「本当に子どもたちは幸せ?」うらら保育園の暮らしを支える、子どもとの距離感と問い
今回訪れたのは、東京都葛飾区にある“社会福祉法人清遊の家”が運営する、「うらら保育園」。
一つひとつこだわりのある、道具や環境。
一人ひとりが尊重された、時間の流れと関わり。
うらら保育園の豊かな生活の秘訣はどこにあるのか、主任の織田澤 笑子さんにお話を伺いました。
子どもの「やりたい」を保証する距離感
ー改めまして、今日はありがとうございます。うららの暮らしを覗かせていただくことも、笑子さんにお話を伺がうことも楽しみにしていました。
こちらこそありがとうございます。
でもわたし喋りが苦手で。緊張します(笑)。
主任の織田澤 笑子さん。柔らかな笑顔と佇まいがとっても素敵
ーうららで過ごさせていただいて一番感じたのは、“無理がない”ということ。それぞれがそれぞれのペースでいられるというか、ゆっくりと時間が流れる感覚があって、とても居心地がよかったです。
うららの暮らしでは、子どもたちが興味を持って没頭できることを大切にしていきたいなと思って過ごしています。
だから、「今はみんなで歌をうたう時間だよ」とか「折り紙を折る時間です」など、大人が今日はこれをやろうと決めることはないですね。
「今日は何をする?」という子どもたち同士のお喋りから1日がはじまって、基本的に子どもたちが自分の好きなところで、好きな仲間と一緒に過ごす。
もしかしたらそれを、居心地がいいと感じてくださったのかもしれません。
それぞれの「やりたい」やペースを保証するために、大人自身が心構えとしてすごく大事にしているのは、命令したり、強制したりすることはやめようということなんです。
ーたしかに、大人(保育者)の声が大きくなかったです。子どもとの距離感も絶妙だなぁと。
言っていただいたように、子どもとの距離感は大事にしています。
たとえば、ケンカが起きていたとしても、大人がすぐに止めることはしないでできるだけ見守る。
ぶつかり合うことで、力加減や自分・相手の気持ちを知ったり、気づいたりして学んでいくと考えています。
あとは、子どもたちが遊んでいる時にも、ついつい「何しているの?」と声をかけたくなりますが、子どもたちの世界に土足で入らないようにしていますね。
声をかけられることで、熱中していることが途切れてしまったり、拡散して遊びが終わってしまうこともあると思うので。
ーその絶妙な距離感を職員間で共有するのって、結構難しいのではないかと思うのですが、何か意識的にやられていることはあるのでしょうか。
自分たち(うらら)が大切にしていることを会議や雑談で話す中で、自然とこういうことを気をつけているんだ、大事にしているんだというのを職員たちが学んでいるということもあるのかなと思います。
あとは、何か感じた時はその場で伝えあおうよということは言っていますね。
だからもし、大人が大きな声で話しかけて子どもがびっくりしている場面とかがあれば、その場で伝える。
言いづらいなということが生まれるのももちろんわかるけれども、「それは子どもにとってどうなのか?」を第一に考えて、子どものことで気づいたことや感じたことがあれば伝えあうことは、日頃から行なっていることかもしれません。
ふりかえりから生まれる、うららの暮らし
ー「子どもにとってどうなのか?」を第一に考える。それを、日々忙しい保育現場の中で実践し続けていくのは簡単なことではないですよね。
本当に子どもたちがやりたいと思っていることを、自分たちはどこまで保証できているのか、子どもたちの発想を活かしきれていないんじゃないかということは、日々悩んでいますね。
だからこそ、「これって本当に子どもたちは幸せなの?」、「本当に嬉しいのかな?大人に付き合わされていない?」ということを、日々ふりかえりながら、よく話しています。
ー「話をする」ということが、うららさんらしさを作り上げるひとつの大事な習慣なのかなと感じました。考えたり、話したりする場が、本当にたくさん作られていて。
そうかもしれません。
毎日お昼に昼礼という時間があって、「今日こんな子どもの姿があったよね」という情報共有やふりかえりは細かくやっていたり、職員会議ではテーマを設けて対話をする時間もありますね。
部屋にも写真やコメントがいくつか飾ってあったと思うんですけど、あれを作ることで、職員自身が子どものことやその物事のことを見つめ直したり、新しい気づきや子どもたちを理解することのひとつになっているかなと。
一人ひとりを理解するためには、どんなことができるのか。
話し、ふりかえりながら、日々模索しています。
子どもがやりたいと思ってやる時、大人はいらない
さっき子どもとの距離感の話がでましたけど、子ども自身の「やりたい」を保証しようと思って関わっていると、「本当に子どもがやりたいと思ってやる時には大人はいらない」ということにも気がつくんですよね。
ーどういうことでしょう?
今日、職員室の前で提灯を作っていた子がいたと思うんですけど、幼児三家のひとつの川村家(幼児クラスは、担任の苗字を入れて「◯◯家」と呼んでいる)で「なにしようか?」と話をしていた時に「おまつりしたい!」と。
「じゃあおまつりって何がある?」という話になったら、「たこやき」「わたあめ」と色々でてきて、その中に「提灯」もでてきて。
「よしじゃあ作ってみよう!」となったんです。
でも作り方がわからない。
そこで、うららの大人で以前作ったことがある人がいることを伝えると、その人に聞きに行って、作り方の情報をゲットして。
そのあとも、その日にみんなが作りたいかというとそうじゃなかったりするので、2〜3人のやりたい子がやって、次の日にはその子たちが教える人になっている…いう姿が自然とありました。
ーもしそこで、みんなが同じタイミングで取り組まなくちゃいけない、失敗しないよう援助しなくちゃいけないと思って、大人が働きかけていたら、摩擦や無理が起きて、こういう子どもたちの姿はなかったかもしれない。
そう思います。
それぞれがやりたいことをやって、満足できることがたくさんあると、自然と心にもゆとりができる。
そうすると、次のやりたいが育まれたり、誰かが困っている時に助けたいな、今なら手を差し伸べられそうかなという気持ちも生まれてくるのかなと思うんです。
幸せの原風景でありたい
うららのコンセプトに「下町の長屋暮らし」というのがあるんです。隣り同士のおうちで暮らしている、擬似家族がいるというイメージなので、その家族のなかで大人(担任)はお父さん役だったり、お母さん役になっていて、その中に兄弟がたくさんいる感じなんですよね。
だからクラスの中で、長男、次男、長女…っていうのを子ども自身も知っていたりして、きょうだい関係のなかでも、優しくしてもらっている、助けてもらっているという経験がたくさん起きていて、引き継がれているような姿があったりします。
大人は「長男/長女なんだから」という声かけはしないように気をつけているんですけど、困っている妹や弟がいると手を差し伸ばしたりする姿が自然と見られたり、でも逆に長男や長女がだらっとしているところに、「もうごはんだからね!」と末っ子たちが言いにいったりすることもあったりして(笑)。
大人に言われたからやるんじゃなくて、自分ができる時にできることをお互いにして、支え合っていく。
ああ家族って、本当にこういう感じだよなあと、毎日感じています。
ーこれからもうららの生活は続いていくと思うのですが、子どもたちにとってどんな場でありたいですか?
それぞれが自分らしく生きていて、でも人と繋がる心地よさも感じられる。そんな自分の居場所が、うららの中にあったら嬉しいですね。
そして、うららを離れたあとも、懐かしい場所になったり、自分自身をふりかえることのできる場所になれたらなと思います。
いま実際に、うららで子ども時代を過ごした人が保育者として戻ってきていたりするんですよ。
うららで過ごした乳幼児期が、なんか幸せだったなと思う場であってほしい。
一人ひとりにとっての幸せの原風景になっていってほしいと、心から思っています。
取材・文:三輪 ひかり
写真:雨宮 みなみ