small village (スモール・ヴィレッジ)
町田市に1979年設立。「すべてこども中心」という理念を掲げ、特定の教育メソッドに拠ることなく一人ひとりの子どもたちに寄り添い、自然豊かな環境での保育を実践。「ものがたりメニュー」を中心とした食育の試みや、創造力をかきたてる保育など新たな取組みを行う。クラスの枠組みを超えた異年齢保育の時間、クラス、ワークショップという3つの時間を柱とした活動を特徴とする。
https://sizen-no-kuni.net
今までのほんのちょっとのことがほんのちょっとのことじゃなくなって
昨年度の3月、しぜんの国のけやき組、年長児の子どもたち。1月の始まりにはそんなに感じなかったのだが、卒園式へ向けて取り組んでいるときから、今までとは違う姿がじんわりと表れ始めた。Sちゃんも、Mちゃんも、そっと側にきて、ぎゅっとする。今まで小学校のことは自分から話すことがなかったHくんが「来なくなるの、やだなあ」と遊びの途中で呟く。転んで大声で泣いて、けんかでひっそり泣いて、何か言いたげな顔をしてその場から立ち去って。
今までのほんのちょっとのことがほんのちょっとのことじゃなくなって、ぴんと張ってぐっと高まって、弾けて、時々、緩まっている。そして、今まで以上に「あおいっちー」といろんな方向から呼ばれる。けやき組のみんな、一緒にいる時間があと少し、と分かっている。そわそわしている様子が全身から伝わってきた。でもそれは私も、周りの大人たちも。暮らしの中で、つい「小学校ではね…」「小学生になったらさ…」と大人から言ってしまいそうになる言葉を、何度も飲み込んだ。今を大切にしたい。そのままで大丈夫、楽しいことや面白いこと、これからもたくさん見つけられるから何も心配いらないよ、って伝えたい。でも、新たな場所に行く彼らが、自信や楽しみな気持ちと共にまた一歩を進めることができるよう、心の準備は必要だと思っていた。
それを今の彼らにどのように、どんなタイミングで伝えていくのか、迷っていた。
小学生の話を聞いてみたら
けやき組の卒園が間近に迫ったある日のこと。しぜんの国で新しく始まったYATOっこ(学童一時預かり事業)で、2年前に私が初めてけやき組を担当した時のRくん、Sくんが来た。
しぜんの国の子どもたちと小学生1年生から6年生までが暮らしを共にしながら、その中で小学生も自然に触れあいながら好きな遊びをたっぷりと楽しむ。
「会えて嬉しい!私のこと覚えてる?」と言うと「はい」「覚えてます」と敬語で頭をすっと下げて会釈した。時折園に来てくれる小学生に会うと、挨拶がもう、小学生である。でもなんだか、あの時の朗らかな雰囲気はそのまま。「おかえり!」とぎゅっと抱きしめたい気持ちの替わりに、握手をする。
せっかく小学生が来ているのだから、今の小学校の情報を聞きながらけやき組でセッションをしてはどうかと思い、小学生に相談してみた。
「けやき組に今の小学校のこと、教えてほしいんだけど…」と相談すると二つ返事で「ああ、いいよ」と得意げなRくん。
けやき組からたくさん質問が出て、質問が次第に具体的になっていく。「総合の時間ってどんなことするの」「席替えってする?」「小学校の先生ってどんな人?厳しい?」一つひとつの質問に小学生の間でもセッションしながら、けやき組に対して真剣に丁寧に答えてくれる小学生。「俺の小学校は一学期に一回ずつ」「ここよりも100倍、いや1000倍くらい厳しいよ」「それぞれの小学校によって違うね」。
一瞬、「え…!」とけやき組の空気がぴりっと締まるような言葉も出てきたが、そんなお兄さんの声が染みているのは一目瞭然だった。
現場のことは現場の小学生が、私たちが伝える言葉よりも説得力があって生々しかった。小学校にはこんなお兄さんたちがいるから大丈夫、と私がその時に思った気持ちを最後に伝える。けやき組一人ひとりからも、少し安心したような表情が感じられた。
そして最後の登園日。「じゃあね」「また会おうね」と今までの思い出を振り返りながら、送り出した。
ゆらゆらというより、ぐらぐらなのである
幼稚園教諭として働いてきた私。初めて保育園という場である、しぜんの国に勤めてから、3月31日まで保育園に登園していた年長組が次の日の4月1日で小学校に行くことを改めて知る事になった。正直、驚いた。子どもたちも、保護者も、周りの職員も、私も。
いろんな気持ちがいろんな方向に混ざり合っている4月が来てしまった。
私は3月と4月が一番苦手だ。思い返すと小学校ぐらいから今まで、ずっとそう。
別れと出会いの季節、「はい終わり、じゃあ次」と言われても、いくら見通しを持って想像していたとしても、切り替えるのには非常に時間が必要なのだ。
あの春の陽気と香りが重なって、心をどこに置いたらいいのか分からない、寝ても覚めても全身がふわっとする感覚。新しい場所、新しい異年齢のチームやクラスの編成。新たな場所に向かう職員や、新しく入る職員。
一人ひとりの心がざわざわして、自分では一度切り替えたつもりでも、隣で起こっているざわざわに、すぐまた引っ張られてしまう。とにかくとっても不安定で、ゆらゆらというより、ぐらぐらなのである。
こうしなきゃ、あれもやらなきゃ、と焦るけど、上手くいかない。つい余計な言葉ばかりが多くなる。「こうありたい」がいつしか、「こうあらねばならない」に変わっていることに気がついた。譲らないものはしっかり持って、それと同時に柔らかくもありたい。こだわりが苦しくしているかもしれないのなら、自分で窮屈にしなくっていいのかもしれないな、と思い始めている。
Sくんとけやき組とわたし
異年齢のうまチームは、今年はどんぐりチームに改名し、学年が一つ上がって年長のけやき組になったSくん。チームの名前は3月末の移行期間に新たなチームで案を出し合い、4月の初めには子ども同士のセッションで決めた。
午睡の前、廊下を歩いていたSくんの足取りがいつもと違い、声を掛けると、園庭にある帽子を指さしてこう言った。
「なんか、あそこに帽子が落ちてるから、かわいそうだなー、と思って」その様子を見て、少し時間を置いて、「投げちゃった?」と聞くとしばらくして「…うん」と下を向いたまま頷く。一緒に取りに行くことにした。
「帽子」を投げたかったのか、どんな気持ちで投げたのか。Sくんと長いスロープを下り始めたとき、「けやきだった一年生、今何してるんだろうね」と私が話すとしばらく沈黙が続く。
園庭に降りたあたりで、「…あーSがいないと寂しい」「Hにも会いたいな」と呟いた。けやき組になってすぐに彼と別のことで話をしたとき、けやきってどんな人だと思う?と聞いたことがあった。
「間違ったことをしてる人がいたときに、違うよ、って言ってあげる人」「小さい子とかのお世話をする人」と言っていた。けやき組と毎日じゃれ合って笑いあって過ごしてきたSくん。虫を探したり本気のボール当てをして、たくさん走って遊んだ。今、確かに大好きだった憧れの存在が側にいなくなって、彼の中にどんな気持ちが混ざり合っているのだろう。
ある日のこと、「あおいさーん!」と職員が私を呼んだ。その声のトーンから、嬉しいお知らせだとすぐに分かった。しぜんの国には、時々、嬉しいお客さんがやってくる。新一年生、元うまチームのEくんがやってきたのだ。「会えて嬉しい!」と思わずぎゅっとすると「おれもー」と答える。
つい、新しいけやき組がいる部屋に走った。「Sくん!来て!」寝起きでほんのり赤いSくんを後ろから支えて、長い廊下を玄関まで一緒に走る。「え、何?何なの?もう!」「いいから来て、特別ゲスト」手から伝わる鼓動の速さ。玄関でランドセルを背負うEくんを見た瞬間、目がぱっと開いて、逃げた。
一瞬で、あの時に戻る感覚。玄関から見えるガラスの向こうまで走って行ったが、またじりじりと玄関に戻って来たSくんの肩を、園長の美和さんが途中で後ろから柔らかに支える。「えー…」と少しだけ目線を下にして、Eくんのことを見ている。美和さんが、Sくんの心臓のリズムがまだ速いことを、私にそっと教えてくれた。
新一年生になった、元うまチームのAちゃん。時々夕方の時間に弟のお迎えで来てくれる。部屋に入って「やっほー」と一人ひとりと手をぱちん、と合わせる。「あ、Aちゃんだ」「学校楽しい?」と“おかえり”のいつもの感じで迎える子どもたち。
Aちゃんに気づいたSくんは「おう」と時々手を振ったり、自分が先に気づくと後ろからポン、と頭に触れたりする。「タイヤ跳びやってるんだよ」「マンカラ楽しいよ」と好きな遊びの詳しいルール説明をこちらが聞いてないのに熱心に話してくれるAさんが私は大好きで、いつも嬉しい気持ちになる。
「あおいっちー」と弟のお迎えのたびにぎゅっとしてくれる姿、偶然道で会ってぽんっと手を合わせて「またね、楽しんでね」と送り出した瞬間の、黄色の帽子とランドセルの後ろ姿。「最近どうですか?」と聞くと「学校、元気に行ってます」「ここに戻って来るのが嬉しいみたいで」と答えてくれる保護者。卒園生やその保護者に会うたび、いつでもみんなにとっての“おかえり”の場所がある嬉しさと、今私がここにいられる幸せを感じる。
大好きな人や憧れの存在が、目の前には見えなくなって、一緒にいられなくなったとき。一歩進みたくない、すぐに受け入れられない。だって今までが、本当に楽しい思い出だったから。
そんなときに、今の自分そのままを出しきって、アルバムをそっと開くみたいに、ちょっと昔を思い出してみる。いろんな人と繋がっていることを想う。
思い出に、背中をとん、とあたたかく押してもらったら、少しだけ新しい景色が見えてくる。もっと面白いこと見つけたいな、と思う。新しいことも楽しいかもしれないな、と思う。
そうやって何回も、私たちは行ったり来たりする。そんな瞬間の思いを今、子どもたちも感じているのだろうか。話したいときに気持ちを伝える人がいて、帰りたいときにいつでも帰る場所があったらいいな。
子どもも大人も、みんなが揺れる。
今、この瞬間を見つめて。まなざしや言葉、言葉にならない心にそっと触れて。
ままならない、今を楽しもう。
たっぷりの余白と、そのままのそのひとと、一緒にゆらゆらしよう。
実践・文章/角葵(しぜんの国保育園)
編集/齋藤美和(しぜんの国保育園)
しぜんの国保育園の記事
「環境から保育を始めよう」—しぜんの国保育園(東京都 町田市)
都内にあるとは思えない豊かな自然のなかで、子どもも大人も自分の「好き(得意)」や「やってみたい」という思いを大切にしていました。
子どもたちの心のままにまちを歩いてみたら〜こどもの“やってみたい”を やってみよう/しぜんの国保育園の実践より〜
その実践の様子を紹介いただきながら、子どもの「やってみたい」の受け止めかた、楽しみかたのヒントを見つけていけたらと思います。
第1回は、「子どもたちの心のままに まちを歩いてみたら」。
保育の中で手放さず、そっと握りしめたもの。 子どもたちとのセッションの中で。〜こどもの“やってみたい”を やってみよう/しぜんの国保育園の実践より〜
その実践の様子を紹介いただきながら、子どもの「やってみたい」の受け止めかた、楽しみかたのヒントを見つけていけたらと思います。
第2回は、「保育の中で手放さず、そっと握りしめたもの。 子どもたちとのセッションの中で。」。