『通じ合う保育』〜みんなが心地よい保育って?〜
「保育士に憧れて保育士になったけど、実際はきつくて、ほんとは私にはむいていないかもしれない・・」
こんな話をよく聞きます。
確かに事務仕事はたくさんあり、保育室の管理、保育の準備、保護者の対応、そして何よりも子どもたちをまとめるという大仕事。
実際の保育現場というものは、そう甘いものではありませんね。
“純真な子どもに関わる聖職”というイメージとはかけ離れたところに自分がいるように感じる事もあるでしょう。
いつも頭の中にあることと言ったら、
「子どもたちが問題を起こさないで平穏に日々をやり過ごすこと」
こんな風に思っている人も多いのではないでしょうか?
実は、私にもそんな時期がありました。
でもその時、
『こんなはずではなかった。自分の保育はもっと違う。』
という思いも同時に沸々と湧き始めていました。
なんだか愚痴のように聞こえるかもしれないこの思いこそ、それまでと違う新しいものを見出す為の“可能性”のたまごなのです。
では、“自分の保育”とはどんな保育で、どうしたら“自分の保育”ができるのでしょう?
まずは、もっともっと、子どもたちと向き合ってみてください。
なぜなら、そのヒントはきっと子どもたちが持っているからです。
子どもたち一人ひとりが何を感じ、何に興味を持ち、今この瞬間何を考えているのか・・
そんな事がキャッチできた時、そこから保育者自身が何を発信するか、様々な選択肢が出て来るのだと思います。
保育園では、お昼寝の時間がありますよね。
時に、子どもも大人も苦痛に感じることってありませんか?
おそらくその時間、保育者側の頭の中には、
「早く寝てくれないと、お便り帳が書けない」
「お昼寝の時間に明日の準備をしたい」
「とにかく早く静かになってほしい」
など色んな思いがあると思うのですが、一方で、子どもたちとしては、
「ねむくない」「つかれてない」「あそびたい」
といった思いや言い訳があるでしょう。
この状態では、保育者対子どものぶつかり合いの場となって来ることは一目飄然ですね。
その場の雰囲気は、ピリピリしていて、子どもたちの中には不満と不安、反発心などが生まれてくるでしょう。
保育者は必死に早く寝かそうとしているのですから。
こうした保育者のピリピリ感はエネルギーとして子どもたちに伝わって行きます。
子どもがよく寝付く状態とはどんなものかというと、それは心が安らかな状態「安心」です。
ピリピリしたエネルギーの中には安心はありませんよね。
暖かく、ふんわりしたエネルギーの中にこそ、安心が生まれるのだと思います。
お昼寝の時間のようなぶつかり合う雰囲気は、他の時間にも起きていると思います。
それは、保育者が子どもたちに何かをさせなければならない時です。
制作の時間、運動会や発表会の練習、朝の会や帰りの会・・・
保育者が子どもたちに何かをさせる時ほど、このエネルギーのぶつかり合いが起こりやすいのです。
では、ぶつからないように、そしてやる必要があることをやるにはどうしたらいいのでしょう?
それは、まずは相手(子ども)が今、何を感じ、何をしたいのかを知ること。相手を受け止め、相手の立場を知ることが大切です。
それから、こちら(保育者)が今、何を感じ、何をしたいのか、を伝えます。
このようにして、一緒にやろうという雰囲気を作ってみましょう。
そこにあるのはエネルギーの循環です。
まぁるい雰囲気で、保育者と子どもたちが通じ合っている・・
そんな感覚になるでしょう。
たぶん、冒頭に書いた“自分の保育”をしている瞬間を感じるのは、こんな場面ではないでしょうか。
お互いに押し付け合うことなく、お互いを受け入れ合うことによって、「人と人とのつながり」のようなものが生まれてくるでしょう。
保育は“大人”と“子ども”…“優っている者”と“劣っている者”という関係ではありません。
大切なのは“人”と“人”との関係づくりなのです。
お互いが安心して通じ合っている…
そんな関係を子どもたちと作ることこそが、保育の楽しさに繋がると思っています。
こんな話をよく聞きます。
確かに事務仕事はたくさんあり、保育室の管理、保育の準備、保護者の対応、そして何よりも子どもたちをまとめるという大仕事。
実際の保育現場というものは、そう甘いものではありませんね。
“純真な子どもに関わる聖職”というイメージとはかけ離れたところに自分がいるように感じる事もあるでしょう。
いつも頭の中にあることと言ったら、
「子どもたちが問題を起こさないで平穏に日々をやり過ごすこと」
こんな風に思っている人も多いのではないでしょうか?
実は、私にもそんな時期がありました。
でもその時、
『こんなはずではなかった。自分の保育はもっと違う。』
という思いも同時に沸々と湧き始めていました。
なんだか愚痴のように聞こえるかもしれないこの思いこそ、それまでと違う新しいものを見出す為の“可能性”のたまごなのです。
では、“自分の保育”とはどんな保育で、どうしたら“自分の保育”ができるのでしょう?
まずは、もっともっと、子どもたちと向き合ってみてください。
なぜなら、そのヒントはきっと子どもたちが持っているからです。
子どもたち一人ひとりが何を感じ、何に興味を持ち、今この瞬間何を考えているのか・・
そんな事がキャッチできた時、そこから保育者自身が何を発信するか、様々な選択肢が出て来るのだと思います。
保育園では、お昼寝の時間がありますよね。
時に、子どもも大人も苦痛に感じることってありませんか?
おそらくその時間、保育者側の頭の中には、
「早く寝てくれないと、お便り帳が書けない」
「お昼寝の時間に明日の準備をしたい」
「とにかく早く静かになってほしい」
など色んな思いがあると思うのですが、一方で、子どもたちとしては、
「ねむくない」「つかれてない」「あそびたい」
といった思いや言い訳があるでしょう。
この状態では、保育者対子どものぶつかり合いの場となって来ることは一目飄然ですね。
その場の雰囲気は、ピリピリしていて、子どもたちの中には不満と不安、反発心などが生まれてくるでしょう。
保育者は必死に早く寝かそうとしているのですから。
こうした保育者のピリピリ感はエネルギーとして子どもたちに伝わって行きます。
子どもがよく寝付く状態とはどんなものかというと、それは心が安らかな状態「安心」です。
ピリピリしたエネルギーの中には安心はありませんよね。
暖かく、ふんわりしたエネルギーの中にこそ、安心が生まれるのだと思います。
お昼寝の時間のようなぶつかり合う雰囲気は、他の時間にも起きていると思います。
それは、保育者が子どもたちに何かをさせなければならない時です。
制作の時間、運動会や発表会の練習、朝の会や帰りの会・・・
保育者が子どもたちに何かをさせる時ほど、このエネルギーのぶつかり合いが起こりやすいのです。
では、ぶつからないように、そしてやる必要があることをやるにはどうしたらいいのでしょう?
それは、まずは相手(子ども)が今、何を感じ、何をしたいのかを知ること。相手を受け止め、相手の立場を知ることが大切です。
それから、こちら(保育者)が今、何を感じ、何をしたいのか、を伝えます。
このようにして、一緒にやろうという雰囲気を作ってみましょう。
そこにあるのはエネルギーの循環です。
まぁるい雰囲気で、保育者と子どもたちが通じ合っている・・
そんな感覚になるでしょう。
たぶん、冒頭に書いた“自分の保育”をしている瞬間を感じるのは、こんな場面ではないでしょうか。
お互いに押し付け合うことなく、お互いを受け入れ合うことによって、「人と人とのつながり」のようなものが生まれてくるでしょう。
保育は“大人”と“子ども”…“優っている者”と“劣っている者”という関係ではありません。
大切なのは“人”と“人”との関係づくりなのです。
お互いが安心して通じ合っている…
そんな関係を子どもたちと作ることこそが、保育の楽しさに繋がると思っています。