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「子ども一人ひとりを大事にしてほしい」 りんごの木 柴田愛子さんの考える、保育者の役割

三輪ひかり
掲載日:2017/04/19

「子ども一人ひとりを大事にしてほしい」 りんごの木 柴田愛子さんの考える、保育者の役割


りんごの木子どもクラブ代表の柴田愛子さん。

4月19日「みんなの保育の日」に合わせて、保育のこと、子どものことについてたっぷりお話をお伺いしました!



保育現場の「今」

ー忙しい時間(平日12時頃)に、ありがとうございます。

お弁当食べて子どもたちも落ち着いてきたから、大丈夫よ。

ーまだ現役バリバリで保育されている愛子さん、すごいです。

すごいなんてことないけど、りんごの木を始めてもう35年ね。あっという間だったけど。

柴田愛子さんの写真
笑顔がとっても印象的な、愛子さん


ー35年!保育士不足や保育士の仕事が長く続かかないことが、社会でも問題になっているのに。

実はね、わたしも昔はそうだったの。5年以上続いた園がなかった。

最初のところが1年でしょ。その次が4年、次が5年。で、りんごの木は35年。

この違いはね、結局「自分のまんま」でやれているかどうかが関係していると思うの。

ー愛子さんから見て、自分のまんまでやれている保育士さんって少ないですか?

そうね、現場にいる多くの人は、自分の感性とか思考を全部棚にあげて保育をしているような気がするのよね。

柴田愛子さんの写真


子どもを集めなくちゃいけない、給食を食べさせなくちゃいけない、園でのプログラムをしなくちゃいけない。

たくさんの“すべき”ことの中で、自分はどう思う?どう考える?ということや、思考し感じることが滞ってしまっている印象を受けます。
感性に蓋をしちゃっているっていうのかな。

だから、子どもをキャッチできない

ー子どもを“キャッチ”できない?

そう。
生々しい心を持っているから、「あ、この子顔色悪いんじゃないの?」とか「あれ、なんか元気ないな、なんかあったのかな?」って気づけると思うの。

例えば、製作活動をイヤイヤやっている子がいたとして。
自分の感性の蓋を開けられていたら、「あぁ、この子本当にイヤなんだろうな」と気づけて、「やめちゃおっか」って声をかけることができるじゃない。

でも“やらせなくちゃ”という思いだけでやっていると、そのやりたくない子は邪魔な子になり、うまくいかない子になる。
全部こっちの都合なのに、問題児になっていっちゃうのよね。

それって子どもにとっても悲しいことだし、大人も自分の感性に蓋をしてこなしているだけだから、保育や子どもとの生活が、面白くなくなってきちゃうし、疲れるものになっちゃうんじゃないかなと。

だからそれを停止しなければ、もうちょっと“人間的な保育”に変わっていくんじゃないかなぁとも思うわよ(笑)。

許可を求める子どもたち

ーそういう保育の中で子どもたちもまた、自分の感性に蓋をしてしまうようになっているんじゃないかなと感じるのですが。

柴田愛子さんの写真


その通りね。
「先生、トイレに行っていいですか?」「先生、これして遊んでいいですか?」とか、子どもが保育者に許可を求めるような発言がでてきたら、保育士さんたちには「まずい、わたしがお山の大将になっている」って、気づいてほしい

他の園から来た子は、「先生、これしていい?」って聞く子が結構多いの。
こっちは、「やりたけれなやれば」って思っているのに。トイレ行くのに許可がいる?って、びっくりしちゃう。

ーなんで子どもたちは許可を取るようになってしまうんでしょう?

そういう集団のなかだと“トップ”は先生になるわけで、その先生に嫌われたら、子どもたちは居場所がなくなるのよね。

だからどんなにその保育者が未熟だろうと、強引であろうと、その人に見捨てられたら生きていけないから、子どもたちはその人の意に沿って、その人に好かれようと努力しちゃう。動物的本能ですよね。

そうなると、保育園での子どもたちの生活は、やらされることばかりになってしまうんだけど。

柴田愛子さんの写真


今年卒園した園児の中に、りんごの木に転園してきた子がいるんだけどね。

その子、走るのがすごく好きで、親御さんは運動系の幼稚園がいいだろうと思って最初別の園にいれていたらしいの。

でもね、しばらくするとその子が「幼稚園にはもう行きたくない」って、お父さんに言ったんだって。

「どうして?お前、走るの好きじゃん」って聞いたら、「走りたいのと、走らされるのは違う。走らされるのはちっとも楽しくない」って。

ーハッとさせられますね。

私、本当にその子の言うとおりだなぁと思ったのよね。

一人の人間として子ども自身が尊重されて何かに取り組んだ場合は、それが仮に失敗しても、その体験を通して何かを体得していくものだと思うんです。

失敗でも成功でもいいのよ。
「思ったことを実現する」という基本姿勢を持てることが、自分を大切にできる人生の柱を作っていくことに繋がると思うの。

でも、やらされてできたことは、本人の成功体験にはならないのよね。評価を受けて嬉しかったレベルなの。これは優越感にはなるけど、自信にはならない

だからもし、今子どもたちにやらせることが多いな、子どもが「先生、◯◯してもいい?」って聞いてくることが多いなと思う保育士さんがいたらね、まずもっと子どもたちを見てほしい。そして、もっと耳を済ませてほしい。

上からじゃなくて、彼らに視線を合わせるの。
そうすると、“この子”のことが、見えてくるわよ。

「個」と「集団」、どちらが先か

ーそうしたい、と思いながらも、個と集団の間で葛藤する保育士さんって多いかなぁと。

保育って、一人の人間が育っていくことが目的であって、集団の質を高めることが目的ではないよね。

みんなで、集団で、乱れずに動けることが、一人ひとりの人間の何の力になるのか。子どもが育つ時に他の子どもが必要ではあるんだけど、そこの順番を間違えちゃいけない。

子どもたちがこれから、長い人生を生きていく時に自分の足で歩んでいけることが大事なのよね。
だから、個が育つための集団であって、集団のための保育ではないのよ、やっぱり。それをまず大前提に持っておいたほうがいいなと思います。

ーまずは個に目を向けよう、ということですね。

そう。集団の質が高いからって、個が生きているかっていうとそうでもなくて、逆に集団の質が一見高そうに見えたクラスのほうが、個の表情が生きていないなんてことってよくあるの。

柴田愛子さんの写真


たとえばね、「今日これやろう」と子どもたちに提案した時に、すぐ「え、なになに?」って言ってくる子は、10人のうち2人位だろうし、遠目にじーっと見て安心しないと取り組まない子もいると思うの。「それ嫌い」って受け止めようとさえしない子もいるだろうし、「なにやんの!なにやんの!」って来てさ、先生の話なんて聞きやしないで始めちゃう子もいるわよね。

本当に子どもたちは、十人十色。

だからね私は正直、この人たちをまとめて保育できるわけがない、と思うの。

カリキュラムに沿ってくれるありがたい子どももいるけれど、ことごとく沿ってくれない、それもまたありがたい子もいる。

私たち人間は、本当に色々なところで一人ひとり違うから、おんなじことにおんなじように食らいつく子なんていないし、保育者側もおんなじことをそれぞれの子どもたちに保障することなんて、できないのよね。

愛子さんの考える、「保育者」の役割

ー愛子さんは「保育者の役割」ってなんだと思いますか?

一人ひとりの子どもを大事に想うこと
それ以外ないんじゃないかしら。

柴田愛子さんの写真


保育って、安心できる大人に会えて、その安心できる大人が自分のことを好きになってくれることで、人から守られる心地よさや愛される心地よさを感じ「人間って人間を信じて生きていっていいんだ」と子どもたちが思える土台を作ることだと思うの。

それってつまり、子どもを尊重する、ということ。

保育者には、子どもたちにとってなにかがあった時や泣きたい時に「おいで」って言ってくれる人、「イヤだったの」って言った時に「イヤだったんだね」って受け止めて守ってくれる人。そんな存在であってほしいなと、心から思います。

(取材:雨宮みなみ
取材・文・写真:三輪ひかり)





柴田愛子


柴田愛子
りんごの木子どもクラブ代表。保育者。1948年 東京生まれ。
35年間「子どもの心により添う」を基本姿勢に保育をするかたわら、保育雑誌や育児雑誌などに寄稿。子育て支援ひろばや、保育園、幼稚園、保育士や幼稚園教諭の研修会などでも講演。子どもと遊び、子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えることで、子どもとおとなの気持ちいい関係づくりをしたいと願っている。

主な著書:「つれづれAiko」「それって保育の常識ですか?」「こどものみかた」「保育の瞬間」

絵本:「けんかのきもち」(日本絵本大賞受賞)「ぜっこう」「ありがとうのきもち」「ともだちがほしいの」