保育と遊びのプラットフォーム[ほいくる]

「正しさの中だけでは育たない」生きる力の源泉、見立てる力。〜“遊ぶ”を、学ぶじかん。<HoiClueオンライン講座イベントレポート>〜

掲載日:2024/09/03
「正しさの中だけでは育たない」生きる力の源泉、見立てる力。〜“遊ぶ”を、学ぶじかん。<HoiClueオンライン講座イベントレポート>〜

保育と“遊び”は切っても切れないものですが、そもそも、どうして子どもにとって遊びは大事なのでしょう?子どもの育ちにどう影響するんだろう。

そんなことを考え、学ぶ時間をつくれないかと、プレイワークトレーナー/プレイワーカーの天野秀昭さんを講師にお招きして、HoiClueはじめてのオンライン講座『“遊ぶ”を、学ぶじかん』を開催しました。

今回はイベントレポートとして、天野さんのお話のほんの一部をお届けします!


天野秀昭(あまの ひであき)
プレイワークトレーナー/プレイワーカー

特定非営利活動(NPO)法人『園庭・園外での野育を推進する会』理事長/一般社団法人『日本プレイワーク協会』理事/認定特定非営利活動(NPO)法人『プレーパークせたがや』理事/認定特定非営利活動(NPO)法人『フリースペースたまりば』理事/一般社団法人『気仙沼あそびーばーの会』理事/特定非営利活動(NPO)法人『日本冒険遊び場づくり協会』評議員/公益社団法人『こども環境学会』評議員/公益財団法人『日本ユニセフ協会』こどもにやさしいまちづくり事業(CFCI)委員/東京学芸大学 非常勤講師


1958年、東京都葛飾区生まれ。美術短大時代に造形教育のサークルで子どもと本格的に出会う。その後、自閉症児との出会いをきっかけに「遊びの世界」の奥深さを実感する。1980年、開設されたばかりの日本初の民官協働による冒険遊び場『羽根木プレーパーク』で、一年間長期派遣ボランティアとして活動。翌年、住民運動により国内初の職業プレーリーダーとなり、その後、地域住民と共に世田谷・駒沢・烏山の3プレーパークの開設に携わる。1998年には国内初の18歳までの子ども専用電話、『せたがやチャイルドライン』の開設・運営にあたった。子どもが遊ぶことの価値を社会的に広め、普及し、実践するための2つのNPO法人『日本冒険遊び場づくり協会』(元冒険遊び場情報室・99年)、『プレーパークせたがや』(05年)を立ち上げ、2014年には幼稚園、保育園の園庭を魅力的な育ちの場(遊び場)にとの願いで、新たなNPO法人『園庭・園外での野育を推進する会』を設立した。16年には、遊びに関わる大人の育成、資格発行を目指し、一般社団法人『日本プレイワーク協会』を設立、理事を務めている。09年4月から16年3月までは、大正大学に新設されたこどもコースの特命教授として、2023年9月からは学芸大学で非常勤講師として教鞭をとっている。

<著書>
『「遊び」の本質』(2022年)/ジャパンマシニスト社
『よみがえる輝く子どもの笑顔』(2012年)/すばる舎
『子どもは大人の育ての親』(2002年)/ゆじょんと
『遊びが社会を変える』(2008年)/日本冒険遊び場づくり協会編



正しさで失われる「子どもの世界」

プレーパークの大きな特徴の一つに、「全てが手作り」ということがあげられるかと思います。理由は色々あるのだけれど、一つは、完成品(既製品)は決められた用途のために作られているので、正しい使い方があって、その“正しさ”が危ないなと考えるからです。

これは実はベンチなんですけど、子どもたちはひっくり返して乗っかって、電車ごっこをしています。もしこれを買ってきたベンチでやったら、大人たちは怒るでしょう。「これはベンチなんだから、そんな使い方しちゃいけません。傷だらけになるでしょ!」って。そんなふうにして、大人たちは正しい使い方をちゃんと教えなくちゃいけないということをひたすら信じているわけだけれど、それは子どもの世界を狭めることに繋がります。

どういうことかというと、子どもは見立てるということをよくしますよね。これは保育の中でも大事にされていることだと思うんだけれども、見立てるということはイメージの世界です。このイメージの世界っていうのは、如何様(いかよう)なカタチにでも広がり続けていくことができるということがとっても大事なのに、正しい使い方じゃないといけないということは、その見立てを否定することになるんですね。

創造(クリエーション)の土台になっているのは、想像(イメージ)です。つまり、見立てることができる力というのは、あらゆるものを生み出していく時の源泉になるわけです。だからプレーパークは、正しい使い方を子どもに教えることよりも、子どもは好きなように使っていいっていうものを置くことを大事に考えているわけですね。

これも手作りで、大きな斜面です。一般的には「滑り台」という言い方をすると思うんだけれど、滑り台という言葉は機能で、滑るという状態を表すものだから、子どもが登ると大人は怒ります。「それは滑るもので、登るもんじゃないでしょ」とか言ってね。でも子どもは、登り台って名前にした方がいいんじゃない?って思うくらい、斜面を駆け登るのも好きなんです。まぁだからといって「登り台」という名前にしたら、今度は滑ったら大人は怒るんだろうね。そういうこともあって、機能を表す言葉を使うことを僕は極力避けてます。これも「大斜面」という呼び名です。単純に斜面なんです、これは。登るのも降りるのもご自由に、なんだよね。

こういうふうに子どもたちは、いろんな遊び方を発明していきます。そして、そういう発明の中に、子ども同士の世界というのが広がっていく。子どもの世界というのは、子ども同士がぶつかり合ったり、トラブルを起こしたり、いろんなことをやりながら、でも、もっと楽しく遊ぶためにどうしたらいいだろうと自分たちで知恵を出し合って、そしてルールを変えていく世界です。

つまり、正しさだけを大事にしたり、大人が決めたルールの中に子どもを従わせるというのは、子どもの世界が大変貧しい状態である、とも言えます。実際、子どもが「〇〇がルール守らないんだよ」とか言いつけにくることってあるでしょう。それは、大人の世界のことだから大人に言えばなんとかなると思っているんだよね。



見立てる力は、生きる力

その関係性を豊かにする上で、不可欠なのが道具です。紙を破るというだけだったら、指先でもできるけれど、紙を直線で切るとなったら指先ではダメで、ハサミが必要になりますし、ハサミがあっても、ダンボールやボール紙を切るのは大変だから、カッターナイフが必要になります。つまり、道具が使いこなせるということは、その分コミュニケーションできる素材の量が増えていく。経験の幅と奥行きが格段に広がっていくわけです。

プレーパークでは、のこぎり、金づち、釘抜きはいつでも子どもが自由に使えるように出しっぱなしです。ここで育っている子どもたちは、大体1歳ぐらいで金づちを使い出してて、2歳ぐらいでノコギリとか包丁を使い出します。だから、小学校に入る前には一通りナイフも、鉈も使っています。よく「まだ小さいんだから危ないよ」と言う言葉を聞いたりするけれど、子どもには充分に扱う力があるけれど、大人が触らせてこなかっただけなんですよね。

この写真は、釘抜きで釘を打っているところです。なぜ釘抜きで打っているのかというと、金づちという釘を打つために特化した道具があるけれど、他の子が使っていてもうなかったんだよね。その時に使い終わるのを待つというのも選択肢の1つなんだけれど、この子は釘抜きが空いていることに気がついて釘抜きを使って打ち出した、ということです。この行為自体が知恵だということがよくわかる場面だなと思います。

そして、道具を使っている子たちは、こういう知恵がどんどん身についていきます。さきほど話した「見立てる力」も、ここで大いに働いてるわけです。だって、正しい使い方ばかりを教えられていると、金づちが空くのを待つしかないわけですから。

こういう力は、平和な時というのかな、例えば何かがなくなった時にすぐそれを買いに行ける時には、何の役に立っているのかよくわからないかもしれないけれど、地球規模で大きな問題になっている気候変動やさまざまな災害で、これからの暮らしがどうなっていくかわからないこれからの時代に、とても重要な力だと考えています。というのも、一度でも大きな災害が起きれば、暮らしの中から必要なものがすぐには手に入らなくなることもあるわけです。その時に、正しさしか学んでこなかった人は途方に暮れるしかないんですよ。これをこうしたいんだけれども、〇〇がないからできないって。

だけど、こういう知恵や見立てる力を身につけている人たちは途方に暮れる暇がないです。必要なものがないんだったら他のものでどう代用できるのか、あるいはそのやり方しかないのか、別のやり方はないのかって考え出す。そういうふうに瞬時に頭が切り替わる、これは生きる力の底力なわけです。これは、正しさの中だけでは育たないんですよ。


(執筆:三輪ひかり)



『“遊ぶ”を、学ぶじかん。』アーカイブ配信のお知らせ

Kids Color ONLINE STOREにて、アーカイブ配信動画を販売することになりました!
当日イベントに参加できなかった!という方はぜひチェックしてみてくださいね。
『“遊ぶ”を、学ぶじかん。』アーカイブ配信に関する詳細は、こちらのページをご覧ください。

イベント参加者さんのご感想(一部)

「子どもにとってあそびとは?」を自分なりに考える大きなきっかけになりました。子どもたちが心を動かす経験がたくさんできる環境を整えられる保育者になりたいと切に思いました。

深く頷くの連続でした。自分の思いのまま、興味のまま、心ゆくまで探求して子ども時代を過ごせるってなんて幸せなんだろうなと思いました。

遊びと遊ぶの違いにハッとさせられました。子どもが遊んでるように見えても、大人のルールの中で遊ばせていたな、と反省です。これからは子どもの世界で遊ばせてあげたいと思います。

命の4本柱…「遊ぶ」がないと「こころが死ぬ」、最初からこころが揺さぶられました。

遊ぶとは、こんなことをしてこんなことをすればよい。みたいな話しで終わってしまうのかな。とあまり期待していませんでしたが私の固定観念を覆る話しで、自分の保育を見直さなければいけないと切実に思い知らされました。

“子どもにとっての遊び”について改めて考え直そうと本気で思いました。大人の世界で子どもの育ちが阻まれてしまわないよう日々の保育に取り組んで行きたいと思います。

『“遊ぶ”を、学ぶじかん。』アーカイブ配信はこちら