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withコロナの今、保育現場から青山誠さんへの一問一答

三輪ひかり
掲載日:2020/05/30
withコロナの今、保育現場から青山誠さんへの一問一答

保育者のための語り場「保育語りbar」が、上町しぜんの国保育園園長の青山誠さんをゲストに迎え開催したオンラインイベント「語りBARのおつまみラジオ~Withコロナの今、現場からあおくんへの一問一答~」。

その場を通して語られていたことを一人でも多くの子どもと関わる人へ届けたいと感じ、イベントの内容を、ほいくるでも前・後編にわけて紹介させてもらうことにしました。

前編では、青山さんからの保育語りbarを主催する4人への質問を通して、感情の変化や語り合うことの必要性の話をお届けしましたが、後編では、イベントのタイトルにもなっている「青山さんへの一問一答」をたっぷりとお届けします。

保育語りbar

保育者のための語り場。保育者4人が主催し、活動をはじめて今年5年目になる。子どもに関わる大人たちが互いの立場、年齢や職の垣根を越えて語り合い、受け取るだけの学びではなく、みんなで学びあう場づくりを目指している。
https://www.facebook.com/hoikukataribar/

【メンバー】
石上 雄一朗さん(代表):
保育士。社会福祉法人東香会 上町しぜんの国保育園にて、4-5歳児を担当。副主任もしている。

神谷 潤さん:
保育士/保育の専門学校の非常勤講師。3-5歳児の異年齢クラスの担任。

田中 岳さん:
幼稚園教諭。5歳児クラスの担任。

三井 彩夏さん:
保育士。企業主導型保育園で2歳児クラスの担任。

【ゲスト】
青山誠さん:
社会福祉法人東香会 上町しぜんの国保育園園長

 

Q1:
コロナ後の保育はどうなっていくと思いますか?
不安から子どもたちがいたずらをするような姿が見られることもあるかと思うのですが、どう対応すればいいでしょうか?

青山さん:
そもそもいたずらって、大人から子どもの行動を見た時に、大人にとって不都合な行動を「いたずら」と呼んでいるだけで、いたずらをしようと思ってしている子ってあまりいません。

だから、自粛を終えて久しぶりに登園した時に動きや言葉が荒っぽくなることはあると思うけれど、それはいたずらではなくて、今までのこの2ヶ月程のことをどう受け取ったらいいのか、久しぶりにきた場所や人が変化していることにどうすればいいのか分からなくて起きていることだと受けとめたいよね。

大人は、自分の気持ちを言葉にすることで見つめ直していくけど、子どもたちは体で出すしかありません。ばか、うんちとか散々言ってみたり、駆け回ってみたり、戦いごっこでもいつもより激しいのをやってみたり。そうすることで、だんだんと落ち着いていくんです。なのでその時に、「それはやってはダメ!」と押さえつけてしまうのか、「まあ、そうだよね」と思いながら一緒に居るのか、大きな分かれ目になっていくと思います。

でも、そこでひとつ思うのは、子どもたちの心が表情や動きにどう現れているのかなと耳をすませていくことは、この機会だから特別にしていることではなくて、普段の保育でもやっていること。コロナ後に「わあーーーー」となっている子どもたちに「やめなさーい!」って言う人は、コロナがきていなくたってそうするでしょう、きっと。

つまりこれって、普段の保育を問われているということ。こういうことがこれからいろんな場面で出てくると思います。

Q2:
このコロナ禍、Twitterなどで多くの保育者がいろんな声をあげたことで、現場の状況や一人ひとりが抱えている怒りや不安が明るみにでたと思います。
それは良いことでもあるけど、「保育者って大変だとかやめたいとかばっかり言ってるよね」とか「でも結局、その次の行動は起こさないんだ」と社会から受けとめられて、よりピンチのほうに転がってしまっているんじゃないでしょうか?
保育者は、プロフェッショナルじゃない部分を見せてしまったんじゃないかなと感じています。

 厳しいね(笑)。でもそれは実際、毎日保育現場に立っているからこそ、同じ立場で頑張ってそこにいるからこそ、視線が厳しくなるのかなと思います。

プロかプロじゃないかという話もあるんだけど、同じような話のなかで「保育の質」という観点があるよね。例えば、保育は教育だからそれを社会にきちんと認識してもらうことで、社会的地位もあげようという動きなどもあるけど、でも実際保育している時に感じる価値って、もっと身近にあって手触りのあるものだったりするじゃない。「めちゃめちゃ疲れたけど面白かったなあ」とか、「今日捕まえたカマキリ明日どうしようかな、○○ちゃんはなんて言うかな」とか、そういうことを考えながらニヤニヤしながら一日を終えること。それが本当の価値だと思うんです。

だから石上くん(質問者)が感じているものって、毎日保育の現場にいるからこそ「どこに一番価値をおいて子どもと関わってる?明日も子ども来るんだよって。その子が来た時に、待ってたよって迎えてあげられる?」ということなんじゃないかな。

本当その通りだと思うけど、プロなんだからこそ収入などが保証され、社会的地位があがることも大事だとも思います。そこが保証されない限り、「場」が続いていても「人」が続かないでしょう。保育園はなかなかつぶれないけど、大好きな先生がいなくなっちゃうということが起こる。だから、子どもたちがいて、そこに人が続いていくということはすごく大事なことで、そのために動くことは必要だと思います。

あと僕は、保育者のこと信じていて。今回、Twitterで怒りや失望を露わにして呟いてしまった人も、そういう感情も持ちながらも、夜があけて現場に立てば「子どものことを待ってたよ」の人なんじゃないかなあって思うんだよね。

Q3:
コロナとともにあるという状況で、これから保育が始まります。不確かな情報がたくさんある中で、何を優先すればいいのか、何を軸にすればいいのか分からなくなりそうで不安です。
どう考えていけばいいでしょうか?

僕が大事にしたいなと思っているのは、「正直であること」かな。状況がどんどん変わっていくから、誰も本当のことは分からない。だからこそ、「分からないことは分からない」、「できないことはできない」と、正直に言うしかないんじゃないかなと思うんです。できないのにできる風に言うこと、分からないのに分かった風に言うことが一番よくない。正直にできないことは「できません、ごめん」って。

でもそこで、分からないからと一方的に行政や保護者からの申し出や情報を、その通りにやるのではなく、「分からないです。それってどういうこと?どこで、その情報得ましたか?」と伝えて、話し合っていくことが大事。園がまるで行政や保護者の下請けみたいに、これをやってほしい・やってほしくないをただ受けるだけになってしまうのではなくてね。

子どもたちともそう。「こっち(保育者)もぐちゃぐちゃでごめん」と伝えたり、「これがしたいのは分かるけど、今は無理なんだ。何か違う方法でできるかな?」と一緒に考えていくようにしたいなと思います。こういう時って、大人が大人に対応していこうとしてしまいがちです。保育者は保護者に、保護者は園に、園は行政にって。そうすると一番大切な「子どもたちに聞く」という作業を忘れてしまうけど、子どもたちもその場の一員であることを忘れてしまわないようにしたいよね。

Q4:
正直でいるって勇気がいるし、いろんな人の感情に触れていると自分の感情がどこにあるか分からなくなるので、自分の感情に気づくことにもコツがいるのかなと思います。
青くんは、どうやって正直でいるんですか?

慣れもあるかもしれないけど、僕の師匠の柴田愛子さんに「本音は育つ」と言われたことがあります。本音って出せば出すほど育つ。出すことに慣れるし、出すと自分ってこんな風に感じていたんだということが分かるよって。

普段保育をやってても子どもが泣いてた時に、「ママ行っちゃって寂しかったよね」と声をかけることで、子どもも「これがさみしいんだ」って気がつくことってあるよね。言葉と感情がくっついていくというか。

俺がいま正直でいられるのは、同じ現場で語り合える人がいて、正直になるのって大したことじゃないんだと思えるからだと思います。「これ言うと怒る人がいるかもしれない」と思って、正直に言えない人もいるかもしれないけど、実際そういう風に怒ってくる人っているけど(笑)、でもそこで終わりにしなきゃいいと思うんです。怒って終わりにするのではなくて、「なんで怒るの?」と聞けたら、そこからまたお互いに正直になって、対話ができるでしょう。

Q5:
この状況になって、改めて保育者の役割が問われていると思うのですが、青山さんの考える「保育者とは」をお聞きしたいです。

なんでもいいんだけど、順番はあると思っています。例えば学校と子どもの問題なんかを考えるとわかりやすいと思うんだけど、本来学校のための子どもではないですよね。それなのにいつのまにか学校に子どもが合わせるのが当たり前みたいになっている。おおまちがいです。

僕が今勤めてる園は去年開園したんですが、その時に職員たちと初めの一歩で確認したことは、「ここが元々原っぱだとして、近所の子たちは弁当でも持たされて遊びにきて、それを暇なおじいちゃんおばあちゃんが見ててくれて、すごく自由に過ごせましたと。そこに保育園というものが後からできました。でも保育園になった途端、お約束みたいなものができたり、やんややんや言ってくる大人がでてきて、原っぱだったらできていたことができなくなったとしたら、これ保育園ないほうがいいじゃんって。そうはなりたくないよね」と。

順番を間違えると、保育園のための子になってしまう。保育園のなかに入ってきた途端に、許されることと許されないことができてしまう。もちろん、人が集まると、都合・不都合は生まれるから現実的には許せないこともでてくると思います。でもそれは、お願いすればいいことなんだよね。

保育のはじまりってそんなにむずかしいことじゃなくて、2歳くらいの子が道端でしゃがんでたとしたらさ、どうしたのかなって思って隣りにしゃがみこむじゃん。「アリ、アリ」ってその子がつぶやいてたら、「アリだね」ってつぶやきかえすよね。ただそういうことだと思うんです。子どものとなりにいること。だから、道端や原っぱでも、保育できるって?保育園という箱ものを外された時に、保育できるって?それができなかったり、子どもといられないなら保育者ではないんじゃないかなと思います。

あと学生によく言うのは、「子どもの風景を見られる人」が保育者。子どもを見ている人じゃなくて、その子が見ている風景を見ようと思える人。

実際は、「あぁ、今日も俺うるさかったなあ」「子どものこと見ようとしてなかったなあ」という日のほうが多いんだけど、でも見えた日はすごく面白い。この人ってこういう人なんだっていうのが見えてくる。それが何より、保育の面白さだなと思っています。

***


前編はこちらからどうぞ。
「感情が過ぎ去ってしまう前に、たくさん話し合ってほしい」ー 青山誠さんが保育語りbarで語った思い。

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