「ふざける子」〜造形あそびとこどもたち Vol.8〜
今回、皆さんと一緒に考えたいのは「ふざける子」についてです。
2023年度からスタートした、連載コラム「造形あそびとこどもたち」。
造形の時間を通して出会った子どもたちの姿から、その奥にある子どもの世界を覗いていきます。
今回出会ったのは…
ふざける子
造形や制作の活動の中で「自分の好きなものを作る」というテーマになると、「じゃあ、うんこ作ろう!」「おしっこ作ろう!」とか「ふざける子」っていますよね。
お笑いでいうところの、「ボケる子」とでも言うのでしょうか。
そして、その子のボケを周りの子たちが笑うと、ウケ狙いやお調子者として受け入れられるので、そうした言動は、そのままその子の「キャラ」として受け入れられやすくなったりします。
ですが、その子は、ほんとうにふざけたくて、ふざけることが好きでやっているのでしょうか。
今日はこの点について考えてみたいと思います。
今から10年以上前。僕には、鮮明に残っている失敗の経験があります。
それは、ある保育園の年長クラスで造形遊びをしていたときのこと。
1人の男の子が作ったものを僕のところに見せにきました。
その時、僕は何の気無しに「お~!面白いねぇ!」と少し大きな声でリアクションをしてしまいました。
その時です。
僕たちの場所から、少し離れたところにいた、別の子の作っている手がとまりました。(あとでわかるのですが、僕がほめた子とその子は仲良しで、隣同士だったんですね。)
先ほど僕がほめた子が自分の隣に帰ってくると、その子の作ったものと自分のものを見比べて、それまで作っていた自分の画用紙をクシャッと丸めました。そして、新たに画用紙をもってきては、すぐにまた手を動かし始めました。しばらくして完成し、彼が自分の作ったものを周りのみんなに見せ始めました。そのとき何を作ったのか。
「とうちゃんの、くさいくつした つくったぞ~。ほら~。」
おどけて靴下を見せるその子に、周りの皆は「ギャハハ」と大笑いしていました。そのあとも終始、その子がふざけてみんなが笑うというやりとりをして活動の時間は終わってしまいました。
彼がふざけたきっかけ。それは、僕の別の子に対するリアクションでした。きっと本当は別に作りたかったものがあったのだと思います。
だけど彼からみれば、僕は造形の先生です。その先生のリアクションした内容と自分の作っている内容が違った。そこで、自分の作りたいものをやめて、「ふざける」という行動に変えたのでしょう。
もし、僕が彼の変化にその場で気づけていたらフォローをしたかったのですが、実は、このことに気づいたのは、活動後のことでした。なぜ活動後に、こんなに鮮明に状況がわかったかと言うと、たまたま記録用で撮影していた映像に彼のこの一連の姿が残っていたからです。
僕はこの失敗で、自分の何気ないやりとりや言葉がけ、声の大きさがそれを伝える子ども、本人以外の子どもたちにも影響があるかもしれないことを痛感しました。
また、ふざける・ウケ狙いといった行動は、一見「人を笑わせることが好き」「ひょうきんで面白い子」などと肯定されやすいものですが、もしかしたら自信がないことの表れかもしれないこと。その視点にも気づかせてもらいました。
それからは、特に自分の振る舞いや言葉、声の大きさを意識するようになりました。ウケ狙いが多い子に対して「心からみんなを笑わせることが好きでやっているのかな?」「それとも本当は自信がないことの表れなのかな」と相反する視点で、子どもたちの姿を捉えることも意識するようになりました。
「自信がないからふざけているのかもしれない」という視点でみると、「もう、なにしてるの。」「ふざけないでよ。」と注意したくなるようなネガティブな「ふざける」行動に対しても、言葉がけは優しく穏やかになります。
子どもたちの行動は同じでも、こちらの見方によって、その意味も、私たちの声かけも大きく変わってくるのですね。
子どもたちは自分の想いを全て言葉にして、言葉通りに表現するわけでは無いから、私たちが「こうかもしれない」「ああかもしれない」と考える事は、どれも想像に過ぎません。そして、その答えを見つけることはできません。ですが、だからこそ、一人一人のこどもの姿から、その想いをたくさん想像して、寄り添っていけたらいいですよね。
明日からも子どもたちと楽しい時間になりますように。