作った楽器で踏み出す一歩〜A君のライブデビューまでを追って~ 第56回「わたしの保育記録」大賞
第56回「わたしの保育記録」応募作品の中から、大賞を受賞した作品をご紹介。
(一般部門)
「作った楽器で踏み出す一歩 〜A君のライブデビューまでを追って~」
学校法人押野学園認定こども園せんだい幼稚園(鹿児島・薩摩川内市 )
木場尚樹
楽しげな音色に誘われて
秋が終わり、寒さもひとしお身にしみる頃、園長先生が気の向くままにギターを弾いていると、軽快な音に誘われて子ども達が近くに集まってきた。ギターに合わせて歌をうたって楽しんでいる子ども達の中で、じっとその様子を眺め、ぽつりと「あのギターかっけえ」とつぶやく年長児のA君がいた。
A君は工作が好きで、 時間があれば部屋に置いてある生活素材のボックスから箱や紐、牛乳パック、画用紙・折り紙などを取り出しては、ハサミで切ったり、テープでくっつけたりして、いろんな作品を作っていた。興味を持ったことはすぐにやってみようという好奇心旺盛な性格から、みんなが思わず真似をしたくなるような遊びをたくさん思いつく一方、シャイな一面もあり多くの人に注目されると、急に口をつぐんでしまったり、彼のアイデアを保育者がみんなに教えてあげようとしたりすると、恥ずかしさや照れくささからかその遊びをやめてしまうようなこともあった。
憧れから始まった遊び
園長先生のギターを見た後、A君はすぐにクラスに戻り、部屋にある生活素材ボックスから廃材を集めると記憶を頼りにギターを作り始めた。空き箱やラップの芯を組み合わせてテープで固定するとギターらしき形が完成。でもA君はそれだけでは満足していない様子。再度、生活素材ボックスの前に戻りいろんな物を手にしてはイメージに合う何かを探しているようだった。しばらくすると、何かをひらめいた様子で、私のところへ駆け寄り、「先生輪ゴムちょうだい!」と言うと、輪ゴムをハサミで切りギターの弦に見立ててテープで留め、ギターのように弾き始めた。
ただ単にギターを作るだけでなく、作ったギターを肩にかけると本当に演奏をしているかのような気持ちになれたのだろう。空き箱や輪ゴムでできたギターなのでもちろん本物の音とは程遠いものではあったが、ピックに模した段ボールで何度も弾きながら演奏を楽しんでいた。それを見た周りの子も興味を示し、A君が作ったギターを真似て作り始めた。自分のギターを作り終えたB君が「先生、パプリカ流して!」と、声を掛けてきたので早速部屋の中でパプリカの曲を流すと、ギターを作っていた子や他の遊びをしていた子も少しずつ集まり始め、演奏会(ごっこ)が始まった。
流れてくる曲にあわせて、ギターを弾きながら歌う子どもたち。ギターを持っているということがその気にさせるのだろうか、いつもに比べて、体を自然に横に揺らしながら歌う姿や悦に入った表情で歌う子どもたちの姿が印象的だった。
A君が歌ってる!?
A君は他の子どもたちがギターを弾きながら歌っている様子を目にしながら、「そうだ!あれも作ろう」と、さらに何かを思いついた様子。丸めた画用紙を紙コップにくっつけるとあっという間にマイクが完成。「できた!」と、うれしそうな表情でA君も曲にあわせてマイクで歌い始めていた。
「え、あのA君が歌っている」。普段、クラスで歌を歌う際もみんなに歌声を聞かれるのが苦手なのか、少しだけ口を動かす程度だったA君が、マイクを手にして歌っている。けっして大きな声ではないが、誰が見ても「歌っている」と認識できるA君の姿。私の心の中に驚きがあふれたと同時にそれを溶かすように少しずつうれしい気持ちが広がっていった。
しかし、私のこの驚きや喜びがA君に察知されると、きっとA君はいつものように恥ずかしさを覚えて歌うのをやめてしまうだろう。そう思った私は心の中の喜びをぐっとかみ殺して、努めて平静を装い、自分の視線だけでなく存在すらもA君に気づかれまいと、そっとギターを作っている他の子の方へと離れていき、遠目で様子を見守った。
本物のギターの形に近づけようと。2個目のギターを作っている。
マイクスタンド作り
翌日。昨日の遊びが広がっていく支えになればとの思いで、部屋の中にドラムやトランペット、マイクなどの写真を掲示した。登園してきたA君が早速、掲示しているマイクの写真に気づき、じーっとそれを眺めていた。「どうしたの?」と声を掛けると、「マイクって立てられるの!?」とA君。「そうだよ、マイクスタンドって言うんだよ。」「じゃあ、ギターしながら歌えるってこと?」「うん、そうだよ」。マイクを手にして歌っているとギターを弾くことができなかったという昨日の経験をA君は思い出していたようだ。
牛乳パックが欲しいとのA君の要望に応え、10個ほどの牛乳パックを渡すと、早速、それらを粘着テープで縦に繋げていってマイクスタンドを作り始めた。それらしい形は簡単にできたものの、どうやら自立させるのに苦戦している様子。床に粘着テープでくっつけようと試みたり、広げた段ボールにマイクスタンドをくっつけて持ち運びできるように改良したりと、さまざまなアイデアを思いついては試していたが、何度やってもうまく自立せず、しまいには「もう、いい」とその場を離れ、その日はもうマイクスタンド作りを行うことはなかった。
子どもたちが全員降園した後、部屋の隅に転がったままのマイクスタンドが目に入った。A君なら自分の力で作りあげることができるだろうと、あえて手伝いや提案などはしなかったが、「もうちょっとサポートしてあげられたら良かったのかな」と、どのようなかかわりが良かったのかいろいろと思いを巡らせた。
次の日。タイミングを見てマイクスタンドの続きやってみる?と提案しようかなと思って待っていると、A君が自らマイクスタンドを取り出してまた続きをやり始めていた。実物のマイクスタンドの写真を一緒に見るなどの援助をし、ようやくマイクスタンドが完成。それを見た他の子は「それ何?使っていい?」「僕も使いたい!」と取り合いになる程の人気になり、他の子が楽しそうに歌っている姿を見てA君はニヤッとうれしそうな表情を浮かべていた。
マイクスタンドを作っている。
自分でもやってみたいという思い
それらをきっかけにクラスのいろんな子が楽器を作り始め、ピアノやドラム、カスタネットなどの手作り楽器が登場した。A君は、C君が空き箱などで作ったドラムを叩いている姿に触発されたようで、今度はドラムを作り始めていた。「C君とは違うのを作る」と、フットペダルでバスドラムを鳴らしたいんだという思いを伝えてくれた。どうすればペダルで音を鳴らせるんだろうかとその仕組みを考え作り出すのに苦戦していたが、私も「こんな形にしてみたらどうかな?」などと援助をし、30分ほどして「よしできた!完成」と満面の笑み。スティック代わりにラップの芯を手に取ると、なんと、部屋に流れていた音楽をかき消すくらい、勢いよくドラムを叩き始めるA君。
0歳から当園に通っているA君を見てきた私の勝手なA君像。「ドラムを作り終わったら友達に見せたり、叩かせたりするのかな。」「恥ずかしかったり、照れくさかったりで自分で叩いたりはしないかな。」そんな私の勝手な予想とはまったく違う結果になったことに再び驚かされた。その瞬間は照れくさい気持ちなんか忘れてしまうほど、自分でやりたいという気持ちがあふれていたのだろう。私もそんなA君の姿がいつもと変わらない日常のひとコマであるかのように、特別な反応はしないように努めた。
それと同時に、「きっと、こうなるだろうな」と決めつけていたさっきまでの自分が恥ずかしくなった。A君は今までも人前に出る場面で「やりたくない」わけではなかったはずだ。そんな自分を理解し共感してくれる人がいなかっただけなのかもしれない。足を踏み出すきっかけがなかったのかもしれない。もしかすると、「きっとやらないだろうな」という私の気持ちが知らず知らずにA君に伝わっていたのかもしれない。
みんなでライブをやろう!
それ以降、人前だとどうしても照れや恥ずかしさが上回ってしまうA君の姿はもうそこにはなかった。それどころか、「みんなでライブしようよ」「いいね!じゃあ練習しよう!」と、たくさんのお客さんを集めてみんなの前で演奏をする計画まで立て始めていた。「ライブの時は椅子をならべてお客さんが座れるようにしよう」「チケットを配ってもっとたくさんのお客さんに来てもらおう」「何の曲を歌うか決めておこう」と実に生き生きと友達と話し合いながら、ライブの計画を立てていた。
ライブを終えた達成感
ライブ当日。登園時からそわそわするA君達を見ていると、私もドキドキしてきた。チケットの効果もあってお客さんは満員。A君の表情もみるみる硬くなっていった。私は「緊張するね。みんなで一緒に楽しめるといいね」と声をかけることしかできなかったが、いざライブが始まると、いつものように堂々と歌い演奏を楽しんでいた。
A君がマイクスタンドで歌っている姿を見た保育者たちも「あれがA君!?あんな自分を表現できるようになるなんて!」「すごくいい表情してるね」と感動していた。ライブを終えたA君達は満足そうな表情で達成感を得ているようだった。
ライブ当日、作ったバスドラムセットを前にするA君。
おわりに
子どもは自分自身の力によって育っていく。それらを支える保育者は今から花開いていくであろう力を信じて子どもと関わることが大事であると気づかされた。その子を信じてあげることが、その子にとっての自信に繋がるのだろう。次はどんな遊びが始まるのだろうと心待ちにしながら、今日もまた子どもと共に過ごしていきたい。
(表記は基本的に応募作品のままです)
受賞のことば
今回受賞のご連絡を頂き、驚きと喜びの気持ちでいっぱいです。「わたしの保育記録」でA君の成長の物語を書くにあたって、保育を振り返るだけでなく、自分自身のことも客観的に見つめ直すよい機会を頂けたと感じています。
日々悩みながらもそれでも前向きに保育を行えているのは、いろいろな発想でいつも楽しませてくれる子ども達、温かく見守って下さる保護者の方、そして日頃から支えてくださっている園の先生方のおかげだと思います。
これからも子どもと共に成長していく気持ちを忘れずに保育に臨んでいきたいと思います。わたしの保育記録を読んで頂きありがとうございました。
講評
東京家政大学 加藤繁美
子どもの願いが自然な形でつながりながら発展していく姿に心地よさを感じる実践記録です。それはおそらく、自分で自分を変えていく子どもに対する実践者の信頼が背後にあったからだろうと思います。この実践の一番おもしろいところは、A君がマイクスタンドを作るために奮闘する場面ですが、こうした形で表れる子どもの葛藤場面が子どもの言葉とともに具体的に記されると実践の意味がさらにリアルになります。
またそれと同時に、このように子どもが困難に立ち向かうときは、仲間との関係に質的変化が訪れる絶好のチャンスです。困難に向き合うA君と仲間の関係に視点が置かれると、集団保育の実践記録としてより質の高いものになったと思います。