「あなたはあなたでいいよと認められると、子どもは自然と外へ向かっていく」ゆうゆうのもり幼保園の子ども観と実践。
今回訪れたのは、神奈川県横浜市にある“学校法人渡辺学園”が運営する「ゆうゆうのもり幼保園」。
前編では、子どもたちの「やってみたい!」を刺激する環境や、園舎内を自由に動き回り、遊び込む子どもたちの姿をお届けしました。
自分の気持ちに素直に過ごし、まさに子どもが子どもらしく過ごす姿の背景には、どんな保育に対する想いがあるのでしょうか?後編では園長の渡辺 英則さんにゆっくりお話を伺いました。
園は子どもたちの生活の場。
そもそもなぜゆうゆうのもりを開園したかというと、当時(平成17年)横浜市が子育て支援事業本部(平成15年〜3年間の時限付きで設置)をつくり、待機児童ゼロを目指して毎年40〜50個の園を新設していたからなんです。その一つとしてこの土地で幼稚園と保育園の一体型の施設を作らないかと公募があって、私はここから500メートルくらい先で港北幼稚園という幼稚園をやっていたこともあり、手をあげることにしました。
園長の渡辺さん
その時の想いは、子どもが子どもらしく過ごせる場を作りたいということ。というのも、行政は待機児童ゼロのために園の数さえ増やせばいいという感じだったんですよ。利用者と言って指すのは、保護者。朝の7:30〜夜の7:30まで生活するのは子どもたちなのに、その子どもが置き去りにされるのはおかしいと思いました。それで、僕らは子どもたちにとってどういう場所であることが大切かということを第一に考えた園をつくろうと心に決めたんです。園舎の設計から子どものことを考えたものにしようと思って、建築家の仙田満さんに入ってもらい、思い切って園舎の中に遊具をいれました。
そして、園の名前を『ゆうゆうのもり』にしました。悠々自適の「悠」に「遊」ぶで、ゆうゆうのもり。ここは子どもたちが生活する場所なんだということを大事にして、一人ひとりのやりたいことを実現できる、遊びを大切にした保育をしていくことにしたんです。
ー たしかに、園の中央に構える大きなネットや、各部屋につながる秘密の通路、屋根裏部屋のような空間など、園舎の造りがとても印象的でした。
建築家・仙田満さんの設計は「遊環構造」と言って、行き止まりがないんです。だから、子どもたちはどこからどこに抜けて行ってもいいし、どこを遊び場にしてもいい。その代わり、保育はむずかしいんですけどね(笑)。
ー 子どもが自由に行き来できたり、自分の好きなところに居られたりするということと、どこにクラスの子がいるのかを把握したり、集いの時間だから集まってほしいというような保育者の想いがぶつかったりすることがありそうだなと、見学させてもらう中でも感じていました。実際、どのように両立をしているのでしょうか?
自分のクラスだけの子どもを見るという保育だと成り立たないですね。なので、全ての先生で全ての子どもたちを見守るということが、ゆうゆうのもりの保育の根底にはあると思います。たとえば、園庭に出ている先生が、「私、外にいますから〇〇先生は部屋に行ってもらって大丈夫ですよ」と声をかけたり、3歳の子が5歳児の保育室の中にいたり、5歳の子が4歳児の保育室にいるということもよくあるので、「今日、〇〇くんはうちのクラスでこんなことをしていたよ」と担任の先生に伝達をしたりする。
あと、先生たちはその子のことを遊びで把握するように心がけていると思います。「〇〇ちゃんは今日ここでこんな遊びをしていたから、明日はこういうふうに過ごすだろう」と、遊びからその子の次の姿を想像するんです。
子どものやってみたいと、その世界を広げる大人の関わり。
ー 子どもたちの動きを制限したり管理したりするのではなく、大人側のあり方や子どもを捉える視点を変えるんですね。
子どもたちだってそれぞれ好みもあるし、やりたいことがある。だから、「私はこんなのが好きだ」「僕はこれをやってみたい」という主体性や内発的動機を大切にしたいと思っています。その気持ちを出発点に実際にやってみることで、「もっと深めたい」とか、「もっと面白くしたい」、「もっと高度なことがしたい」という気持ちがうまれて、やれることが増えていく。自分でやりたいと思ったことを実現していくということは、幼児期の自己肯定感も高めていきますよね。
それに、遊びの中で仲間関係を広げていったり、友だちと一緒だと楽しいという経験を積んだりすることで、結果として“みんなで一緒に”が楽しくなったり、そこに充実感を覚えたりするようになっていきます。「あなたはあなたでいいよ」と認められると、子どもは自然と外へ向かっていくんです。
だからゆうゆうのもりは、子どもたちそれぞれにとって居心地のよい空間でありたいし、でもそこで閉じこもるんじゃなくて、そこから世界をどんどん広げてもらえるような場でありたいなと思っています。
ー お話を聞いていて、先ほど園内を見学させてもらっている時に、年少の保育室まで年長組の合奏練習の音色が聞こえてきて、「なんか楽器の音がするね」「年長さんがやってるんだよ」と話す子どもたちの姿があったことを思い出しました。ゆうゆうのもりの子どもたちは、自分が年長として楽器を演奏する前から、この時期(毎年生活発表会で年長児は合奏をする)になると楽器の音が聞こえてくるということが生活の中にあって、年長の保育室まで見に行ってみたら、自分が触ったことのないような楽器を使っていてかっこいいなとか、触ってみたいなという気持ちが育まれていくんだろうなと感じました。
コロナで今はできていないんですけど、函館から太鼓が中心の劇団をお呼びしたり、地域の吹奏楽グループが学期に一回演奏に来てくれる機会もつくったりしています。それは大人でも子どもでもいいからその世界を面白がっている人がいてくれるということがすごく大切だと思うからなんです。「こんな世界もあるよ、楽しいよ」と子どもたちに提案したり、新しい世界に出会うきっかけをつくったりすることも、どんどんやっていきたい。
というのも、港北幼稚園(学校法人渡辺学園が運営する、もう一つの園)で、以前、毎年やっていた鼓笛隊を廃止にした年に、先生たちが1年間全く楽器を出さなくて、子どもたちが楽器に触れる機会がなくなるということがあったんです。鼓笛隊のために楽器を出す/鼓笛隊がなくなったから楽器は出さない、ではなく、保育者は楽器や音楽に触れることの面白さってどこなんだろうということを考えるべきだし、そのおもしろさをどう子どもに伝えていくかということを考えなくちゃいけないと思うんですよね。
ー やらないということと、全くその世界に触れる機会をなくすということは異なるということですね。
その世界を知らないのはもったいないと思うんです。レッジョエミリアアプローチのローリス・マラグッツィの「100の言葉」という考えかたの中に、こんな言葉がありますよね。
「子どもには100とおりある。子どもには100のことば 100の手 100の考え 100の考え方、・・・(それからもっともっともっと)けれど99は奪われる。」
子どもたちはそれぞれに100とおりのいろんな世界や手段を持っているのに、これをやっちゃダメ、これをやりなさいと大人が言う中で、結局子どもがやれることは1しかない、というメッセージです。
選択肢をなくしてその世界をどんどん小さくしていくことは、子どもの可能性を閉じていくことと一緒。私も、子どもたちにはこんなのもある、あんなこともあるという大きな世界の中で、その子の心が動くものを見つけていってほしいなと思っています。そのために、子どもの声を聴き、子どもの姿に目と心を向けて、日々丁寧に関わっていきたい。
子どもたちが生活の中で興味を持ったものや慣れ親しんでいるものも、保育の中に活かしていく。遊びの中に社会(生活)で出会ったものが入ってくると、それをどう自分で実現しようかと子どもたちは工夫し、どんどん遊びが展開していったり、自然と文字や数字に触れる機会にもなるのだそう。
すごく楽しかったことを宝物として残してあげたい
乳幼児期の記憶ってみんな大体忘れちゃうと思うんですけど、すごく嫌なことか、すごく楽しかったことは残る。たかが遊び、されど遊びで、その中で自分がやりたいことをできた、挑戦できた、いろんなことを応援してもらったということって、子どもたち一人ひとりの中に残るんですよ。
だったら、すごく楽しかったことを宝物として残してあげたいし、たとえ記憶としては残っていなかったとしても、この時期に幸福度が高いと、前向きに生きていこうというエネルギーとして、その子の中に残っていくと信じています。
ー 最後に、夢があれば教えてください。
今の子どもたちが大人になったときに必要になる力は、答えがあるような生活の仕方ではなくて、自分で課題を解決できること。そう考えると、やっぱりもっと乳幼児期が脚光を浴びるべきだし、遊びが大事にされないといけない。
小学校が個別最適な学びと共同的な学びになっていけば、探究型の遊びとどんどんクロスしていくとも思うんですね。幼児期が遊びでそれ以降が勉強じゃなくて、幼児期からいろんなことを探究して調べたり深めたりしていたものが、小学校の授業でも答えをどうやって探していこうかというカタチに変わっただけで、そこにはつながりが必ずある。
僕たちは小学校の下請けじゃない。保育園や幼稚園は、子どもが育つ場です。幼児教育って本当に素敵なことだし大切なことなんだ、と言える社会になっていってほしいと心から願っています。
撮影:雨宮みなみ
この記事の連載
「子どもが子どもらしく育つ場を」ー ゆうゆうのもり幼保園(神奈川県 横浜市)
ゆうゆうのもり幼保園の名称の由来は、「悠々自適」と「遊(ゆう/あそび)」。
その名の通り、子ども一人ひとりのペースで遊びをたっぷりと楽しめる環境が、そこにはありました。