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「遊びは自分自身を好きになれる、最初のスタート地点」ー プレイワーカー嶋村仁志さんの考える、遊びの大切さ

三輪ひかり
掲載日:2020/09/04
「遊びは自分自身を好きになれる、最初のスタート地点」ー プレイワーカー嶋村仁志さんの考える、遊びの大切さ

TOKYO PLAY代表理事を務めながら、冒険遊び場のプレイワーカーでもある嶋村仁志さんに、「遊び」についてお話を伺っている、今回のインタビュー。

前編では、そもそも子どもにとって遊びとはどういうものなのかをお聞きしました。
後編では、遊んでいる子どもの隣にいる大人の在り方から、さらにお話をじっくりと聞いていきます。


子どものどう育ちたいかを「受信」する

ー 大人は子どもを見守り受けとめる「土壌のような存在」でいられるといいよねということでしたが、もう少し詳しくお話しいただけますか?

何より大切なのは、子どもが今どう育ちたいと思っているのかで、大人がどう育てたいかじゃないんだよね。だから「土壌のような存在」を他の言葉に言い換えるとしたら、大人は「子どもから受信する存在」でいよう、だと思っていて。

じゃあどうやって“受信”の感度をあげていくのか。そんなの、すぐには上がらないんだけど、その根本には、子どもだった自分が色々な場面で感じていた気持ちを改めてつかみ直すという作業を意識してみる必要があると思うんだよね。


ー 自分の子ども時代を思い出す、ですか。

俺が研修とかでよくやるのは、子どもの頃、どこでどんな風に遊んでいたかを思い出して「あそび地図」を描いてみたり、遊んでいた時に大切だった気持ちを「オノマトペで表現してみる」というワークなんだけど、大事なのはただのメニューとして遊びを思い出すんじゃなくて、その奥にある気持ちを思い出すこと。

たとえば、オノマトペのワークをやった時に「ふわふわ」っていう気持ちを出した人がいたんだけど、話を聞いてみると、「思いっきりずぶ濡れになって遊んだ後に、お母さんが持ってきてくれたふわふわのタオルがすごく嬉しくて」って。


ー 降園時に保護者と話しをする際、エピソードがあれば伝えたりすることもあるけれど、「今日は暑かったので水遊びをして、みんな楽しんでいました」なんてひと口に話しちゃうこともありました。でも、その遊びのどこに一番心が動いているのか、楽しんでいるのかは、一人ひとり違うんですよね。

だからこそ、そういう心が動いた場面やその時の気持ちを自分のなかにたくさん持っておく。そうすると、「目の前にいる子は、今こんな気持ちで、こうしたいのかもしれない」というアンテナがいろんな子どもの姿に反応できるようになるし、想像力が働きやすくなると思う。自分の中の感覚と目の前にいる子どもが繋がる、というか。

そうすると、目の前のいろんな素材も見え方が変わってきたりするんだよね。公園だったら、葉っぱや枝があると思うんだけど、自分の中に子ども時代の感覚があると、「こういうふうに遊ぶのも楽しそうだな」ってアイデアも無限に広がっていくし、子どもが想像していなかった遊び方をしていても、「それはワクワクするよなあ」って思えたりする。

だから、子どもと関わる人は「自分と会話する時間」を絶対持ったほうがいいよね。子どもたちも、いろんな人たちといるから育つ瞬間もあるけど、一人でいるから育つ瞬間ってあるじゃない。いろんなことをぼーっと考えていたり、ものを書いたり。大人もそういう時間に育つものがあると思うな。


答えは自分の中にある

仕事始めて3年目くらいまでは、「自分はあの先輩のように考えられないし、行動できていない。向いてないのかなー」って思うこともあって、ダメな自分ばかりが見えて結構辛かった。

でも、どう子どもの姿を捉えて、自分はそこでどう振る舞うのかについての答えは、他の人ではなくて自分の中にあるんだと思えた時から、俺、すごい楽になったんだよね。


ー ああー、わかります。その先輩の考え方とか関わり方が“答え”みたいに思っちゃうんですよね。

でも、外にある誰かの答えを真似したからって、全然うまくはいかないんだよね。子どもたちの姿も、その時その時で違うから、結局は自分で考えて行動しなくちゃいけない。

先輩にもよく「めだか(嶋村さんのあだ名)はどう思ってたの?」って聞かれてたな。

でもある時、遊び場でそんなことも言ってられない状況が起きて、悩んで考えたあげく、「そうか、俺がどう動くかは俺が決めていいんじゃないか」って思えたんだよね。この子がもっとこうなると楽になるよなとか、この子のこういうところを守りたいよなって思った時に、自分なりに辿り着いたことや想いが、まずは自分の答えになっていくんだって。そう思ったら、パーっとひらけちゃって。現場大好き!みたいな(笑)。

自分の中のこれ大事だよなっていう核の部分からスタートせずに、他の人や理論とかに正解を求めちゃってたから、全然子どもとは関わりきれなくて、「それでいいじゃないか」「本当に心配しているんだぜ」っていう言葉も心から言えずに正解を探していたのかもしれないね。でも、それが違うんだと思ったときからは、うまくいかなくて、結果的に方向転換することになっても、自分の答えを自分の中から見つけようって。そのプロセスが楽しくなってくると、「早く失敗したいなー」って思うようになっていって(笑)。


ー 失敗したいってすごいですね。

自分なりにやったことで失敗したと分かるんだったら、チャンスじゃんって。そう思ったら、それ以降は子どもと過ごす時間もめちゃめちゃ楽しくて。だから、失敗は失敗じゃなかったんだよね、結局。

あと、遊びとか関係ない部分になるかもしれないけど、子どもに関わる仕事をしていると、その子の陰の部分というかブルースみたいなものに気づく瞬間があると思うんだけど、それって、誰もが一様に気づけるわけじゃなくて、そういう葛藤を抱えながら生きてきた自分だからこそ気づいた部分だったりもするんだよね。

だから、今、目の前のその子をどう見るかとかどう関わるかって、全て自分と繋がっているんだよね。


受信して発見したことを語り合おう

ー なるべく子どものやってみたいという気持ちや、内から出てくるものを保証してあげたい。そう思ってはいるけど、今の保育環境だと難しい、他の職員との兼ね合いが…という人も多いんじゃないかなと思いました。

保育士さんの中に「土曜保育って好きなんですよ」という人いたりするよね。園児が少ないからじっくり見られるし、子どもが自由にできるから。


ー 土曜日って「◯◯しなきゃ!」みたいな場面が少ないんですよね。時間の流れもゆっくりだし。

そうだよねぇ。うちの子が土曜保育に登園した日も、パズルをやってたけどうまくいかなくて、ぱーっとどこかに走って行っちゃった時に、保育士さんが「どうしたの?」って声をかけたり、他の遊びに誘って楽しませようとしたりしないで、ただ何も声をかけずに待っていてくれたことがあるんだよね。

それだけのことだし、側から見たら何もしてないんだけど、他のことに誘導もせず、積極的に待っていてくれたってことが、すごくありがたいなと思って。思わずその保育士さんに、お礼言っちゃったもん。


ー それってまさに、子どもの姿をキャッチしての行動ですよね。普段の保育でもそうできるといいんだけど、なかなかそれが難しいというのも現実としてはあるんだろうなあ。でも、そこで「しょうがないよね」と諦めてしまってはいけないなとも思います。

俺はよく、「振り返りの時に、今日一日この子の何に喜べたかっていうのは、必ず一個は書こうよ」と言っています。いろいろやらなきゃいけないこともあって、バタバタ一日過ごしているんだけど、一個でもいいから子どもの姿から受信しようって。

同じ子を見てても、人によってその子の何に喜べたのかって結構違ったりするから、記録したものをベースに語り合えるとよりいいよね。同僚の感性の発見にもなったりするし。


ー 語り出すと、「子どもの感性や遊びって面白い」ということに気づいていきますよね。あとは、一人で自己対話をするのもそうだけど、同僚と語り合うことで、自分の中によりいろんな子どもの姿を思い描けるようになるから、受信する感度も高くなっていくような気がします。

語り合いの場を持って面白いなと思うのが、その人の感性が他の人に伝染していくんだよね。こういう感じ方もあるのねって単純にすごく勉強になるし、一人ひとりの感覚が共有できると、自然と結束感、チーム感みたいなものも出てきたりして。


遊びは、自分のことを好きでいいと確かめられる時間

ー 最後にひとつ。「なぜ遊びは子どもにとって大切なのか?」と問われたら、嶋村さんはなんとお答えしますか?

遊びは、自分で自分のことを好きでいいと確かめられる時間だと思うんです。

だって、遊びって「自分が楽しいと思うことを、楽しいと思ったままでいい」という状態でしょう。それってある意味、「僕、生きていていいんですよね」って、自分を肯定している時間になっていると思うんです。

しかも、それを「楽しいんだね、いいね」と言ってくれる人がいる。自分が好きだと思うことを、他の人も好きだと思ってくれるって、誰かにやらされているテストで100点取ってもらうOKとは、全然質が違うよね。


ー たしかに。

その子の中にこういう経験が積み重なっていくと、うまくいかないことにぶつかった時にも、「大丈夫」と自分自身にOKを出せるようになっていくと思います。

もちろん、遊ぶことで体や知能が育つこともあるけれど、でも、まず「自分のことを好きでいい」と当たり前に思える自分がいるってこと。それが、遊びがもたらす何よりも大切なものだと思う。

だから、遊びは全ての子どもたちに保証されてほしい。自分を好きになれる、スタート地点として。

嶋村仁志(しまむら・ひとし)

1968年8月6日生まれ、東京都出身。英国リーズ・メトロポリタン大学社会健康学部プレイワーク学科高等教育課程修了。
1996年に羽根木プレーパークの常駐プレーリーダー職に就いて以降、プレイワーカーとして川崎市子ども夢パーク、プレーパークむさしのなど各地の冒険遊び場のスタッフを歴任。その後フリーランスとなり、国内外の冒険遊び場づくりをサポートしながら、研修や講演会をおこなう。
2010年、「すべての子どもが豊かに遊べる東京」をコンセプトにTOKYO PLAYを設立。2005年から2011年までIPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)東アジア・太平洋地域副代表を務め、現在はTOKYO PLAY代表理事、日本冒険遊び場づくり協会理事、大妻女子大学非常勤講師。




インタビュー:雨宮みなみ
文・構成/写真:三輪ひかり

この記事の連載

プレイワーカー嶋村仁志さんと「遊びってなんだ?」を考える。

プレイワーカー嶋村仁志さんと「遊びってなんだ?」を考える。

私たちの日常のとても身近なところにある、遊び。
毎日、あなたの隣にいる子どもたちも遊んでいると思います。
でも、そもそも「遊び」ってなんだろう。
遊びにまつわる様々な疑問について、TOKYO PLAY代表理事を務めながら、冒険遊び場のプレイワーカーでもある嶋村仁志さんと共にたっぷりと考えてみることにしました。