『伝える』〜みんなが心地よい保育って?〜
子どもたちとのやり取りって楽しいですよね。
先日もこんなやり取りがありました。
ある2歳児の男の子。
最近、保育者用の台の上の物に手が届くようになり、その台の上の物に興味津々です。
ある日、携帯電話を手に取ってボタンを押して遊びだしました。
もちろん私は、「これはさわらないよ」と注意をしました。
すると、「どうしてさわらないの?」とその男の子。
「これは大人が使う大事なものだからね。」と言うと、
男の子:「おとなだけ?〇〇(男性保育者名)とか?」
私:「そうだよ。大人って誰かな?」
男の子:「〇〇(男性保育者名)」
私:「○ちゃん(この男の子の名前)は?」
男の子:「おとなじゃな〜い」
私:「じゃあ、なおなお(私)は?」
男の子:「なおなおはおとなじゃないよ〜(笑)」
私:「え〜?そうなの〜?じゃあ〇〇(女性保育者名)は?」
男の子:「ちがうよ〜〜(笑)」
この子にとって、「大人」=「男」なんですね。
似ている音なので、混ざっているのでしょう。
でも、自分も「大人」ではないということも分かっています。
私はこれをそのままにしています。
そのうち分かる時が来るでしょう。
このような場面の時、みなさんならどのように対応しますか?
「だめよ!さわらないで。」とビシッという人もいるでしょう。
こうした対応も時には必要ですね。
どうしても子どもに触って欲しくないものや危険が伴う時は、私もビシッと伝えます。
ここでポイントとなるのは、「伝える」ということです。
先ほどの例でも分かる通り、私は伝えただけです。
これはこれこれの理由があって、子どもが触っちゃいけないものなんだよ…
と、やってはいけない事を「教えてはいない」のです。
「良いか悪いか」ではなくて、あくまでも、その時にやって欲しくない事をシンプルに伝えるだけです。
「それはしないよ」「そっちはいかないよ」「さわらないよ」
そうすると、体験的に「あぁこれはしてはいけないことなんだな」という事を学んで行きます。
そして、子どもの中で「なんでだろう?」が出てきます。
何度も注意されている事だと、理由は分かっている時もあります。
子どもの中から「なんでだろう?」が出てきた時は、その理由を伝えるチャンスになりますね。
そこでは、できるだけシンプルに事実だけを伝えます。
くどくどとしたお説教は必要ないでしょう。
そして、子ども自身注意された理由を知っている時は、改めて言う必要もないのです。
事実を伝えたことに対し子どもが自分なりの判断で行動してみるようになると、その判断を間違える時もあります。
その時は大人が「それはしないよ」ときちんとシンプルに「伝える」ことが大切になってきます。
そして、時には間違える事もあるということを大人は知っていて、受け止めてあげる…そんな大きな存在であるといいですね。
子どもは何も知らない無知な存在で、知らないことを「教える」必要がある訳ではありません。
子どもはそのままで完璧です。
だから何かあった時は「伝える」だけで良いのです。
そして後は子ども自身に委ねつつ、大人が導いていく…
関わり方一つで子どもへの伝わり方も違います。
一つの方法として試してみてはいかがでしょうか。
先日もこんなやり取りがありました。
ある2歳児の男の子。
最近、保育者用の台の上の物に手が届くようになり、その台の上の物に興味津々です。
ある日、携帯電話を手に取ってボタンを押して遊びだしました。
もちろん私は、「これはさわらないよ」と注意をしました。
すると、「どうしてさわらないの?」とその男の子。
「これは大人が使う大事なものだからね。」と言うと、
男の子:「おとなだけ?〇〇(男性保育者名)とか?」
私:「そうだよ。大人って誰かな?」
男の子:「〇〇(男性保育者名)」
私:「○ちゃん(この男の子の名前)は?」
男の子:「おとなじゃな〜い」
私:「じゃあ、なおなお(私)は?」
男の子:「なおなおはおとなじゃないよ〜(笑)」
私:「え〜?そうなの〜?じゃあ〇〇(女性保育者名)は?」
男の子:「ちがうよ〜〜(笑)」
この子にとって、「大人」=「男」なんですね。
似ている音なので、混ざっているのでしょう。
でも、自分も「大人」ではないということも分かっています。
私はこれをそのままにしています。
そのうち分かる時が来るでしょう。
このような場面の時、みなさんならどのように対応しますか?
「だめよ!さわらないで。」とビシッという人もいるでしょう。
こうした対応も時には必要ですね。
どうしても子どもに触って欲しくないものや危険が伴う時は、私もビシッと伝えます。
ここでポイントとなるのは、「伝える」ということです。
先ほどの例でも分かる通り、私は伝えただけです。
これはこれこれの理由があって、子どもが触っちゃいけないものなんだよ…
と、やってはいけない事を「教えてはいない」のです。
「良いか悪いか」ではなくて、あくまでも、その時にやって欲しくない事をシンプルに伝えるだけです。
「それはしないよ」「そっちはいかないよ」「さわらないよ」
そうすると、体験的に「あぁこれはしてはいけないことなんだな」という事を学んで行きます。
そして、子どもの中で「なんでだろう?」が出てきます。
何度も注意されている事だと、理由は分かっている時もあります。
子どもの中から「なんでだろう?」が出てきた時は、その理由を伝えるチャンスになりますね。
そこでは、できるだけシンプルに事実だけを伝えます。
くどくどとしたお説教は必要ないでしょう。
そして、子ども自身注意された理由を知っている時は、改めて言う必要もないのです。
事実を伝えたことに対し子どもが自分なりの判断で行動してみるようになると、その判断を間違える時もあります。
その時は大人が「それはしないよ」ときちんとシンプルに「伝える」ことが大切になってきます。
そして、時には間違える事もあるということを大人は知っていて、受け止めてあげる…そんな大きな存在であるといいですね。
子どもは何も知らない無知な存在で、知らないことを「教える」必要がある訳ではありません。
子どもはそのままで完璧です。
だから何かあった時は「伝える」だけで良いのです。
そして後は子ども自身に委ねつつ、大人が導いていく…
関わり方一つで子どもへの伝わり方も違います。
一つの方法として試してみてはいかがでしょうか。