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「“私はやらない”にも、その子の判断があるんだ」ー造形遊び実践家・矢生秀仁さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.3【後編】

三輪ひかり
掲載日:2023/04/07
「“私はやらない”にも、その子の判断があるんだ」ー造形遊び実践家・矢生秀仁さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.3【後編】

今回お話を聞いたのは、造形遊び実践家の矢生秀仁さん。

前編では、環境デザインという視点から子どもと表現に関わることを決めた理由や、表現活動をする中で気づいた子どもの姿について語ってくださいました。

後編では、どのように子どもたちの世界を大切にしながらそこへ近づいていっているのか、ワークショップでの矢生さんの在り方から話を伺っていきます。

子どもの世界をどう見るか

やらないという子と、それを見守る大人。

表現活動というのは、自分が感じたことや想像したものを表に現すということ。なので、楽しいけれど難しくもあるし、でもその難しいという中で起こる試行錯誤や葛藤も表現することの醍醐味で、そこに保育でいう育ちもあると思っています。

だから、造形活動を保育の中でやる時に、子どもたちがみんな同じものをつくれるように“教える”のか、プロセスも含めて一人ひとりの表現を大事にしたいと考えて“見守る”のか。保育観によって、保育は大きく変わってくるなと思うんです。

僕自身は、思う通りにアイデアが浮かばなかったり、作れなかった、というプロセスも含めて造形表現の時間だと考えているので、子どもたちのリアクション全てがゴール、と思っています。

たとえば、僕が工作のワークショップで「飛行機を作って遊ぼう!」と提案したときに、「私はやらない」と積み木をやっている子がいたら、「それでいいよね」と。この材料で飛行機や空の世界を作れる・遊べるという遊びや方法と出会ったこの子が、出会ってなお「私は積み木がやりたい」と言うならば、そこにその子の判断がある。「そっかそっか、じゃあやりたくなったらいつでもおいでね」と、他の遊びをするということも含めて、どこまでも子どもたちに委ねています。

子ども一人ひとりの判断を尊重することを、何より大切にしているんですね。

安心して表現できる場づくり

ただ、「やらない」という判断をした子の中にもいろんな“やらない”があるということを見落としてはいけないなとも思っています。たとえば、本当に積み木遊びをしたいからやらないという子もいるけれど、本当は工作がやりたいけど不安だから「積み木やる」という子もいるじゃないですか。


ー 不安から“やらない”を選択する子どもの姿かもと思ったとき、矢生さんはどうされているんですか?

不安な気持ちから“やらない”を選択している時って、上手、下手を気にしているか、自分のアイデアを気にしているか、失敗を気にしているかということが多いなと思います。

なので、たとえば僕は、上手、下手を気にしない雰囲気づくりとして、導入で見本をうまく作らないようにしています。その年齢の子どもたちの育ちの線やカタチに合わせる。先生がきれいに丸を切ると、「先生やって」「ぼくできない」と言う子がいたりしますよね。丸一つ切るにしてもぎこちない丸にするんです。

前半に紹介したペープサート遊びの見本で自分を描く時も、僕がそのまま大人の線でひでちゃん(矢生さんのあだ名)人形を描くと、多くの子は「ひでちゃんうまいね!私のも描いて描いて!」となります。だから、クラスに入ったら、ふだんその子たちが遊びの中で描いている絵や線などを参考にしながら、子どもたちの線に近いひでちゃん人形を描きます。

そして、その絵で、「みんなお絵かき終わったら一緒に遊ぼうね」と、子どもたちの周りを回ります。そうして、絵のハードルを下げるというか、安心を作るということをやっています。


実際に導入で矢生さんがつくる見本のペープサート

あとは、上手、下手を気にしているのって、先生や保護者など周りの大人が上手にできた子を褒めるクラスに多いんですよね。大人たちは、下手な子をどうこうは言わないですけど、上手な子を褒めるということは無意識にやってしまいがちなんです。そうすると、だんだんそのクラスには上手、下手の意識ができてくる。

幼児期の表現って、月齢差や家庭環境、普段の遊びなど、その子の背景によってかなり違いがあるものなのに、作品として目に見えるから、大人は線のきれいさ一つとっても、つい評価といいますか、他の子のものと比べてしまいがちになります。でも比べるものじゃないし、それぞれの線やカタチに魅力がある。それを大切にしたいなと思っています。


ー 導入を丁寧に行うことで、安心して表現できる場を作られているのですね。子どもたちが手を動かし始めてからも、安心できる場づくりとして何か心がけていることはありますか?

「教える立場の人にならない」というのを心がけています。具体的には、僕は、先ほどお話ししたように見本を最小限にしか作らないので、子どもたちが手を動かし始めたら、その見本に付け足していったりしています。

たとえば車を作る時も、「こんな工夫もできるよ」「もっとこう作るといいよ」などと教えるんじゃなくて、僕自身が自分の車をそのやり方で作っていきます。
そうすると、こどもたちはその方法に自分で気づいて、心の中で「あ!それいいアイデアだね、わたしもやってみよう!」という感じで取り入れたりします。

こんな風に、教える立場にならないふるまいや関わりというのも安心につながるかなと思いながらやっています。


ー 矢生さん自身も作り手となって、その場で子どもたちといっしょに手を動かしているんですね。

そうですね。一番は子どもたちを見ているんですけど、子どもを見ていないように見ることが大事だと思っています。やっぱりこうじーーーっと見られている感じって気になるじゃないですか。だから、同じように自分も手を動かして作りながら、子どもたちが気づかないように様子を見るようにしています。

子どもの世界に近づくために

想像力を持って見守る

ー 自由に表現していいよという場をつくろうと思うと、子どもがびっくりするような行動にでたり、想定の範囲外のことをし始めて、どこまでOKしていいのかな・・と悩む保育者の方もいると思うのですが、矢生さんは子どもたちの姿や表現を見て、戸惑っちゃうようなことってないのでしょうか?

そうですね・・・多分ないです(笑)。もちろん、他の誰かが困るようなことであれば、話もしますが。そういう場合も含めて、「おぉ、そうくるのか」と素直に受けとめて、できる限りそれができるように環境の方を合わせていくようにしています。

あとは、そういう子どもの姿や思いを、どう大人に伝えるかということは、すごく重要だなと思っています。というのも、造形活動は、作品自体は残るからあとから誰でも見ることができますが、一方で、形に残らないプロセス、子どもの気持ちや姿の価値はとても大きいのだけど、大人が見ようとしなければそこって見えてこない。つまり、大人の捉え方が大切なんですね。
なので、ワークショップ中も、子どもたちと作りながら遊ぶ以外は、ほとんどの時間、担任の先生と子どもの見方を共有するということをやっています。

この間は、2歳クラスで造形遊びをしたんですけど、そのクラスの子たちはセロハンテープをあまり使ったことなかったんですね。だからテープそのものが新鮮で、テープを長く出してみたり、何度も同じところに貼ったりする子がいたんです。その使い方に担任の先生が、注意しようかどうしようか戸惑うような場面があったんですね。

そこで、テープを長く出す子に対しては「あれはセロハンテープを無駄遣いしているというより、力加減がわからなくて、ちょっとずつ力加減を試しているのかもしれませんよ。」と捉え方を伝えたり、何回も同じところに貼っている子に対しては「同じところに何枚も貼らなくてもいいんじゃない。って教えたくなるかもしれないけど、ちょっと待っててみましょう。ただ何枚も貼れることが楽しいのかもしれないし、もしかしたら何か意味を見つけるかもしれないし」と声をかけて、一緒に待ってみました。

するとしばらくして、「ねぇ、みて!キラキラ!」とその子が言ったんです。

セロハンテープの「反射」に面白さを見つけたのですね。その姿を見て先生も「なるほど、そんなこと考えていたんですね、面白い!声をかけなくてよかった。」と、子どもの見え方が変わったということがありました。

「ちょっと待って」と子どもに声をかけるのは間違っているわけではないけど、まずは、「何か考えているのだろう」「きっと何か見つけるだろう」と待つことを大事にしたいなと思っています。


ー 今のお話を聞いて、待ったり、見守っている時の矢生さん自身が、すごく想像力を持たれているんだなと感じました。

そうですね。子どもたちの目線をできる限り想像するというのは、とくに大事にしたいなと思っています。

「絵を描きださない」という姿一つとっても、その子が考えを巡らせているからなのか、周りの評価を気にしているからなのか、それとも描きたい描きたくない以前に友だちと喧嘩したあとで気持ちが向かないのか・・・などなど、子どもの数だけ理由がある。

だから、「どういう思いや背景があるんだろう」というところまで想像しながら子どもたちを見ていくと、またそこでの自分(保育者)の在り方も変わってくるんじゃないかなと思います。

子どもの作った世界へ入ってみる

ー  最後に、矢生さんが子どもの世界へ近づくためにやっていることがあれば教えてください。

造形遊びの場面でいうと、いつも気にかけているのは、小さな声で話すこと。子どもたちへのリアクションってつい「わー!!〇〇ちゃんすごいね!」などと元気に大きくリアクションしてしまいそうになるけれど、そうすると本人だけでなく、周りの子にまで影響をあたえてしまいます。なのでその子だけに伝わる声の大きさとかアイコンタクトとかいいねのジェスチャーでやりとりをするようにしています。

そうすることで、大人の影響力は薄くなっていくので、それぞれの子どもたちの世界を大切にできるのかなと思っています。

もう一つは、「上手だね」、「綺麗にできたね」というような評価する言葉の代わりに共感するような言葉でやりとりをすることです。どういうことかというと、ごっこ遊びするみたいに声をかけるんです。


ー ごっこ遊び、ですか?

たとえば、こどもが乗り物を描いたんだったら「これ乗ってみたいなぁ!」とか、食べ物だったら「ちょっと味見していい?おいしいね」という感じ。これって評価ではなく、こどもの表現した作品や世界に共感して楽しさを共有することだと思うんです。
そうすると、子どもたちの中には他者から評価を得ることの嬉しさではなくて、想像したものが形になったことの嬉しさやその世界を共有する楽しさ、つまり自分にとっての満足の土台が育っていくんじゃないかなと。

ー 鑑賞するのではなく、作った世界へ入ってみる。その視点は持ったことがなかったのでハッとしました。

子どもって僕らが思っているよりももっとすごいし、自分がどう見られているかさえ気づいてしまう人たちだと思います。大人が期待したら、ちゃんとその期待に応えてくれるんですよね。だから、気をつけないといけない。そういう意味で造形活動では、子どもたちの作品を評価したり表彰したりということはいらないんじゃないかなと思います。もっと純粋に描いて作って遊んで「ああ、楽しかった」でいい。

表現は自分を肯定すること

表現の源でもある「想像力」は、生きていく上であらゆることにつながっていると思っています。

「今日は何をしようかな」と考えることや「将来、何をしたい」とか「何になりたい」と未来を考えることも想像力ですし、友だちや家族を想うことも、仕事や社会や自然や世界を想うことも想像力ですもんね。そして、自分のイメージや考えを表現することは、言い換えれば、自分自身を肯定することでもあると思うんです。

つまり、自分の今を肯定し、さらには自分と他者と未来を想うこと。その始まりが、子どもの遊びなんだと思います。だから、保育の現場でも、想像をいっぱい膨らませながら手を動かして形にしたり、それをごっこ遊びで言葉も使って、想像と表現を楽しむ。そんな体験をいっぱいしてほしいと思います。

なーんて言うと仰々しいですが、本音はただただシンプル。子どもたちが、「あぁ、今日も楽しかったな」っていう毎日を過ごせたら、それがなによりだよねって思います。それって、「自分って素敵だな」と思うことと同じことだから。

この記事の連載

「子どもの内側から『やりたい』が生まれてくることもあれば、目の前にある環境から『やろうかな』が生まれることもある」ー 造形遊び実践家・矢生秀仁さん ―子どもを聞く、見つめる、感じる。Vol.3【前編】

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子どもと触れ合ったり、子どもにまつわる仕事をしている人たち。
どんなふうに、その世界を一緒にのぞいたり、近づいてみたりしているのでしょうか。

その言葉に、耳を傾けてみる?
彼らの視線のその先を、一緒に見つめてみる?
手で、足で、鼻や舌や肌で、一緒に感じてみる?
それとも…。

体験やエピソードを交えてうかがうお話の中から、子どもの世界に向き合うヒントに出会ってみたいと思います。