気持ちに寄り添う保育〜第54回「わたしの保育記録」佳作〜
第54回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介。
(乳児部門)
「気持ちに寄り添う保育」
千種わかすぎ保育園(愛知・名古屋市)
星野 実咲
保育士になるという夢を叶え、期待に満ちあふれている保育士1年目の私が、もも組0歳児の子どもたちと過ごしていくなかで、1年を通じて乳児保育のやりがいを感じていく記録である。
「入園したばかりのころはずっと泣いている子ばかりだけど、がんばっていこうね」と先輩からのひと言。そんな言葉も気にすることなく、私は可愛い子どもたちと一緒に過ごすこれからの日々が楽しみで仕方なかった。そして迎えた初日。先輩のいったとおり、お母さんと離れた子どもたちはものすごい声を出して泣いていた。
私の園では育児担当制を取り入れていて、10人のクラスのなかで、私の担当はKちゃん、Yちゃん、Aちゃんの3人。まずはこの3人との信頼関係を築いていくために必死になった。歌を歌ってみたり、音の出る玩具を振ってみたりと、子どもが好きそうなありとあらゆるものを試してみたが、まったく効果なし。
想像以上だった。抱っこをしても暴れ、私から逃げていく。足で蹴られ、手で押され。担当のKちゃんには、ごはんの時間に離乳食のおかゆを顔に投げつけられた。
「あぁ、どうしたらいいの…」
あんなにフワフワしていた私の保育士1年目の初日は、何もできないまま終わった。「まだまだ、これから!」と思いながら気持ちを持ち直し、とにかく笑顔でいようとがんばった。だが、次の日もその次の日も子どもは泣き止まなかった。私の気持ちはどんどん沈んでいった。
Kちゃんの気持ち
「何もうまくいかない」と思いながら子どもを抱っこしていたとき、窓に映った自分の顔が目に入った。眉間にシワを寄せ、すごく苦しそうな顔をしていた。笑顔を意識していたはずなのに、まったく笑えていなかった。そのとき、私は何かが切れた。
「子どもたちに何もしてあげられないのに、笑顔でいるなんて無理だ」
そう思い、泣いている子どもにつられて、私も少し涙ぐんでしまった。
「ごめんね、お母さんがいいよね、さびしいよね」
そう言葉をかけながら、子どもをぎゅっと抱きしめた。すると、泣いていたKちゃんがピタッと泣き止み、不思議そうに私を見つめた。どんなことをしても泣き止まなかったのに、私から逃げ回っていたのに、Kちゃんはずっと私の顔を見つめていた。
その日から無理にニコニコしようとするのではなく、ありのままの素直な気持ちで子どもたちにぶつかっていこうと決めた。子どもが悲しそうなときは一緒に悲しんだ。とにかく気持ちに寄り添い、共感した。
しばらくして、自分の担当の子どもたち3人が初めて食事を完食することができた。「すごい! がんばったね!」ととびきりの笑顔で子どもを抱きしめた。すると子どもははじめて私に笑いかけてくれた。よく考えてみると、私自身も心からの笑顔を子どもたちに見せたのは、これが初めてだった。
徐々に子どもたちは泣くことも減り、落ち着いて過ごせるようになってきた。乳児の成長は本当に著しく、4月当初はすわることさえ不安定だった子が、夏には2、3歩歩けるほどまで成長した。そのころから子どもたちに自我が芽生え始め、子ども同士のトラブルも頻繁に起こるようになった。
Yちゃんの気持ち
Yちゃんは、他児をたたいてしまうなどの行動がよく見られるようになった。そのたびに、「たたくと、○○ちゃんが痛いよ」などと伝えていたが、なかなかその行動は減らなかった。Yちゃんがなぜそんな行動をくり返すのか知りたくて、私はYちゃんの行動を注意深く見ることにした。
保育室の様子を視界にいれながら、少し離れた場所で別の仕事をしていたある日のこと。同じクラスのMちゃんが担当の保育士に向かって音の鳴る玩具を上手に振ってみせていた。「すごいね」と笑顔で声をかける保育士。そのふたりのやりとりを、Yちゃんがじっと見つめている。そしていきなり、YちゃんはMちゃんの髪の毛を引っ張った。
「だめよ、痛いよ」と保育士がやめさせると、Yちゃんは泣きだした。私ははっとした。Yちゃんの心の声が聞こえてきたような気がしたからだ。
「そばにいてほしかったんだ」
「ほめてほしかったんだ」
「自分を見てほしかったんだ」
乳児は言葉で伝えることができない。さびしい気持ち、気づいてほしい気持ちを言葉にすることができないのだ。だから必死に行動で伝えようとする。
「気づいてあげられなくてごめんね」
胸が痛くなるほどYちゃんの切ない気持ちが伝わってきて、私はその日の保育の間じゅう、Yちゃんをずっと抱きしめていた。
Aちゃんの気持ち
秋には、子どもたちは「どうぞ」や「おはよう」などの簡単な言葉を話せるようになっていた。Aちゃんは「いや」という言葉を覚え、何をするにも「いやだ」と拒否するようになった。「おむつ替えよう」「いや」「ごはん食べよう」「いや」。
ここにもきっと、言葉に出せない子どもの想いがあるのだろうと思い、Aちゃんの行動を観察してみた。するとAちゃんは、「いや」といったあとに、必ず私の表情を見ていることに気づいた。そこにもAちゃんの不安な気持ちが隠れていたのだ。私はどれだけ「いや」といわれても、絶対に困った顔をしないようにした。「どれだけ拒否されても私はAちゃんのそばを絶対に離れない」という気持ちを伝えるためである。
子どもたちが不安になるのは当たり前だ。生まれて1年ほどしかたっていない子どもたちが集団生活をしている。まだまだ、自分だけ見てほしい、甘えたいという気持ちを持っているはずだ。
「大丈夫、そばにいるよ、いつも見ているよ」その想いが伝わるように、私はAちゃんとひたすら向き合った。
冬になると、友達と一緒に遊ぶ子どもたちの姿が見られるようになった。
すぐに手が出てしまっていたYちゃんは、泣いている友達に対して「どうしたの?」と言いながら、頭を撫でていた。
「いやいや」といっていたAちゃんは、外遊びから帰るのを嫌がっている友達の手をひいて、一緒に帰ってきてくれるようになった。離乳食を私の顔に投げていたKちゃんは、自分でスプーンを持ち、「おいしいね」といいながら食事を楽しむことができるようになっていた。子どもたちの成長は本当にすごい。私は毎日、驚きとうれしさの感情であふれていた。
もも組担任としての1年は、あっという間に終わった。最終日、私はこの子たちの担任として、その時間を1分1秒、しっかりとかみしめていた。
帰り際、子ども一人ひとりをギュッと抱きしめながら、「ありがとうね」と伝えた。
Aちゃんは私が帰ろうとする姿を見て「いやだー」と泣きながら甘えてきた。私も離れたくない気持ちで、泣くAちゃんを抱っこして、わずかな時間、話をした。
「Aちゃん、最初のころは、ずっと泣いていたんだよ」
「大きな砂の山を作って、遊んだね」
「たくさん絵本、読んだね」
なかなか離れられないのを見て、他の保育士がAちゃんを抱き上げてくれた。
「じゃあ、いくね」
私がそういって部屋を出ようとしたとき、Aちゃんがピタッと泣き止んだ。そして、私に笑って「バイバイ」と手を振った。
私はAちゃんの顔を見て涙があふれてきた。その笑顔が「1年間、ありがとう」といっているように感じたからだ。
生まれて初めて担当した子どもたち。きっと一生、忘れない。
受賞のことば
このたびはこのような賞に選んでいただき、ありがとうございます。自分自身この記録を書くことにより、改めて1年目の気持ちを振り返り、思い出すことができました。
私はこの1年で「思い続ければ必ず伝わる」ということを子どもたちから学びました。
日々子どもたちとかかわっていると「本当にこれでいいのかな」と不安になったり、「どうしたらいいんだろう」と自信をなくしてしまうときもあると思います。ですが私は、保育に正解などなく、あぁでもない、こうでもないと試行錯誤しながら一人ひとりの子どもに対し、全力で向き合い続けることが一番大事なことなのだと感じました。
10人子どもがいたら保育は10通りあります。いつまでもこの気持ちを忘れずに、子どもの気持ちに寄り添える保育士であり続けたいです。これからも尊敬できる園長、先輩方のもとで日々学びながらさまざまなことを経験し、子どもと一緒に成長していけたらいいなと思います。本当にありがとうございました。
講評
「子どもとことば研究会」代表 今井和子
「乳児は言葉がなくても保育者のたくさんの愛をもってかかわれば、必ずや相互の信頼関係を築くことができる。乳児のねがい、それは自分の世話をしてくれる人としっかり愛情の絆でつながりたいというものではなかったか」
こんなにも重要なことを最初の1年で獲得された星野さんの実践力は実に貴重だったと思います。よくぞ、乳児の目に見えない心の動きや要求をつかんでいくことができましたね。それは星野さんが乳児の言葉に代わる言葉(言葉以前の言葉ともいわれます)をしっかり受けとめ、理解することができたからではないでしょうか。
例えば入園したばかりのころ、抱っこしても暴れるという乳児の行為は『知らない人には抱かれたくない』と訴える言葉に代わる言葉です。
意味のある音声としての言葉は言えなくても、乳児は皆、泣くこと、笑うこと、喃語や行為などでまわりの人に自ら語りかけているのです。それらの「言葉に代わる言葉」を星野さんが豊かな感性で聴き、かかわってこられたからこそ、乳児さんたちとのいい関係性が築けたのだと思います。
「乳児保育にも言葉は格別に重要なもの」なのではないでしょうか。