「遊びの中の関係性に注目すると世界が変わる」 おもちゃデザイナー 和久洋三さんの考える、おもちゃと遊び
笑顔がとってもチャーミングな和久洋三さん。
「生き生きと育とうとしている子どもたちが自分の能力を充分に発揮できる環境を用意してあげたい」という願いから、子どもたちの創造性を大切にした童具(おもちゃ)づくりを始めて、45年が経ったといいます。
幼児教育にも精通していらっしゃる和久さんに、おもちゃのこと、子どものことについてたっぷりお話をお伺いしました。
遊びと学びは別ものなのか「童具」という言葉に込められた想い
-ここに来る前にお店にお邪魔してきました。すごく面白そうなおもちゃがたくさんあって。
全て、和久さんのデザインしたものなんですか?
行ってくれたんですか、ありがとう。そうですね、全てぼくがデザインしたものになります。おもちゃのデザインを始めて45年になるんだけど、もう100種類以上の“童具(どうぐ)”を作ってきたかな。
−100種類以上すごいですね。ひとつ気になったのですが、和久さんはおもちゃのことを「童具」と呼ばれていらっしゃるんですかお店の名前も「童具館」ですよね。
うん、子どもが取り組んで遊び、学ぶ、全ての用具や用品を「童具」と呼んでいます。
“おもちゃ”って、おもちゃ、玩具、教具、知育玩具、教育玩具って、すごくたくさんの言葉に分けられているでしょ。そしてその言葉に引きずられて、大人は遊びと学びをどうしても切り離して考えがちになる。
−たしかに、保育園のなかでも遊びと学びは分けて考えられる場面があるように感じます。実際、遊ぶ時間と一斉活動の時間や“◯◯をする時間”と、時間を区切って区別しているような園もありますよね。
そうでしょ。童謡は童謡、童話は童話なのに、おもちゃだけなぜかたくさんの捉え方がある。それは言い換えると、それだけ多くの有効性が「おもちゃ(形)」にはあるということでもあるんだけど。
例えばね、音っていうのは流れていくとさ、止まってくれないでしょ。「ちょっと待ってて、その音」って言えないんだよ。
それに比べて、形は手を伸ばせば止めることも、もういっぺんやってみることもできるんだよね。学びがどんどん深まっていく。だから教具にしたくなって、知育玩具とか教育玩具とかが生まれてくるんだと思います。
でもさ、積木はおもちゃなのか、教具なのか。
子どもが自発的に自由に遊ぶ時はおもちゃで、保育者や大人が、数や量を学ばせようとして与えた時は教具になるのか。
ぼくは、遊んでいる時にこそ深い学びがあると思っているし、だからこそ、この遊びと学びを分けて考えたり、おもちゃを分類わけすることに矛盾を感じるし、すごくその境界線って曖昧だなぁと感じています。
今は安価なおもちゃも増えていて、余計おもちゃや遊びが軽視されやすいものになっているのかもしれない。
でも、遊びと学びは分けて考えられないものだし、おもちゃは、童謡や童話と同じように幼児期に出会う大切な文化財のひとつでしょ。そんな想いからぼくは、童具という言葉をつくり、おもちゃの捉えかたを意識するようになりました。
>>全ては、「関係性」から始まる