カミヤト凸凹保育園・園長瀬山さんに聞く、子どもの「やりたい」が真ん中にある保育

今回訪れたのは、神奈川県厚木市にある社会福祉法人愛川舜寿会が運営する、カミヤト凸凹保育園。保育所、児童発達支援、放課後等デイサービスなどを行う拠点です。
(前編記事はこちら)
園を見学するなかで、特に印象に残ったのは、絶えず遊び続ける子どもたちの姿でした。
誰かに「次はこれをしよう」と促されるわけでもなく、それぞれが自分の「やってみたい」に向かっていく。遊びの途中で別のことに興味が移れば、またそちらへ。子ども同士で関わったり、ひとりで夢中になったりしながら、時間がゆっくりと流れていました。
そこには、「こうしなければ」という大人の決めごとよりも、子ども自身の興味や意思を尊重する空気があります。
では、子どもたちが自分の「やりたい」を存分に楽しめる環境は、どのようにつくられているのでしょうか。そして、そんな子どもたちを前に、大人は何を見て、どんなふうに関わっているのでしょう。
後編では、園長の瀬山さと子さんに、カミヤト凸凹保育園が大切にしていることや、日々の保育で考えていることについて、じっくりとお話を伺いました。
「暇な人がいない」園
_ 園を見学させてもらっていて印象的だったことの一つが、子どもたちが私たち見学者のことをあまり気にしていなかったことでした。
子どもたちはみんな、自分のやりたいことをやってる感じなので。私たちがこうやって見ていても、誰も来ないんですよね。「なんだなんだ?」って寄ってくることもなくて、もう空気みたいな感じ(笑)。

それは、カミヤトの子どもたちが見学慣れしているというのもあるけれど、やっぱり自分たちがやりたいことがあって、そんなに手持ち無沙汰にしていないんですよね。
私、いつも「ここには、暇な人がいないな」って思うんです。もちろん事務所に遊びに来て、「これやろう」「あれやろう」っていう子もいたりはします。でも、とにかく自分のやりたいことがあるから、みんな暇じゃない。
_ 今日も、この年齢だからこの部屋にいないといけないということはなく、園舎内の至るところで一人ひとりが「自分のやりたいことをする」という状態があったように思います。それを、保育者の皆さんがどう保障しているのかが気になりました。
もともと「一人ひとりを尊重する」ということは、大人に対しても子どもに対しても、開園したときからあって、そうしているうちに、今みたいな形になっていったんだと思います。
例えば、今ここで年中さんが粘土をやっていて、そこに3歳の子や1歳の子が来たら、「どうぞどうぞ」って当たり前のようになります。そうしているうちに、年中の担任であっても「3歳も1歳も見るよ」ということになっていくんですよね。
今日も、同じ園舎内にある障害児通所支援事業「カミヤト凸凹文化教室」に通う子が1歳のクラスで過ごしていましたけど、1歳の担任はその子も一緒に見る。5歳の子が「0歳のお部屋でご飯食べたい」と言ったら、「どうぞ」ってなる。

「全職員で全員を見る」ということを最初から掲げていたわけではなくて、子どもたちのやりたいことを叶えていったら、自然とそうなっていったんです。
だから、よく「カミヤトさんはインクルーシブですね」と言っていただくんですけど、「これってインクルーシブですかね?」みたいな感じなんですよ。
「毎日集まる」をやめた理由
_ 子どもたちが一人ひとり自分のやりたいことをして過ごしている。その中で、クラスのみんなが集まる時間はあるんですか?
朝の集いや、毎日のサークルタイムみたいなものは、今はほとんどないですね。と言うのも、昔はやっていたんです。でも、だんだん子どもたちが集まらなくなってきて。「今遊んでるから結構です」って(笑)。
毎日名前を呼んで、毎日集まって……って、「いや、もうそれどころじゃない。遊んでるから」という子どもたちを前に、じゃあ、毎日やらなくていいんじゃない?となりました。

_「みんなで集まること」よりも大事なことがそこにはあると考えているのですね。
そうですね。サークルタイムのために一度遊びを中断すると、遊びのテンションをもう一回そこに持ってくるのって難しいじゃないですか。
「ちょっと話をするから、今やっているものを置いておいてね」と言われてサークルタイムに出て、戻ってきたら、「あれ、なんだっけ?もうこの遊びいいや」ってなってしまう子って結構いませんか。それって、もったいないよねと思うんですよ。
もちろん、「ライブ」をすることを楽しんでいる子どもたちで結成されたライブチームに「今度のライブの話をしない?」と声をかけると、わーっと集まります。だって、やりたいことだから。「じゃあポスター作ろう」「いつやろう」「誰がやる?」って、どんどん話が進む。そういうことは自然と集まるんですよね。だから、必要なとき以外は、集まらなくていいんじゃないかということになりました。

「それくらい、いいじゃない」が生むもの
_ 給食も印象的でした。食べる場所も時間もかなり自由ですよね。
そうですね。0歳さんのお部屋は幼児さんのお部屋から遠いんですけど、それでも0歳さんのお部屋で食べる幼児さんもいたりしますし、今日は暑くていなかったですけど、園庭の一番奥の方で食べる子もいたりします。
なので、カミヤトの給食風景って、見る人が見たら「何これ?」と感じると思うんです。給食室までおかわりを取りに行って、それを持って帰る途中でいいものを見つけて遊んじゃって、おかわりをどこかに置いていて、「あれ、なんだっけ?まだ食べてる途中だった!」って子もいますから(笑)。

でも、そういうことって、今しかできないじゃないですか。学校に行ったら絶対やらない。だったら、この6年間くらい、好きなことをしてもいいんじゃないかなって思うんです。
もちろん、食事中に立ち歩いて遊んでいることが「いいこと」だと言っているわけではないですよ。でも、そんなこと、1年も2年も続かないんですよね。「今日くらい、いいじゃない。明日はちゃんと食べようね」くらいで、いいんじゃないかなって。
片付けだって、やりたい子はやるんです。「片づけましょう」と声をかけることもあるけれど、どうするかは子どもが自分で決めます。大人だって片付けが好きでせっせと片付ける人もいれば、片付けはどうしても苦手という人もいるじゃないですか。子どもだって同じですよ。
食器を毎日きちんと片付けるほうが気持ちいい子もいれば、ときどき全部ほったらかして遊んでいるほうが気持ちいい子もいる。それも個性でいいんじゃないかなって。
_「片付けない=だめな子」にはしない。
だって、その子は片付けない代わりに、すごくユニークな遊び方をしているんですよ。発想が豊かで、どんどん遊びを発展させていく子だったりする。そういう子を見ると、「私たちが持っていないものを持ってるな」と思うんです。そして、「君はそっちの世界を極めてくれ。一般的な片付けとかは私たちがやるから」って思っちゃうんです(笑)。
もちろん、いつも悩むんですけどね。「これ、許されるんだろうか」って。でも、この園の中くらいは、許されていてもいいんじゃないかと思っています。

「ルール」より、その子が「大切」と思うことを大切にしたい
_ カミヤトさんには、ルールはないんですか?
ルールは一つもないんです。決めちゃうと、守らせたくなるじゃないですか。
そう話すと、よく「そうは言っても、ありますよね?」って食い下がる人がいるんですけど、本当にないんですよ。
ここでの日々は、「ルールを守るため」とか「学校に行くため」のものではないんです。その子が自分の人生で、どちらに進んでいくのか、何に興味を持っていくのか。人生の初めの時期に、その子自身が「大事」と思うことを、本人も、周りにいる人も大切にできる日々でありたいなと思うんです。
それが、「自分の人生は、自分のものなんだ」と思えるきっかけになる。その子が自分の人生を、自分のものとして歩いていく。そのためのきっかけをつくるのが、保育なのかなと思うんですよね。

_ その根底にあるのは、子どもを信じているという思いでしょうか。
そうですね。私はここに着任して、最初は「なんでこんなに低いフェンスなの? 大丈夫なの?」って思っていました。
実際、あるとき、子どもがフェンスを登っていたんですよ。「僕、外に出られるよ」って言いながら足をかけたんです。でも、その子に「出ちゃダメ」って言わずに、「そうだね、出られるね。どうする?」と声をかけたんです。
そうしたら、跨ごうとしていたのに、自分で考えて、自分で戻ってきた。そのとき、「子どもって、本当にいい人なんだな」って思ったんですよね。
だから、子どもを信じて待つって、簡単なことではないけれど、やっぱり大事なんですよね。
今日も、大きなカブトムシの取り合いで、気持ちがぐしゃぐしゃになって、ドーンって周りに感情をぶつけている子がいましたけど、一回むしゃくしゃして、やり合っちゃったりもする。でも、その子がその経験を乗り越えていくところを見届ける。
子どもを信じて待つ瞬間って、私にとっては、自分の人生への贈り物みたいなものだなと、毎日思うんです。
「答えを教えない」ことで、大人も子どもも育っていく
_その眼差しは、大人(保育者)にも向けられているということを、保育者の皆さんの姿から感じました。
大人も、自分で考えて、自分がいいと思ったことをやってもらう。それに対して、ダメ出しはしませんね。子どもとの関わり方でも、今その子と関わるのが大事だと思ってるんだね、じゃあ、他の子は私が見ておくねと思うし、そういうやり方もあるんだ、今度私もそうやってみようと、発見になります。
もちろん困ったら相談してくれればいい。でも、私もわからないことだらけだから、一緒に悩んで「一瞬は使えるかもしれないから、ちょっとやってみて。ダメだったら、また考えましょう」って、ちょっとモヤモヤしておくんです。スッキリする答えは出さないし、私も困ってるんだよねって。
_ 答えを渡さないんですね。
子どもも一緒で、たとえば「〇〇くんが〜してくれない」と言われても、「ほんとだね。困ったね」って一緒に困る。そうすると、「大人ってなんて役に立たないんだろう」くらいに思って、自分たちでなんとかするんですよ。そのほうが、絶対にいい解決策が出ますよね。
自分で考えたことが、その人にとっての正解だから。人に教えてもらったことだけじゃなくて、自分で考えて導き出したことのほうが、きっとその人にとって価値があるし、いろんなやり方があったほうがいいなと私は思うんです。

その人が今やろうと思っていることを信じて、見届ける。それは子どもに対しても、大人に対しても同じです。
失敗したら、また考えればいい。やり直せばいい。「ちゃんとしなきゃ」って頑張りすぎなくていい。
そのほうが、お互いに健康的なんじゃないかなって思いませんか。
撮影:雨宮みなみ
写真の一部ご提供:カミヤト凸凹保育園
この記事の連載
「一人ひとりの異なりを大切にする。」_ カミヤト凸凹保育園 (神奈川県厚木市)
園内には、0〜6歳の児童発達支援と就学後7〜18歳の放課後等デイサービスを行う、障害児通所施設「カミヤト凸凹文化教室」も併設され、年齢や発達の違いにかかわらず、子どもたちがともに過ごす、インクルーシブな保育を実践している園です。
そんなカミヤト凸凹保育園で、子どもたちはどんな毎日を過ごしているのでしょうか。
前編では、園の様子を写真とともにたっぷりお届けします。
