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「“子どもを尊重する”って言うけれど」 りんごの木 柴田愛子さんから保育者への問い

三輪ひかり
掲載日:2017/05/14

「“子どもを尊重する”って言うけれど」  りんごの木 柴田愛子さんから保育者への問い
りんごの木子どもクラブ代表の柴田愛子さん。

35年にわたり、“子どもの心により添うこと”を基本姿勢に保育をしてきた愛子さんにこそお伺いしてみたかった、「子どもを尊重する」ということの本当の意味。

愛子さんが子どもの姿を思い浮かべながら、ひとつずつ丁寧にお答えくださったこのインタビューは、子どもに関わる全ての人に読んでほしい、そう心から思えるものになりました。



子どもに意見を聞くことだけが、尊重することじゃない

前回、保育者の役割は「子ども一人ひとりを大事に思うこと」とお話してくださいました。

そう、保育って、子どもたちが「他者を信じて生きていっていいんだ」って思える土台を作ることだと思うのよね。

そのためには、子ども一人ひとりを大事にして、その子がその子であることを尊重すること、そして保証することが、すごく大切だと思います。


りんごの木を始めて35年。今も現場に立ち続ける愛子さん


−「子どもを尊重する」って最近保育業界の中でよく耳にしますし、園の方針として「子どもを中心に」と謳っているところも増えている気がします。

そうなのよね。でもね、わたし思うの。「園は子どもが主役とか、子どもの心に寄りそうとか簡単に言うけど、あなたそれやってますぅ?」って(笑)。

「早く片付けて」って命令してないですか。ひどい時、「食べないとおうち帰れないよ」って脅すようなことをしていませんか。「子どもの人格を尊重する」ってお題目で言ってるだけで、できているフリしていませんかって。

−愛子さんの考える「子どもを尊重する」って、具体的にどういうことなんでしょう?

子どもに意見を聞いて、その子の言った通りにさせてあげることを「子どもを尊重すること」だと思っている人って、結構多いと思うの。でも実は、それだけじゃないのよね。


例えば、今日も朝、親と離れられない子がいてね。ずっとお母さんの袖を掴みながら遊んでいたから、お母さんも半分腰があがっている感じだったのよ。

だからね、「ねぇ、ひなちゃん。もうお母さん、お家帰って夜ご飯の用意するってどう?」って聞いてみたの。
そしたら「よるごはんのよういは、よるでいいの」って言うのよ、3歳なんだけど(笑)。

「なるほどねぇ。でもお母さん中途半端にいるよ。これだとお母さん、遊ぼうと思っても遊べない。だからわたしとレストランしません?」って、手を差し出して。そしたら、スッと袖を離したのよね。

それから、ずっとお母さんと手を繋いでいた子には、「しょうちゃん、お母さんもうバイバイって感じよ。わたしとにしましょう」って。

子どもたちは心が揺れていても、「この人なら引き受けてくれる」っていう人に会えれば、平気でその人に身を託すのよね。

つまり、その子を尊重するっていうことは、見守り続けることだけを言うわけではないの。
“子どもの中途半端にキリをつけてあげる”ことも「子どもを尊重している」ことなのよ。

−たしかに、無理やり引き離すか、「子どもを尊重します」と言って、そのままずっと見守るか。0か100の対応をしてしまいがちかもしれないですね。

そう。どちらかになってしまいがち。

でも、こっちで遊びたい気持ちもあるけど、だらだらだらだら中途半端に「ママ、ママ」ってしている子を見守るのは、子どもを尊重しているわけじゃないのよ。

“決断できる力”を補助してあげられていないでしょう。もちろん、すごく泣いているのに最初から「はい、お預かりします」っていうのも違うわよね。

わたしだったら、8割いけるなと思ったら、そこで「おいで!」ってしてあげるかしら。

「ダメ」という言葉に隠れている、子どもの気持ち


あと「ダメ」という言葉も面白いわね。

今日も3歳の子がお店屋さんごっこみたいのをしていたから、他の子と一緒に「何してるの?」って聞いたら、「だめーだめー!!」って言うの。

このダメはね、「わたしここで遊んでいますから」っていう意思表示。だから後から来る人は、だいたいダメダメって言われるのよね。

だからそういう時は、「ダメなんだって。でもお店屋さん行っちゃおうか!」って、気持ちを受け止めつつ、もう一緒に遊んじゃうの(笑)。

次来る人も「だめ、おばちゃんは!」とか言われるんだけど、そしたら「あぁ、おばちゃんはダメなのね。じゃあおばちゃんは、ココ座って」って。

−「ダメ」って言われても、遊びに入っていっちゃうんですか。

こういう時の「ダメ」っていうのは拒否しているんじゃなくて、「わたしここでやってるの!楽しんでるの」っていうことの裏返しだから、「そうですよね。じゃあちょっと、この辺りでお邪魔します」っていう気持ちでいけば、大丈夫。

子どもたちにとって、自分の気持ちを認識して、思考して、その決断を口にするなんてとっても高度なこと。「今、ここに入っちゃダメなの?」なんて聞かれたら、「そう、ダメ!」って言うに決まってるのよ。

だからね、本当は「わたしここでやってるの」ってそう言葉にできればいいけど、そう感じていることを言葉にできないわけだから、それを汲んで尊重してあげるっていうのかな。

そう考えると、子どもを尊重するためには、「子どもを察知する能力」がすごく大事かもしれない。それがないと、いちいち「これやっていい?」って子どもに聞くことになっちゃうのよね。

子どもを察知する力と、謙虚であるということ

−子どもを察知する能力、ですか。

子どもを察知する能力って、例えばね、さっきのひなちゃんの話も、わたしは急に、「わたしとレストランしません?」って彼女を誘ったわけではないのよ。


「今日朝なに食べてきたっけなぁ。時間なかったから、りんごといちごだけだった」ってわたしが独り言みたいに言っていたことに対して、「んとね、ひなちゃんはね、ごはんたべた」って答えてきたから、『あ、人の言葉が耳に入っているということは結構冷静だな』って。

心は落ち着いているな、パニックにはならないな、これはいけるぞって察知して、そこで行動に移したの。
もっと小さい子だと答えは出ないかもしれないけど、「パンたべた」と言うと「パン」と繰り返したりするのも、ひとつの目印になるわね。

この能力は、経験で育んでいくものかもしれない。わたしがひとつずつこういうこと書き出したら、100万個くらいでてきちゃうわよ、多分(笑)。

−100万個!次元が違いすぎます(笑)。

そんなことないわよ。じゃあ若い人ができないかっていうと、そうじゃないの。

自分の思う通りにしようと思う気持ちが強い人は見えてこないけど、子どもって面白いなぁと思える人や、子どもに謙虚になれる人は見えてくるのよね。

保育者の“技”でどうにかしようとしない

経験者の中には、もうそれこそ魔法みたいな技を使って、子どもたちの気持ちを乗せるのが上手い人っているじゃない。子どもが我を忘れて、ついそれをやっちゃうの。

でもそれが本当に、子どもを尊重してるかっていうと、それは分からないなぁと思うんです。

「トントン前」ってあるでしょう。あれで「トントンまーえ、トントンまーえ」って並ばせていたら、確かに子どもたちは何も考えずに整列できちゃう。


だけどね、「このままだとぎゅうぎゅうだから、並ぼっか」って、そこに並ぶ必然があれば、それでも子どもたちは充分に並ぶのよね。そっちのほうが、子どもが“たしかに”成長していることってあるんじゃないかなぁ。

命令や号令、ある意味子どもたちを騙すような「トントン前」みたいなやり方で、大人の意図する線路の上に乗っけたところで、その子が不本意ながらやったことって、“たかが”なのよ。メッキですぐ剥がれてしまうもの。

もし、これを読んでくれている保育士さんの中に、「でも、子どもたちみんながやってくれないと、他の先パイからあぁだこうだ言われて困る」とか「園の決まりなんです」っていう人がいるなら、子どもに頼んじゃいなさい。

「お願い、これやらないとダメなんだよぉ」、「やりたくないでしょ、わかるよわかる。でもこれやってくれないと困るんだぁ」って(笑)。

−………愛子さん、それ斬新すぎます(笑)。

わたしはね、その方がいいと思うの。

もうここ(保育士と子ども間)で人間関係できているんだから、大好きな先生が困ってたら「しょうがないからやってやるか」ってなると思うわよ、子どもは。


鼓笛隊なんてやりたくないのに鼓笛隊やっているところに勤めちゃったりするじゃない。そしたら、いかにそれを時間短縮して害をなくすかよ。だって、そうじゃない。やらせないってことが許されないなら。

「ちゃっちゃっとやっちゃおう。その後、みんなで外に遊びに行こう!」って。もっと素直に言っちゃえばいいと思うのよね。

わたしもね、2度目に勤めたところが、ハーモニカの時間があるところだったの。その時間のために講師も入っていたんだけど、その人子どもたちのことを怒鳴るのよ。

だから園長に「あの人やめさせてください」って言いに行ったわけ。
そしたら「なんでですか?」って言われたから、「自分のクラスを大事にしていて、やっと子どもたちの心がほぐれてきたと思っていたのに、名前もよく分からない人に怒鳴られて子どもたちが萎縮しているのは嫌だ、冗談じゃないです。だいたい、ハーモニカが子どもの何になるんですか?」って。

−よく分からない人に怒鳴られて、子どもたちが萎縮するかぁ。ごもっともですね。それで…どうなったんです?

園長は「ハーモニカをやっているから、うちの園に入れたいという保護者も結構いるので、ハーモニカはやめられない」って言うのよね。
だから、「わかりました。それじゃあ、あのくらい私教えられますから、あの人をやめさせてください」って言ったのよ、わたし(笑)。そしたら、やめさせてくれたの。

−え、すごい!

でもね、簡単なのドレミファとか。幼児ができることって、それこそ講師に怒鳴られなくたってできることなのよ。

ワークブックだってなんだってさ、そういう風でいいと思う。もちろんそうすると、その教材は生きないのよ。でもイヤイヤやらせたことが生きてるかっていうと、それもそうじゃないでしょう。

愛子さんの考える、「保育の土台」にあるべきもの


一斉保育、自由保育、それからレッジョ・エミリアやモンテッソーリ、シュタイナーとかね、それこそ色んな保育の方法があるでしょう。でもね、その保育の方法論で子どもを育てるんじゃなくて、土台にはやっぱり「子どもを尊重する」ってことがあるべき、だと思うんです。

安心できる空間と時間、人間関係があって、そこでようやくその保育の方法論を子どもが吸収していけるのよね。

愛されている確信がある子っていうのは、前へ前へと進んでいきます。自分のやりたいことをどんどんやって、子どもたちは自らどんどん育っていく。

自分で“大きくなっていく力”を身につけていくのよね。

だからね、最低限保育園が保証できるのは、子どもたちにとって「自分をすごく大事にしてくれる、ゆとりのある温かい空間であり続けること」だと思うの。

あとは、その子の力を信じてあげる。
きっとそれだけだと思わない?

(取材:雨宮みなみ
取材・文・写真:三輪ひかり)




柴田愛子


柴田愛子
りんごの木子どもクラブ代表。保育者。1948年 東京生まれ。
35年間「子どもの心により添う」を基本姿勢に保育をするかたわら、保育雑誌や育児雑誌などに寄稿。子育て支援ひろばや、保育園、幼稚園、保育士や幼稚園教諭の研修会などでも講演。子どもと遊び、子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えることで、子どもとおとなの気持ちいい関係づくりをしたいと願っている。

主な著書:「つれづれAiko」「それって保育の常識ですか?」「こどものみかた」「保育の瞬間」

絵本:「けんかのきもち」(日本絵本大賞受賞)「ぜっこう」「ありがとうのきもち」「ともだちがほしいの」