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コドモコトノハ「なかまになったよな」

青山誠
 保育をするということ、子どもの隣にいるということは、子どもの言葉に耳を澄ませることです。
子どもの言葉といっても、いわゆる口に出された言葉に限らず、子どもたちの表情や、仕草や、持っているものなど、いろんなところに子どもの心の声があふれています。

 もちろん、わからないことも多く、そのたびに立ち止まって、またその子に耳を澄まし続けます。保育の面白さは、この、わからなさの中にあると、私は思います。
わからないからこそ、人は人を思いやることができるのではないでしょうか。

 このエッセーでは子どもたちの言葉を、一つ一つ拾ってきました。
柔らかく、つややかな葉を拾い集めるようにして。
思わず笑いがこぼれてしまうものもあれば、じっと考えさせられるものもありました。
私自身の生き方が問われるような、どきっとするものもありました。
子どもの言葉の記録はそのまま、私自身が子どもの隣にいて感じたことの記録でもあります。
今回でこのエッセーはおしまいですので、最後に大人から子どもへ贈る言葉を綴ろうと思います。

私が勤めるりんごの木では、卒業してく子どもたち一人ひとりに歌をプレゼントします。
世界に一人しかいないその子に贈る、その子だけの歌です。
保育者が膝を突き合わせて、その子について語りあいます。
歌詞を作り、曲をつけます。音頭もあれば、ロックも、カントリーも、沖縄民謡もあります。

どの子の歌にも語り尽くせないほどの思い入れがありますが、ここでは、あおいくんに贈った歌の最後の一節を紹介したいと思います。

 4歳でりんごに来たばかりのころ、「りんごなんて、きらいだ!」と部屋を飛び出したこと。
友達と大げんかしながら仲間になっていったこと。
遊びが見つからない、としょげていたこともあったっけ。
リレーは絶対勝つぞ!とみんなを鼓舞していたこと。
どの場面を振り返っても、あおいくんと、かけがえのない日々を共に過ごしてきたんだなぁと感じます。

歌を作りながら、あおいくんに何か言葉を贈りたいと思いました。
たのしかったよ、ありがとう、またあおう…それらの言葉を消しゴムでごしごし消して、私は最後の歌詞を書きました。

なぁ、あおい
おれたち なかまになったよな

 子どもは「今」を生きている。
子どもの隣にいて、一人ひとりの「今」をともに生きられたこと、それが保育者である私とっての宝物です。

コドモコトノハ「なかまになったよな」




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