フローレンス駒崎さんが考える「保育士処遇問題」に対して、保育士ひとりひとりができること<後編>
単に長時間労働、子どもの相手をするのは大変、腰痛い…という話にすり変わっちゃいけない「保育士の処遇問題」



駒崎さんが保育士の処遇問題に力を入れているのも、「必要なこと」という想いがあるからですか?


もちろん、そうですね。


駒崎さんの発言も含め、いま、今までにないくらい「保育」が世の中でクローズアップされているじゃないですか。
すごくいいことだなと思う一方で、正直大変なことにばかりフォーカスがあてられすぎて、ちょっとオーバーになっているのではないかという印象も受けています。


わかります、わかります。
ただ、保育士の給料って補助金に紐付くんですよね。なので、「現状に満足しています」だと、別に保育士の給与上げなくてもいいだろうとなっちゃうので、それは政府に向けて言い続けなければいけない。
ただ一方で、それをやりすぎると介護業界のように、「大変だから、この仕事には就きたくないよね」となっていってしまう危険性もあります。
だからその塩梅みたいなところはすごく難しい。
でも個人的には、保育士はもう少し発言し続けたほうがいいと思っています。


それはなぜですか?


世の中的に「保育は基本的に明るいし、子どもかわいいからいいでしょ」という感じになりやすいからです。
しかも保育士は女性が多いので、将来的には旦那さんに養ってもらえばいいでしょうと思っている政治家はまだまだいっぱいいる。
だからこそ、もう少し言い続けて、知らない人にも届くようにしていかなきゃいけないんです。


うーん、なるほど。



ただ同時に、保育の仕事は素晴らしいし意義深いということ、そして乳幼児期が人間にとって大切な時期であり、就学前教育を行うことによって、子どもたちの潜在能力が花開くというポジティブな面もだしていくことが、すごく重要だと思います。
そのトークのセットをきちんと持たずに、つらい部分のことばかり発言していると、良い部分も削り取られてしまう可能性があるんですよね。
単に長時間労働、単に子どもの相手をするのは大変、単に腰痛い…という話にすり変わっちゃいけない。
そうではなくて、大変だけれども何よりも意義深い仕事であるということ、そして意義深いからこそ報いうるべきだ、というロジックでなくちゃいけないと思うんです。
つまり大変だから、助けてじゃなくて。
大変だけど意義深いから、助けて、というふうになっていくべきではないかと。