「子どもたちにとって一番大切なことってなんだろう?」柴田愛子さん×子どものこころ専門医 山口有紗さん〈前編〉
りんごの木子どもクラブの柴田愛子さんが、子どもの世界の淵(ふち)にいる方とおしゃべりをする新連載「井戸端aiko」。
第五回目のおしゃべりのお相手は、小児科専門医で子どものこころ専門医でもある山口有紗さん。今回は、ライターの三輪から「ぜひ、愛子さんにお繋ぎしたい!」と提案をさせてもらい、山口さんとの対談が決まりました。
山口さんとの対談はいかがですか?と提案していただき、人となりを拝見したら、まあ、なんと面白そうな方!
容姿は美しく、おやりになる事は大胆。すぐに好奇心が湧いてしまいました。こんなかたが小児医療にいてくださるなんて、心強くもあります。ぜひ、お目に掛かりたいと実現していただきました。
「井戸端aiko」おしゃべりのお相手は…
山口 有紗さん
高校を中退し大学入学資格検定に合格後、立命館大学国際関係学部を卒業、山口大学医学部に編入し、医師免許取得。東京大学医学部附属病院小児科、国立成育医療研究センターこころの診療部などを経て、現在は子どもの虐待防止センターに所属し、地域の児童相談所や一時保護所での相談業務などを行なっている。国立成育医療研究センターこころの診療部臨床研究員、内閣官房こども政策の推進に係る有識者会議委員。こども家庭庁アドバイザー。ジョンズホプキンス大学公衆衛生学修士。
柴田 愛子さん
1948年、東京生まれ。
私立幼稚園に5年勤務したが多様な教育方法に混乱して退職。OLを体験してみたが、子どもの魅力がすてられず再度別の私立幼稚園に5年勤務。
1982年、「子どもの心に添う」を基本姿勢とした「りんごの木」を発足。保育のかたわら、講演、執筆、絵本作りと様々な子どもの分野で活動中。テレビ、ラジオなどのメディアにも出演。
子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えながら、‘子どもとおとなの気持ちのいい関係づくり’をめざしている。
著書
「子育てを楽しむ本」「親と子のいい関係」りんごの木、「こどものみかた」福音館、「それって保育の常識ですか?」鈴木出版、「今日からしつけをやめてみた」主婦の友社、「とことんあそんで でっかく育て」世界文化社、「保育のコミュ力」ひかりのくに、「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」小学館、「それってホントに子どものため?」チャイルド本社、絵本「けんかのきもち」絵本大賞受賞、「わたしのくつ」その他多数。
私、私たち、日本、世界。
愛子さん
私、あなたの経歴をお聞きしたときにびっくりしたのよ。えー、こんな方と会えるの?!って、本当に楽しみにしてました。
有紗さん
ありがとうございます。
愛子さん
根ほり葉ほりお聞きしてもいいかしら。まず、高校を中退してロンドンへ行かれたんですよね。当時、まだ10代だったあなたはどうしてロンドンへ行こうと思ったのかしら?
有紗さん
ロンドンへ行くよりも前のことからお話すると、中学3年頃から心の不調がありました。今でも明確な理由はわからないのですが、思い返すと、両親の不和だったり、幼少期から「どうして戦争が起きてしまうんだろう」、「どうして人間は豊かな自然を壊してしまうんだろう」と、人間として生きることへの罪悪感みたいなことを感じるような心の在り方を持って生きていたことなど、様々な要因が組み合わさっていたと思います。
それで、親と一緒に住むことも難しくなって、高校1年生の時に家を出て一人暮らしをしたものの、当時は光も人も怖くて、家に引きこもるような生活をしていて。そんな時期に、9.11アメリカ同時多発テロが起きたんです。私は暗い部屋で、二機の飛行機がビルに突っ込んでいくのをテレビを通して見たんですけど、そこで、「忘れ去られることがあってはいけないことが世界に起こっている、もっとこれを自分事で捉えているところに行かなきゃいけない」と、すごく直感的に思ったんです。
愛子さん
光も怖くて引きこもるような暮らしから、いきなり海外に。そうしようと思えたパワーがすごいわね。
有紗さん
本当はニューヨークに行きたかったんです。でも、テロがまた起こるんじゃないかという周りの反対もあって。それで、アメリカではないけれど、テロの後に軍隊を派遣するかどうかで連日デモが起こっていたイギリスであれば、自分の考えを大事にしつつ、中学生の時に滞在した経験もあり周りの納得感が得やすいだろうと思い、ロンドンへ行くことにしました。それが17歳の時です。
愛子さん
小学生の時にもロンドンへ行っていたのね。ねぇねぇ、ちょっと話が逸れるけど、子どもの頃に日本以外の国を知るということは、とても意味があると思います?
有紗さん
そうですね。必ずしも物理的に行くのがいいのかはわからないですけど、いろんな世界があることに触れたり、自分がマイノリティであることに気づくのは大切だと思います。
それこそ、自分と違うものを分けることって3歳ぐらいから始まると言われているので、そのくらいの年齢の人たちが混ざるということが特に大切かなと。
愛子さん
私も、そういうことって頭で理解する以前の問題だから、多感なまだよくわからない時期に出会うのがいいんだろうなと思っているんです。頭で理解してっていうと、ちょっと偽物っぽいなと思うのよね。
有紗さん
頭で理解するというのは、その人の中にカテゴリが先にあるっていうことですものね。
愛子さん
そうそう。りんごの木にはいろんな国籍の人がいるんだけどさ、人間だけじゃなくて、文化が違うということとかも含めて、意識に残る以前に体験するといいなって。
有紗さん
すごく素敵な視点だと思います。たとえば、LGBTQ+は最近になって「再発見」じゃないですけど、こういう在り方が、一般的に生き物として取り得るスタンスなんだということにみんなが気づきました。でも、それが新たな選択肢として降ってきて初めて考える、特にそれが大人になってからとなると、いろんな障壁が出てきます。たとえば私で考えると、「女」というカテゴリの中でずっと生きてきていると思い込んでいたので、自分の中にあるかもしれない「そうじゃない」カテゴリみたいなものに気づきにくい状態で今まで過ごしていたのかもしれないということになります。なので、言葉を使った理解がある前に、もっと本質的に自分のそのままで感じられるのが大事なんじゃないかなと思うんです。
子どもを中心とした全ての人たちが平和に暮らせるために何ができるか
愛子さん
話を戻すわね。9.11後にロンドンへ行って、そこでどんなふうに過ごしていたの?
有紗さん
人の役に立ちたいという気持ちが心の中にあったので、「ボランティアをさせてほしい」と片っ端から病院に電話をかけて、どうにかインド人のリハビリセンターでボランティアをさせてもらっていました。でも、何しろ物価も家賃も高くて。親が大学資金として用意してくれていたお金を使って生活をしていたこともあり、色々考えて7ヶ月位で帰国しました。
愛子さん
それで、それから医者になろうとしたんでしたっけ?
有紗さん
いえ、医者になろうとしたのはもうちょっと先で。帰国してからは、京都で一人で暮らすことにしたんですけど、中卒だったので仕事が全然見つからなくて。面接もしてもらえないみたいなことを繰り返して、結局、いわゆる夜の仕事っていうんですかね、ホステスをしながら、昼間は養護児童施設でボランティアをする生活を送っていました。
愛子さん
昼は養護児童施設でボランティア、夜はホステス。あなた、素敵ね!
有紗さん
自分のミッションはその時からあまり変わらなくて、「子どもをふくめて、全ての人たちが平和に暮らせるために何ができるか」ということを考えていました。でもそういうボランティアをしていることとか、自分のミッションみたいなことを、夜の仕事でお客さんに語ると、わかってくれる社長さんとかもたまにいるんですけど、大体はコケにされて終わって。そういう経験から、中卒であることや知識がないことで取り合ってもらえないのは不便だなと感じて、高卒認定試験を受けてから大学に行くことにしたんです。
でも、大学に行こうと決めたのが2月とかだったので、ほとんどの大学はもう入試締め切りが終わっていて。とある塾に忍び込んで受験のスケジュールを見てみたら、まだ入試申し込みができる大学が2つあると分かって、そこから2週間位、めっちゃ勉強しました。
愛子さん
2週間しか勉強しないで、大学に入ったの?!でも、自分で決めたことだから、頑張るよね。
有紗さん
そうそう、そうなんです。失うものも別にないし、むしろめっちゃ勉強だけに集中できるっていう。
愛子さん
大学は面白かった?
有紗さん
面白かったですね。夜働いて、昼大学に行って。そもそも一回学校をやめていたので、勉強できるということの価値みたいなものも強く感じていましたし、授業料は当時の私にとって大金だったので、この授業は一体いくら?!みたいな感じで、すごくかじりついて勉強していました(笑)。
愛子さん
あなた、本当にすごい素敵。
有紗さん
ありがとうございます。それで、大学3年生の就職活動の時期に、「子ども」「平和」「幸せ」ということをやりたくて、報道とJICAと医学部を受けて、医学部に編入することにしました。
愛子さん
そのあとは病院に勤めて、小児科の先生をされてたの?
有紗さん
語弊があるかもしれないですが、元々、医学とか診療にすごく関心があって医者を目指したわけではないんです。子どもたちにとって住みやすい地球を作りたいと願ったときに、子どものそばにいないと子どもの本当のニーズはわからないなという気持ちがあって、かつ、子どものそばにいる時に、子どもたちに声を届けてもらったり、何か教えてもらう以上、わかりやすく私からも返せるものがあるといいなと思ったんですよね。それで、医者はいいなと思ったんです。提供できるものがわかりやすくあるなと。
心に関われる医者としてトレーニングを受けるという基準で場所を考えながら、医師免許を取ったあと5年、研修や修行などで病院に勤めて、その後は、世田谷にある国立成育医療研究センターというところに勤めながら、子どもの心の診療に携わるための研修を3年ぐらいしました。
そのあいだに子どもが生まれて、そこを辞めて。今は、社会福祉法人子どもの虐待防止センターに所属しながら、地域の児童相談所や一時保護所で保護されている子と面談をしたり、こども家庭庁でアドバイザーのような仕事をしています。
愛子さん
そうやっていろんな人生歩んでいらっしゃる中で、結婚もして、子どもも産んでるってすごくない?
有紗さん
私、恋に落ちやすくて、すぐ一目惚れしちゃうんです(笑)。
愛子さん
一目惚れって長く続きます?いや、なんでこんな質問するかと言うとね、こないだ脳科学の学者の話を聞いていたら、恋愛ができる期間は2年だっていう話があったのよ。2年以上同じような思いで一人の人を眺めることは動物的に無理だって。
有紗さん
すごい面白いですよね。それって多分、出会って、性交渉をして、授かって、育てて。子どもがある程度生きていけるくらいまで見守るのが人間は2年ということですよね。2歳だと歩けるくらいになっているので。
愛子さん
そうなのよね。だから、なんで人間ばっかりこうやってしがみついて、何十年も一緒に暮らすのかなと。不自然なんじゃないのって思っちゃうわけ。
有紗さん
虐待防止の学会でも、文化人類学や動物学の学者の方が来てくださると、別の視点をくださるんです。例えば、他の動物だと、子どもにいわゆる障害とよばれるものがあった時に、生物として不利だと判断して殺してしまったり、そうではない種をくれそうな別の個体が現れるとすごく魅力的に感じて、そちらに心移りするものもいるんだそうです。
それでも人間は、そこにしがみつくというか、それでも一緒にいようとしたり、何かを大切にしようとしたり、もがいたり、ときに助けを求めたり助けたり、それができなくて苦しんだりもする。そこにある力に敬意というか言葉にできないものを感じる一方で、だからこそ、虐待とか暴力とかがその渦中にいる人の個人の悪さのようなものに帰結されてしまうことには、苦しさも感じます。
子どもの声を聴くということ
愛子さん
今、子ども家庭庁に属しているとのことだけど、頑張ってね。2023年4月に子ども家庭庁が発足した時から「これからどうなるんだろう」と、現場人として不安で。
実際、今年に入ってからいろんな事故やいくつかの保育園の実情が浮き彫りになったことで、「不適切(な保育)」という言葉が行政から現場にどんどん下りてきているの。不適切な保育かどうかを確認するチェックシートまであるのよ。
有紗さん
私も不適切な保育かどうかのチェックリストについては思うことがあります。というのも、子どもたちにとって何が一番大切で、何を保障する必要があるのかというところに立ち戻らないと、Do Not LISTを作っても意味がないと思うんです。
もし仮に、チェックリストや、最低限みんなが気を付けるべき同意事項のようなものを作るとしても、子どもたちにとって、広い意味での安全で安定して継続的な温かい関係性があること、そしてそこには冒険の要素もあるし、子どもの探究に寄り添う場であるという前提を共有した上で作ることが必要だなと感じます。子どもたちが持っている冒険の力みたいなものが消えるようなことは決してあってはならないと思っています。
愛子さん
たしかに、立ち止まって自分たちの保育を振りかえらなくちゃいけないし、やりすぎていることがないか自分たちで検証しなくちゃいけない。でも、「不適切ではないこと」や「事故や怪我がないように安全である」ことだけを保証すればいいのかと言ったら、私はやっぱり違うと思うのよね。
例えば、区の職員が監査に来ると、階段には柵をつけないといけないし、台所と保育室が一緒の空間にあるような作りではいけないと言われるの。でも私は、ここの階段からもし落ちても途中で止まるのを知っているし、普通のおうちであることにこだわっているから、台所と保育室が一緒の空間にあるということに意味があると思っているんです。
失礼を承知で言うけれど、チェックしにきている方は、子どものプロではないわけなの。リストと照らし合わせながら保育の質が低くないか、不適切なことはないかを確認しているだけ。私たちは、子どもたちと日々信頼関係を築きながら一緒に生活しているのよ。だから、「一律にこういう言い回しをしよう」とか、「こういう対応をしましょう」とか、そういうことではないはずなの。
有紗さん
本当にその通りだと思います。こども家庭庁では「こどもまんなか社会」という基本方針のもと、子どもの声や視点を尊重することを大切にしています。そのため近年にわかに、いろいろなところでインタビューや子ども会議のような形式で子どもたちの意見を聞いたりする取り組みが増えていると聞いています。これ自体は大切なことだと思うのですが、私はそのプロセスについて、きちんと考えていくことが求められると感じています。特に、未就学の方たちの声を切り取られたヒアリングや代理の声で聴くことについては、本来はより子どもたちの生活や遊びの中で見られるハッとした表情や姿に意見や願いがあるはずなのにって。本質が理解されないまま形式的に子どもの声を聴くようなことが広がってしまうと、社会に本来の子どもの声が届かないのではないかと心配です。
愛子さん
そうだね。私は30年以上前から子どもたちのミーティングというのをやってきてるんだけど、いかに本音に言葉を乗せられるかっていうことが大事であって、会議ではないの。どういうことかというと、結論を出しちゃいけないのよ。一人ひとり違うことを考えるんだとか、一人ひとり好きなものや嫌いなものが違うんだねとか、そういうことの中で自分を発見して、他者を発見して、この違いを当たり前として受け止めていく。
子どもを大事にしようってこんなに言わなければ子どもが健康に育たない社会って、私はどう考えても変だと思う。子どもが政策の中心に踊り出たなんて前代未聞だし、大人が豊かだったら、子どもはこんなに迷惑してないって思うのよね。
だからね、大人たち一人ひとりがもうちょっと子どもに感動してほしいと思うし、生きてることに感動してほしいと思わずにはいられないの。
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撮影:雨宮 みなみ
この記事の連載
「行く場所と帰れる場所が小さくどこかにあるということの意味。」柴田愛子さん×子どものこころ専門医 山口有紗さん〈後編〉
第五回目のおしゃべりのお相手は、小児科専門医で子どものこころ専門医でもある山口有紗さん。
前編は、有紗さんのこれまでの歩みを振り返るなかで、有紗さんと愛子さんそれぞれが大切にされていることが浮き彫りになっていくような、大切なことに触れるような、そんなお話でした。
後半では、愛子さんが有紗さんに尋ねたいと思っていた、乳幼児よりももう少し大きな子どもたちの話題からはじまります。