しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記Ⅲ(第八回)「言葉を二人の間に置いて」
かりんや、みかんの木が実をつけ、少しだけ冷たい風と柔らかな日差しに幸せを感じるしぜんの国の園庭。先日、園内の研修で自分の身体で園庭を感じる時間があった。テーマは「本来備わっている自分の感覚を信じる」。
裸足になってみる、ぼおーっとうんていに腰をかけて、動く笹を見つめる。笹が風に揺れてふんわりと私の身体に近づく。いつもは自分から植物に近づくけれど、植物から私に近づいてくれることがあるのだなと思う。
じゃぶじゃぶ池の水たまりに足を入れてみる。最近threeで買ったネイル「PASSIONATE HEART」の朱色が池の水とそぐわなくて笑ってしまう。思ったより水が温かい。落ち葉がザラザラと足の裏にまとわりつく。アメンボの影が光に当たる。手裏剣みたいな形が水面に光る。
周りの保育者も園庭にゴロンとしたり、土を触ったり。
自然の中に溶けているのがわかる。
子どもたちの表現に出会う時。自分の感性が開いていないとその喜びや眩しさを気づくことができない。私の枠にとらわれて、今この時を逃さないように。
このところ、幼児クラスの子どもたちの様子を見ていると「何をして遊びたいか」よりも「誰と遊ぶのか」が重視されている子がチラホラいる。
「ねえ、一緒にごはん食べようね」「この後、私と絶対遊んでね」約束が嬉しいのか、その子のことを独り占めしたいのか。私も、そっとあまり口に出さずに眺めている。ただこの間は少しだけ言葉をかけた。
離れた里山にバスで出かけた日のこと。冒険に行くチームと、野原でゆっくり過ごすチームに別れた。いつも冒険に行くのが好きなカズマくんが、行かないという。「あれ、冒険に行かなくていいの?」というと「タカシくんが行かないで、って言うんだよね」という。「自分が行きたい方に行ったらいいんじゃないかしら」というと「でも、それするとタカシくんが泣いちゃうからさ」それをそばで聞いていたタカシくんは「僕、泣かないよ」と少し気まずそう。「本当に行きたい道を選んでね」そう言葉を二人の間に置いて、少し離れた。
最終的に二人は他の友達数名と一緒に野原で遊ぶことに。拾った木や枝でチャンバラをしたり、木登りをしたり、追いかけっこをしたり。その笑い声は確かにとても楽しそうだった。子どもたちは、網目のような関係の中で、自分を作っていく。その有り様の傍らにいる「私」という存在。輪郭を強くしたり、透明になったりしながら彼らのそばにいる。「本来備わっている自分の感覚」。あの研修を思い出しながら、彼ら彼女たちの生きる様に、そして成長に、どう触れていくのか、掴んでいくのか、考えている。
ー このコラムは『しぜんの国保育園 園長美和さんのわっしょい日記Ⅲ』の連載第八回です。
園長美和さんのわっしょい日記
しぜんの国保育園の暮らしについて、園長という視点から綴られているコラム連載。“タイトルの「わっしょい」はさまざまあるようですが、語源である「和を背負う」という意味と、なんだか口に出すとうれしい気持ちになるところから名付けました。悩み揺れながら感じる日々の小さなあれこれを綴っていきたいです。”(園長美和さんより)
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