「私の子どもから、私たちの子どもたちへ。」地域の中で食べて・つくって・遊ぶ、“うみのこ”の暮らし。
今回訪れたのは、神奈川県逗子市にある“一般社団法人そっか”が運営する保育園「うみのこ」。
▶「今日は、何して過ごそうか?」からはじめよう。ー うみのこ(神奈川県逗子市)
園を地域へ開き、町の中、自然の中で暮らす「うみのこ」の子どもたち。どんなことを大切にしながら日々の暮らしをつくっているのか。
一般社団法人そっか代表の小野寺 愛さんと、うみのこ園長の山ノ井 怜生さんにお話を伺いました。聞き手は、うみのこで保育士もしている、ライターの三輪です。
れおっち(山ノ井さん)と愛ちゃん(小野寺さん)
子どもの「やりたい」からはじまり、広がる日々を。
ー うみのこで一緒に働きながらも、「うみのこって…」という話を、れおっちや愛ちゃんにじっくりと聞いたことがなかったので、インタビュー楽しみにしてました。
小野寺:
本当だね。ひかちゃんにインタビューしてもらうってなんか不思議な感じ。
ー では早速ですが…今日も、「今日は何する?どこ行きたい?」という問いから子どもたちと一日を始めてましたよね。
山ノ井:
うみのこは、子どもたちの「やりたい」という気持ちを真ん中に生活することを大切にしていて、どこでどう過ごしたいのか、なるべく子どもたち自身が決められる毎日を過ごしたいと思っています。
そして、逗子の海や山をフィールドにして地域とつながりながら生活をする。子どもたちはきっと、この町を自分たちの庭のように思ってるんじゃないかなぁ。
海や山での楽しみ方もよく知っていて、たとえば今年は春過ぎから、逗子海岸でハゼやエビなどを網を使って捕ることを楽しんでいて。
小野寺:
そこから「釣りもしたい!」って、造形のスタッフに相談しながら、自分たちで釣りざおをつくることにしたんだよね。
竹と桜の木をつかって、釣竿をつくる。
小野寺:
もともとはあの時期、「本物の道具(大工道具)を使おう」というコンセプトで風見鶏を作る予定にしていたのだけど、子どもたちの姿や興味を見てカリキュラムを変えて。子どもからはじまる保育が、2年目にしてできるようになってきたなぁと、あの時感じたよね。
山ノ井:
そうそう。「昨日こうだったから、今日はこうしてみよう」と子どもたちと相談しながら、柔軟に決められるようになってきたなと思います。
結局、一週間くらいかけて釣りざおは作りあげましたが、その過程もすごく面白かった。切ることを一生懸命にやる子もいれば、削ることに夢中になる子もいるし、ライン巻くことがすごくうまい子もいて、それぞれに得意なことやここ頑張ろうということが違ったんだよね。
細いのがいい!長いのがいい!自分の好きな形の釣竿が完成。
小野寺:
れおっちを見てていいなって思うのは、全員に対して「ちょっと待ってて」「やりかた見てね」「ここまでやろう」と、決めたり、待たせたりするのがほとんどないこと。早く終わった子は待ちぼうけ、みたいなことが起きないのは、毎日一緒に過ごすなかで、一人ひとりの「身の丈+数センチ」が見えているからだと思うんだよね。それがあるから、子どもから広がる保育が実現可能なんだなって。
山ノ井:
一人ひとりの姿を、日々大切にする。そうすることの積み重ねの先に、その子が頑張っていることや、どこから手助けが必要で、どんな環境を用意すればいいのかが見えてくるのかなと思います。
小野寺:
子どもの「やりたい」から始まり広がる保育をしたいということを、親御さんともきちんと共有できているのも大きい。その信頼関係があるから、いつ始めるか、いつまで続けるか、いつやめるのかをその子自身が決められる毎日を、みんなで大事にできているし、“公平性の呪縛”みたいなことからある程度、自由でいられているんじゃないかなぁ。
山ノ井:
たしかに、それはあるかもしれないですね。一番大事なのは、子どもたちが気持ちよく過ごせること。家よりも長く活動している時間があるわけだから、やらなきゃと焦ったり、これはダメと禁止されることはなくしていきたいし、だからこそ、親御さんとのコミュニケーションもすごく大切にしています。
知ることは感じることの半分も重要ではない
ー 子どもたちが気持ちよく過ごせること、私もとても大事だと思うんだけど、愛ちゃんやれおっちは、“気持ちのよい”状態ってどうするとつくりだせると考えてますか?
小野寺:
子どもたち自身がよく「感じて」いる、ということが何より大事だと思っています。先生たちは場作りに力を注いでいて、教えるということをあまりしないで済む流れを作っているよね。
『センス オブ ワンダー』の中で著者のレイチェル・カーソンも「知ることは感じることの半分も重要ではない」と書いていたけれど、日々感じたことをベースに動けるということが、そのまま、心地よさにつながっているんじゃないかな。
ー 心地いいって個人の感覚だからこそ、日々いろんなものを感じきる中で「私はどんな状態や物事を心地いいと感じるのか」ということへの解像度を高めていくことが大事なのかもしれないなぁ。
小野寺:
うんうん、感じきる時間って大切。それと、子どもたちがそれぞれに感じていることが響き合っていく余白も大事にしていたいと思います。
”うみのこ”だと特に、3〜5歳児だけじゃなくて、小学生から大人まで地域のいろんな人が出入りをしている。そういうちょっと上の人や大人たちがしていることを見て、自分なりに感じて、自分たちで自然に何かをはじめるということがよく起こるよね。あの自然にはじめちゃう感じ、すごくいいなって思って見ています。
自分たちだけで焚き火の火起こし。これも大人や小学生の姿を見るところから始まっている。
山ノ井:
子どもたち同士の響き合いって、たしかによく起きているなと思います。運動会が終わったあと、走ったり、ビーチフラッグをしたりする姿が、年長児の子どもたちを中心に続いてるけど、本気で勝負したあとに、勝った子が負けた子に対して「ありがとな」とか、負けた子も「お前、次も絶対勝てよ!」とか言い合ってて、なんかそういうのすごくいいよなって。
子どもたちは、いいところを見つけるのが上手だし、そういう風にお互いに響き合い、認め合うことで、心地いい関係性をつくっているのかもしれない。
地域の中で食べて、つくって、遊ぼう
ー うみのこは、今年度で2年目のまだまだ新しい園だけど「子どもを真ん中に、地域の中で自分たちの手で生活をつくっていく」という文化みたいなものが、すでに出来てきているなと感じていて。
でもそれは、運営母体の『そっか』の思想や積み上げてきた文化が根っこにあるのが大きいんじゃないかなと。改めて、『そっか』の成り立ちや大事にしていることも聞かせてもらいたいなと思いました。
小野寺:
『そっか』は、今から4年前、同じ幼稚園に通っていた年中児の保護者三人ではじめました。いま、私たちは、お金さえあれば衣食住が手に入る便利な時代を生きているでしょう?その中で気づかないうちに子育てまでも、サービスとして最高なものを提供してほしいと思う“消費者マインド”を持ってしまってはいないかな。それじゃあダメだよね...という思いからスタートして。園や学校に任せっぱなしじゃなくて、子どもたちのためにこうあってほしいという地域をみんなでつくっていこうと。
昔は、地域の自然と人の暮らしの交わる場所に子どもの遊び場があったでしょう?漁村でお父さんたちが漁から帰ってきた時に、「お父さんおかえり」って子どもたちが海辺で遊びながら出迎えたり、農村で畑仕事をしている周りで子どもたちが遊んでいるような風景が、どこにでもあった。そこで、何を教えられなくとも、大人たちの営みから、子どもたちは勝手にたくさんのことを学んでいたんだよね。
でも今は、自然と暮らしが切り離されていて、子どもの居場所が地域になくなってしまっている。それなら逆に、この逗子の自然の中で子どもと大人が本気で遊ぶことで、元々どの地域でも当たり前だった「地域の自然の中で食べて、つくって、遊ぶ」ということを、みんなで取り戻していこうよって。
団体名は、足下(そっか)の自然で「そっか、やっちゃえばいいんだ!」と皆がうごめきだすイメージから。子どもはもちろん、大人も、かかわる誰もが主体になって、やりたいことに取り組める場であることを大事にしている。
そこから4年。気づいたら、小学生向けの放課後自然クラブの「とびうおクラブ」から、中高生向けの自然学校「アンカーズクラブ」、子どもがシェフも接客もする「子どもレストラン」、小坪漁協に協力してもらって行う逗子湾での「とびうおわかめの養殖」などなど、みんなの“やりたい”をベースに場作りがどんどん広がっていったんです。
最初から「自分たちの地域を盛り上げよう!」と思っている人は、少数派。はじめは、子どもの習いごととして、または保育園というところから、『そっか』に関わるようになった親御さんが多いんじゃないかな。でも、地域の中で育つ子どもたちの姿を見たり、自分自身も本気で遊ぶ中で、皆少しずつ、感じるところがある。自分たちの暮らしが自然からたくさんのものを戴いて成り立っていることや、地域で支え合うことで生きているということに、じわじわと気づいていく。こういうことが大事だよねって言葉で言っているわけではないんだけど、それこそ、自分自身で感じて、それぞれに解像度をあげているような感じです。わたし自身も含めて。
山ノ井:
その文化があるから、自然とうみのこもいろんなものを自分たちの手でつくることから始めていたり、親御さんたちも「子どもたちをみんなで育てていこう」と、同じ方向を向いて保育に関わってくれているのかもしれないですね。
小野寺:
そうそう、スタッフは別に「あの子のこと見ててくださいね」って言わないじゃない。でも、自然と自分の子以外の子どもたちも大事にしているのは、そういう在り方が受け継がれているのかなって。
山ノ井:
うみのこの理念のひとつでもある「私の子どもから、私たちの子どもたちへ」というのは、いつも日常の中にありますよね。自分の子、自分の親以外と、自然に遊んでいる。
ー 日々、親御さんが自分以外の子どもと、向き合ったり、寄り添ったり、遊んだりする姿がすごくたくさんありますよね。その姿を見る度に、心があたたかくなる。
小野寺:みんな本当はそうしたいと思っているだろうし、どこでも誰でもできることなんだけど、それがうまくできない何かが、今の社会にはあるのかもしれないね。
釣り好きの保護者と釣り好きの子どもが、ルアーについて朝から井戸端会議。
この町でずっと、つながり続けていく。
ー それこそ、「公平性の呪縛から自由になっている」という話があったけど、保護者との関係性も含めて、子どもが集う場をつくっている人たちが難しさを感じるところかなと思うんです。そこに対して、何かうみのこが大切にしていることってあるかな。
小野寺:
いつも必ず、子どもからはじまる場づくりをする、ということじゃないかな。大人からはじめる場や保育だと、上手にできている子とそうじゃない子が生まれてしまう。「あの子はできるのに、うちの子はできない」って、親御さんも公平性みたいなものが気になってしまう。
でも、それぞれの子が輝く場や感じることは違うという前提で日々過ごせると、その違いからかけがえのないことが見えてくる。魚釣りで輝く子もいれば、足が速くてかっこいい子もいるし、ものづくりがすごく好きな子もいる。それでいいよねって。
山ノ井:
あとは、基本的には隠さない。こんなにオープンにしていいのってくらい、オープンにしてるからじゃないかな(笑)。
小野寺:
カリスマリーダーが作る、ピラミッド型組織じゃないってことも、実はすごく大事。場をつくっている人が、苦手なことがあったり、ある程度抜けている部分があって、でも、その「抜け」をカバーしてあまりあるくらいに、その本人が楽しんじゃっている感じが、『そっか』にはあるかもしれません。あそこも抜けてるし、そこも抜けているけど、でも圧倒的に楽しそうにしていると、「一緒に動くと、なんか楽しそうだな」と、周りの人が集まってきて、自然とフォローして補ってくれるというか。
山ノ井:
うみのこでも、保育に関わってくれる大人が増えていますよね。畑も、釣りも、手仕事も、たくさんの親御さんや地域の人たちが、どんどん仲間になって、一緒にやってくれている。
小野寺:
もし何かが足りないと思ったらどうぞ入ってきて、って、その足りなさに参加する余白を常に開いているよね。そうすることで、開園2年目にして、足りないどころか余りある場が育ってきた。それは『そっか』の成り立ちでも言った、大人たちの「消費者である自分からの卒業」でもあるし、楽しさにもつながっているように思います。
山ノ井:
そもそも、僕たちだけでできないですもん(笑)。
小野寺:
そこから始まるかもしれないね。みんなでつくっていこうって。
ー 最後に、これからも大事にしたいことや、思い描いている未来があれば聞かせてください。
山ノ井:
子どもたちには、幼児期に「自分は愛されているんだな」ということをたっぷり感じてほしいなと思っています。それは、友だちでも、親でも、保育者でもいいし、いつも見守ってくれている地域のいろんな大人でもいい。わたしってここにいていい存在なんだ、愛されている存在なんだって感じられる場と人との関係を、これからも大事にしていきたいです。うみのこの子どもたちは、充分と言っていいほど感じてくれている気がするけど。
小野寺:
ね。うみのこたちは、寄ってたかって愛されているよね。
山ノ井:
あとは、これから卒園児も毎年増えていくけど、卒園したあとも一人ひとりがどう育っていくのかずっと見守っていきたいし、子どもたちがいつでも遊びに来れる、戻ってきやすい場でありたいなと思います。
小野寺;
うんうん。子どもたちをこの町でずっと見守っていけるのが、何より幸せです。
うみのこで3年育って、そのあととびうおクラブで6年育つ子どもたちは、どんな人になるんだろう。あの子たちは大きくなった時に、地域や自然との関わりをそれぞれに模索していくはずだから、それがすごく楽しみです。子どもたちが自分たちでつくっていく未来以上に、描けるものってないんじゃないかなあ。
文・写真:三輪 ひかり
この記事の連載
「今日は、何して過ごそうか?」からはじめよう。ー うみのこ(神奈川県逗子市)
「ごはんを食べながら」という連載の舞台になっていたり、リトルプレス『こどもこなた』でも「カメラを持って、出かけてみたら。」という企画にて登場しています。
そんな「うみのこ」の日常を取材しました。