「どの子にもうれしい保育をしませんか?」臨床保育の専門家・野本先生が提唱する子ども支援のあり方
前編では、子どもの観察の仕方や保育ならではの子ども理解について、中編では、子どもを見守るということについてお話をしてくださった臨床保育の専門家の野本茂夫先生。
後編では、障がいのある子がいる保育をどう考えていくのかという視点から、さらに話が深まっていきます。
野本茂夫 先生
臨床保育の専門家
國學院大學人間開発学部准教授、教授を経て、現在は地域の巡回保育相談員、発達相談員をしながら保育者研修会講師、園内研究会講師などを務めている。
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障害児教育と幼児教育を大学で学び、巡回保育相談や園内研で保育のお手伝いや保育者養成の仕事をしてきました。園にうかがい始めたころは、園児に「おにいさんせんせい」と呼ばれたこともありました。その内に「だれのパパなの?」、「おじさんだれ?どこからきたの?」と園児に話しかけられ、やがて「おいしゃさんなの?」、「えんちょうせんせいのおともだちなの?」と尋ねられました。忘れられないのは、年度はじめの頃に幼稚園の年少さんの組に入ったとき「ねんちょうさんなの?」と言われたことです。そして、今では「だれのおじいちゃんなの?」と云われています。思い返すと保育にかかわりはじめてから随分長い時間が過ぎたなあと思うこの頃です。
「障がいのある子のいる保育」を考える
障がいのある子の保育を考えようとするとき、障がいのある子どもだけ見てなんとかしようと思いがちです。でも、そうではなくて、「障がいのある子のいる保育」を考えたいなと思うんです。もっと言えば、障がいがあると思って見ているのはこっち側の大人だけで、幼児期の子ども達は別にそんなふうには受け取っていないので、障がいがあるのかもしれないと大人が感じているお子さんのいる保育というのが正確な表現になるでしょうか。
障がいがある子がいる保育って、本当は幸せなうれしい保育だと思うんです。障がいがある子がいると、より丁寧により時間をかけてその子の育ちを細かく見ていったり、仲間との関係もより丁寧に読み解いて、育つプロセスを理解しようとしたりしていくでしょう。そういう視点で子どもを見ていくことができると、他の子どもたちに対しても、もっとこういう支援が必要じゃないかということが見えてきます。そして、それがどの子にもうれしい保育へとつながっていく。そこのところを丁寧にやらないで、ごまかしながら保育をしていると、子どもが合わせてくれているからできる保育をしていることが多くなってしまいます。
ー こどもが大人に寄り添ってくれるから保育が成り立っている、という状態になってしまうということですね。
そうです。子どもが保育者の言うことを聞いて合わせていくような保育って、未だにまだまだあると思います。障がいがあると言われている子は、そういう保育の現状にあるよ、子どもが無理しているよ、このままの自分で居られていないよ、という子どもの姿にも気づかせてくれます。だから、本当は、障害のある子どもはいろんなことを教え、気づかせてくれる、ありがたい存在なんだということです。そういうふうに考えながら日々保育をしていくと、小手先で困った子どもを意図するように動かして保育をまとめようとするのではなく、保育全体がより良くなっていくような保育に変わっていくし、保育者自身も今まで気づかなかった世界が見えたり、保育のやりがいが生まれたりするのではないでしょうか。
ー 私たち大人は、子どもが集団に入ることができなかったり、大人が困ったと感じるような行動をしているときに、「その子を支援してあげよう」、「できないことをできるようにしてあげよう」、「変えてあげよう」と思ってしまいがちです。でも、野本先生のお話をお聞きしていると、そもそもそう思うこと、そこから支援をスタートすることが間違っていたのかもしれないと気付かされます。
子どもを変えようという保育をすると、「昨日うまくいったのに、今日はうまくいかない」というような「そこ、ここ」だけでの視点で子どもを見て終わってしまう。でも保育って、長い目で見なくちゃいけないんですよね。大人からしたらうまくいかなかったと感じるような行動や出来事もいろいろあるのですが、その中で子どもはいろんなことを経験したり、気づいたり、学んだりしていて、それが積み重なって、1年後、2年後、あるいは近いところでいえば1週間後、1ヶ月後、3ヶ月後に、ようやくあの日の姿(経験したこと学んだこと)はここにつながっていたんだな、とわかるのが保育だと思います。
ー どうすればそういう長い視点を持って子どもを見守ることができるでしょうか?
振り返りがとても大事だと思います。やりっぱなしの保育はやっぱり良くなくて、どういうふうにしてこの子が育ってきたのか、どういう関わりがあったり支援があったりしたのか、他の子どもたちとどう一緒に育ち、どんな関係があったのか、それらはどう変わってきたのか・・・。そういうことの総体として見ていくのが保育で、それをするためには保育の振り返りが必要です。私は、こうした視点で見通しを持って子どもの育ちを考えられるのは、保育をしている先生たちにしかできないことだとも感じています。保育者のみなさんがしている行為は、本当に専門性の高い仕事なんです。
幼稚園や保育所には、外国からいらしている子どももいるし、障がいがある子どももいます。普通と言われている子どもたちも、育っている環境は一人ひとり違って、誰一人として同じ子はいません。そんな多様な子どもたちが生かされるような保育をするためには、保育の専門性を持って、一人ひとりの子どもを見て行くことが必要ですよね。
ー たしかに、保育者が言ったことに対応ができる子どもたちは「〇〇組の子どもたち」「◯歳児の子ども」と大きな枠組みの中で捉えられがちな気がします。
そうしてみんな一律で揃えようとするから、子どもも大人も苦しくなるんだろうなと思うんです。家庭で生活し育っているときは、一人の子どもを複数の大人がじっくり見ますよね。それが、保育所や幼稚園だからといって単純に薄まっていっていいはずがないと、私は思うんです。子どもを育てるということは、そのくらい手間暇かかるし、時間がかかる。そして、それがとても大切なことなんです。
保護者との連携、保育園という場所。
ー ここまでは、子どもとの関わり方や保育のあり方についてのお話を中心にお聞きしてきましたが、幼稚園や保育所で子どもの育ちについて考えるとき、保護者も欠かすことのできない存在かと思います。しかし、子どもの抱えている困難さや療育の話などをどのように保護者に伝えればいいのか、どう連携すればいいのかと悩む保育者さんも多いと思うのですが、野本先生はどのようにお考えですか?
保護者への伝え方、本当に難しいところだと思います。保護者の方は、子どもと毎日一緒に生活をしているわけですから、他の人以上に、子どものことをよく知っているし、感じているし、いろんなことに気づいたりしています。子どものことを一番よく知っている、と言っても過言ではありません。でも、子どものことがよく理解できているかというとそうではなくて、保護者自身も困っていたり、不思議に思ったりしていることもいっぱいあるわけです。
でもそれを、「お宅のお子さんは、他の子と違ってこのままじゃダメです」というような判断をされると驚きます。というのも、これまでは、障がいがあろうが、何があろうが、家庭の中でその子は当たり前に生活できているんですよ。家族として一緒に生活するということが日常になっているので、それなりの生活はできていて傍目に思うほど不自由はないと言いますか、外から見てると困ったことが起きているみたいに見えるけれど、その困ったことも含めて日常になっているのが家族かなと思うんですね。
だから、「それではいけないんですよ」みたいなことを、外に出たり社会に出ると言われたり、指摘されたりしたとき、それを受け入れるってやっぱり簡単なことじゃないんですよね。ただ受け入れて、あ、そうですかと済む場合もあるだろうけれども、大抵はもっと根本的な家族全体のあり方も問われるようなことだったりするし、やっぱり不安な気持ちにもなるでしょう。専門機関にすぐに行った方がいいのでしょうか?幼稚園に来るよりもそっちへ行った方がいいんですか?みたいに思ったりすることもあると思います。
そのときに、保護者の気持ちを十分に受け止めてあげられていないと、うちの子は変な子なんだ、異常な子なんだとか、小学校入ってどうなるのかなとか、中学校、高校行けるんだろうかということが頭をぐるぐる回りはじめます。大学も多分行けないんだ、将来どうなるんだろうか、仕事できるんだろうか、私たちが死んだらどうなるんだろうか・・・というところまで、きっと考えてしまいます。保育者のみなさんにはそこまで想像してみてほしいなと思います。
ー 保護者にとってはお子さんは、一生育ちを見守りつづける大切な存在ですものね。
私は、(障がいという)レッテルを貼られることを「(その子の特性を)受け入れる」と言うだけではなくて、その子どものことを理解するということが子どもが育っていく上で大切なんだ、子どもが育っていくためにはより良い支援を受けられるようにできるといいんだ、というようなことも解っていくということが「受け入れていく」ということにつながるのではないかと考えています。つまり、保護者の方が説得されてではなく、保護者も納得して「この子はこういうふうに育っていける子なんだ」と思っていけるようになることが大事なのです。だから、時間がかかります。何年もかかると思います。
子どもは変わっていきますよね。最初は、この子はこのまま一生変わらないんじゃないかと不安に感じてしまいますが、どんな子にも一人ひとりの生き方があるので、ちゃんとその子の楽しみや喜びもあって、その子なりの幸せな生き方になっていきます。家族にとっても、この子なりに楽しいんだって、それを見ることで喜びがあったり、この子がいることで、以前よりも家族の中が楽しくなったりとか明るくなったりとか、お友だちが増えたということもあるのではないでしょうか。そういう経験をしながら、この子と一緒に生活していけるんだなって思えるようになってくるといいのだと思います。
だから、やっぱり一歩ずつの歩みです。保育者さんはそこに寄り添いながら、その子の園での姿などを共有していく。園での生活が安心できて、充実したものになっていくと、保護者の方も、もっとこういう支援がもらえると良さそう、療育もあるなというような気持ちに少しずつなっていくのではないかなと思います。
以前、子どもたちに「なんで幼稚園に行くの?」と聞いてみたことがあるんですけど、「〇〇ちゃんと一緒に遊びたいから」、「〇〇くんがいるから」と言うような表現をする子が多かったんです。私はその言葉を聞いて、幼稚園や保育所はどの子どもにとってもそういう場所であってほしいと心から思いました。
園に行って、自分で何かをする。つまり、そこで主体的に生きているかどうか、 保育という環境が自分を生きるための場になっているかどうか。それが子どもたちにとって、とても大切なことなのではないでしょうか。
撮影:雨宮みなみ
写真の一部ご提供:一般社団法人うるの木・wacca
インタビュー場所ご提供:草笛保育園
この記事の連載
臨床保育の専門家・野本先生の考える、保育の「子ども支援」と「子ども理解」。
一人ひとりの子どもたちに幸せな子ども時代を過ごしてほしい、園生活の中でも一人ひとりがその子らしく過ごしてほしいと願うならば、私たちにできることは、読者のみなさんと一緒に考えたり、子どもたちに思いを馳せる時間をつくること。そう考え、今回臨床保育の専門家である野本茂夫先生にお話をお伺いすることにしました。
「むずかしい子は許されなかった子」臨床保育の専門家・野本先生の言葉から考える、子どもの見守りかた。
中編では、保育士としても働く、聞き手の三輪が感じている難しさから「子どもを見守る」ということについて、話を伺っていきます。
「よしこせんせいって、まあちゃんのせんせいなんでしょ?」臨床保育の専門家・野本先生番外編
最後に、発達の気になる子とその子に加配としてついた保育士のエピソードを番外編としてお届けします。