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ヤシの木が食べられちゃう!~グアムっ子が自然と向き合った日々〜第54回「わたしの保育記録」大賞〜

新 幼児と保育
掲載日:2020/07/11
ヤシの木が食べられちゃう!~グアムっ子が自然と向き合った日々〜第54回「わたしの保育記録」大賞〜

第54回「わたしの保育記録」応募作品の中から、大賞を受賞した作品をご紹介。

(一般部門)
「ヤシの木が食べられちゃう!~グアムっ子が自然と向き合った日々~」

グアム日本人学校幼稚部(アメリカ合衆国・グアム準州) 
山野井多美子



常夏の島グアム、年間平均気温は約27度。酷暑の日本の夏に比べるとずっと過ごしやすい。南国特有のスコールも降るが、すぐにカラッと晴れ渡る。ほぼ青空。年中、年長合わせて20名の小さな幼稚園、グアム日本人学校幼稚部は、小学部・中学部に併設されている園だ。学校のまわりには、ハイビスカス、プルメリアの花が赤やピンクに咲き誇り、緑が濃いヤシの木の葉が風に揺れている。この自然豊かな園に主任保育士として勤務して14年が過ぎた。

「先生、ヤシの木が枯れてるよ」

毎日、グラウンドで元気に走り、鬼ごっこに明け暮れる子どもたちが、二学期のある日、そんなことをいった。手を引かれて行ってみると、確かにグラウンドに並んだヤシの木の何本かは、まるで鉛筆みたいに、葉っぱも実もなくなり寂しく立っている。その下には、白い丸々としたカブトムシに似た幼虫が転がっていた。

グアムにはカブトムシは生息していない。白い太った幼虫は、通称ココナツビートルと呼ばれ、ヤシの木の葉から幹に寄生して、粉々になるまで食べつくしてしまう恐ろしい外来種、害虫なのだ。

「カブトムシ、かわいい」

「捕まえちゃおう」

虫が大好きな子どもたちは、幼虫を捕まえて空き容器に入れ、成虫を見つけては、大興奮。特にM君は無類の虫取り職人。虫を捕まえるのも、その特性を素早く理解するのにも長けている。破格の笑顔だ。

「でも待って!この虫は、日本にすんでいるカブトムシとは違うんだよ。グアムの大切なヤシの木を食い荒らしてしまう害虫なんだよ」

そう伝えたいところだが、子ども達の楽しそうな姿を見るにつけ、一体どうしたらいいのか、迷ってしまった。この虫は、害虫だから取ったら殺してしまおう、とは言い難い。そもそも害虫って何なんだ。ビートルにとって、ヤシの木は生きるための場所であり、食物である。でも、それを認めてしまったら、ヤシの木は全滅してしまう。観光が主な収入源のグアムでは、景観を彩るヤシの木はなくてはならないものだ。ビートル被害を食い止めるために、グアム農林省は、さまざまな対策を立てているところだった。

グアム日本人学校の子ども達にとっても、ヤシの木は大切な宝物である。青々と生い茂るヤシの木の枝にぶら下がり、ターザンごっこを楽しんだり、暑い午後には木陰で、ひと休みしたり。その実は、背の高い中学生がもぎ取り、大地に打ちつけて割り、ココナツジュースを飲ませてくれる。ジェル状の果肉は、のどを潤す上等のおやつだ。

一体どうしたらいいのだろう。迷いながらも、私の思いを子ども達に投げかけてみた。

「ターザン遊びが出来なくなるのは困る」

「でも、幼虫はかわいいよ」と虫取り職人M君。

「かわいくっても、悪い虫だよ」

正義感あふれるY君。

「悪い虫かどうかわからないけど、元からグアムにいた虫じゃなくて、船に乗ってグアムに来ちゃったんだって。敵がいないから、どんどん増えてヤシの木を食べちゃうんだって」

 と、言葉を選びながら伝える。

「じゃさ、捕まえようよ」

「みんなのヤシの木を守ろうよ」

ふだん遊びの中でも、リーダーシップをとっているK君がいった。捕まえてどうするのか、あえて決めなかった。みんなで話し合いながら自分たちでこの活動の方向を決めてほしいと思った。


幼虫捕獲大作戦

大切なヤシの木を守りたいという気持ちは、一致している。ただ捕獲した幼虫をどうするのか、決めないまま活動は始まった。

まずは、校内で一緒に生活している小、中学生のお兄さんお姉さんや、近所の人たちにも、ヤシの木が枯れているということを伝えたい。運動会など日本人学校が全校で行う行事のときは、学校内にポスターを貼って知らせていることを思い出し、一人ひとりがポスターを描くことに、みんなで決めた。

ふだん、静かにひとり遊びをするのが好きなH君、みんなの前で意見をいうことは少ない。そのH君が、「ヤシの木、好きなんだもん」とつぶやきながら、描き始めた。ほかの子が一日で仕上げてしまうところを、H君は、彼なりのペースで丁寧に描いている。ふっと集中が途切れ、クレヨンを置いた。「うん。また明日描く」といい、結局3日間かけて完成させた。そのポスターを学校入り口の一番目立つ場所に掲げた。

ほかの子のポスターも、自分が知らせたいと思う場所に貼ってもらうことになった。ローカルの人がよく買い物に行くショッピングセンターや、習い事をしている合気道場、現地に住む日本人が多く集まる日本食スーパーなど。こうなったら、保護者にも協力をお願いするしかない。あちこちに掲示してもらった。

また、昼食時間に小、中学部が行っている校内放送に飛び入り参加をして、活動を知らせた。父親がアメリカ人のОちゃんは、放送原稿のひらがなを何度も書き直して、「ココナツビートルを知っていますか。ヤシの木を食べてしまう虫です」と、しっかりした日本語で伝えることが出来た。


虫取り職人M君と虫嫌いSちゃん

朽ちてきたヤシの木の皮を指で削っていくと、幹の奥深くに白い幼虫の姿が見えてくる。それを根気よく、指で穴を大きくしてこじ開け、ついには捕獲する。虫取り職人のM君はすごい。指で丹念に掘りながら1匹また1匹と捕まえる。大人には真似できない忍耐と技術を駆使した職人技だ。ところが、熱中するあまり、昼休みの終わりを告げるチャイムがなっても、なかなか帰ろうとしない。

「あと、もうちょっとで、もう一匹、取り出せそうなんだけど」まわりで見ていた友達も息をひそめてじっとM君の指先を見つめる。虫には近寄って行かないSちゃんまでが、近くで真剣な表情になり見守っている。

「コロン」
「取れた!」
「やった!」
「よかったね。あきらめないでやれば、がんばればできるんだね」

と、Sちゃん。自分のことのようにうれしそうだ。

二人は満足げに微笑んで、手をつないで保育室へと帰って行った。よかった…。「早く帰ろう」と声をかけないで、本当によかった。


駆除するということ

次々と幼虫、成虫のココナツビートルが大きな空き容器に入れられていく。そろそろ限界だ。

「これ、どうしようか」と私。

「殺すしかないよ」と、リーダー格のK君。

「かわいそう」「殺しちゃうの嫌だね」

「でも、ヤシの木が食べられちゃうんだよ」

子どもたちの心に、生きている命に対する葛藤が生まれる。安易に「殺す」という言葉は使いたくないが、駆除するということは殺すこと。心が痛む。

この活動に正解はない。ヤシの木を守りたい。だから、害虫は簡単に殺してもいいんだという考え方には、違和感を持ち続けたい。子どもと一緒に悩み、子どもの声を聴き、対話の中から活動の方向を見出したい。

「そうだ。Hさんに聞いたらどう?」

悩む私の姿を見てK君がいった。Hさんとは、遠足でたびたび遊びに行く大きな農園を経営されている方だ。農園では、木に大きなブランコをかけてもらい遊びを助けてもらう。どの果物が食べごろなのかをいつも教えてもらっている。子どもたちが頼りにしている地域のおじさんだ。

早速、電話をかけて聞いてみると、朽ちたビートルの死がいはよい肥料になるよ、と教えてくださった。ただ命を絶つのではなく、その命が次の命の肥料になることを知り、命のつながりの不思議を感じ、報われるような思いになる。また、園芸作業のプロであるHさんが、朽ちて再生不可能なヤシの木の伐採を、請け負って下さることに決まった。切り倒したヤシの木は次の植物の肥料になるのだ。


ついに伐採

楽しみにしていた伐採当日。なんていうこと! 不覚にも体調を崩して出勤できなかった。自分の目で見届けたかったが、別のクラスの担任I先生にお任せすることにした。Hさんとグアム農林省により伐採が行われた。切り倒されたヤシの木から、出るわ出るわ、幼虫や卵に成虫。

農林省の屈強なおじさんたちと園児の手で、バケツ一杯に集められ回収された。翌日、出勤すると子ども達が次々にとんできて、「幼虫が百匹以上も出て来たんだよ」

「木の中は腐っていて、粉が入っていた」

「びっくりした、うれしかった」

I先生とK君が、

「K君は切り株を集めるのもやったんだよ」

「うん。いっぱいはこんだよ。えらかったでしょ」と、人懐っこい笑顔で笑った。

この活動を通して、子どものひらめき、自然に対する鋭い感覚、素直な驚きに敬意を払いたい気持ちになった。K君の笑顔を見て、主体的に活動にかかわった誇らしさが伝染して、なんだか泣きたいような気持ちになった。

子どもたちと生活していると、日々がドラマの連続だ。ヤシの木の活動から、励まし合う仲間がいること、喜び合える友達がいること、責任をもって生き生きと活動することなど多くを学んでいる。そして、そんな子どもたちとかかわり合うことで、子どもと心を分かち合い、私自身も心を震わせ喜びをいただく。保育とは、何物にも代えがたい生きる力だ。


受賞のことば

国際電話で受賞のお知らせをいただき、まだ信じられない気持ちです。この受賞は、幼稚部の子どもたちがいなければなし得ませんでした。常々「保育は種まき」だと感じています。子どもたちの宝物のようなつぶやきを拾い上げ、自分の思いばかり先行しないように、低くなり身を潜め、必要なときにそっと言葉をかける。

そこから対話が生まれ、思ってもみなかった方向へと発展していく。この小さな記録が世界中の保育にかかわる方々にお伝えできるなんて、大変光栄なことです。

最後に、ヤシの木の活動の助言をしてくださった「地域のおじさんHさん」こと濱本ガーデンの濱本さんをはじめ、木の伐採を請け負ってくださったグアム農林省職員、突っ走りそうになる私をいつも優しく見守ってくださる園長先生と愛すべき同僚、日本人学校職員の方々に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。



講評

東京家政大学教授 加藤繁美

外来種によってもたらされたヤシの木被害に、幼児たちが取り組んだ問題解決型プロジェクトの記録です。葛藤する保育者と、考え合う幼児たちとの絡み合いが、具体的な会話をもとに描かれている点に好感が持てます。ひらめいたことは何でもやってみる、そんなクラスの空気が、実践をおもしろく展開させた要因となっていますが、活動の過程で出てきた「Hさんに聞いてみよう」というK君の声が、実践に重みと物語性をもたらしている点が重要です。「他者」の声が子どもの声と化学反応を起こすとき、実践はおもしろく展開していくのです。活動の起点を構成したポスター作製の経緯がもう少し具体的に記されていると、実践の意味がさらに深まったように思います。