保育と遊びのプラットフォーム[ほいくる]

「自然の中で、ありのままに」ーもあな☆ちいさな木(神奈川県 横浜市)

ほいくる編集部
掲載日:2012/08/01

自分たちだけで作ったブランコで…(一緒にお散歩に行ったもあな保育園の幼児さん)
自分たちだけで作ったブランコで…(一緒にお散歩に行ったもあな保育園の幼児さん)



「もあな☆ちいさな木」は、自然体験を主にしている「森のようちえん」の保育方針を取り入れた保育室。

実際に自然の中で保育をするというだけではなく、子どもを「認める」「見守る」そして何か危険があった時には子どものフィールド内で方向転換(フォロー)するというように、保育自体が子どもにとって自然なものであるような環境で保育をしていらっしゃいました。

さて、そんな保育園の園長をされている野村先生に、後輩保育士としてズバリ!

聞いてきたこととは…

先生が保育士になろうと思ったきっかけは何ですか?

小学生の時からようちえんの先生が好きで、本気で考えたのは中3の時。ちなみに、野村先生が通っていたようちえんでは、週に1回、あめ玉1つと紙芝居を持って裏山に行く、という日があったそう。そんな活動が大好きだったんだとか。

驚くべき経歴

学校を卒業後、保育士として保育園で数年活動されていた野村先生。しかしその中で、「やらせる保育」に窮屈さを感じ始めていた頃にこんな出来事が。

限られた場所の中遊具を取り合って遊ぶ子どもたちを、何もない場所に連れて行った時のこと。「何もないじゃん!」と言っていた子どもたちが次第に自分たちで遊びを見つけて遊び始め、いつの間にかそこが豊かな遊び場へと変化し、楽しんでいる…
その姿を見て生まれた、「こんな保育で子どもが育ったら…」という思いが、後々の今の活動に繋がっていくことに…

とは言え、「森のようちえんスタイル」に辿りつくまでにはまだまだ長ーい道のりがあったのです。

保育園での数年の勤務を経た後、「世界の子どもたちに会ってみたい」とカナダの保育園へ行くことになった野村先生。
そこでは、一人ひとりの子どもの発言をみんなが聞くのが当たり前な自然な雰囲気から、大人の働きかけ方1つでこんなにも違うのだということを学ばれたそうです。
 
そして、日本に戻りインターナショナルスクールでお仕事をされた後も、「やっぱり自然!」という思いから…

なんと、今度は北海道へ行き自然ガイドに。
そこで初めて、「ポイ捨て」問題などを通し「環境」について考え、「子どもに伝えたい」という想いを胸に神奈川へ戻ってきたのだそうです。

そこから、「森のようちえん」を知り、自然学校に通い、職員として3年務め、子どものキャンプ指導や障がい児プログラム、青少年施設などを通して活動し、「森のようちえんではないところで同じようなことをする」という想いから、現在「Little Tree(リトルツリー)」という活動を通して「もあな☆ちいさな木」保育室の園長先生をしていらっしゃいます。

(Little TreeのHPはこちら☆  http://m-littletree.com

辛かった時期ってありますか?

保育士1年目。
「見た目には素敵な園で給料も良かったけれど、TOPの人を中心に人間関係が厳しく、上の先生の目を気にしながらの保育だった。」とのこと…。

保育をしていく上で、そういう「辛い時」におすすめの方法や考え方はありますか?

ここで、同じ保育士としてのヒントを2ついただきました!

1つめ☆
レイチェル・カーソンの、「センス・オブ・ワンダー」という本。
読むだけでも感じるものがあるはず、と野村先生。
映画も上映されていたようです。
http://www.uplink.co.jp/kansei/aboutSOW.php

2つめ☆
ネイチャーゲームを一度自分でやってみること
ネイチャーゲームとは、いろいろなゲームを通して、自然の不思議や仕組みを学び、自然と自分が一体であることに気づくことを目的としたゲームで、自然に関する特別な知識がなくても、豊かな自然の持つさまざまな表情を楽しむことができます(簡単にできる遊び方や、ネイチャーゲームについてのその他の色々なことが、こちらでとてもわかりやすく紹介されていたので参考までに)。
http://www.naturegame.or.jp/index.html

日々の保育で行き詰まった時…
自分も楽しむことが一番!と野村先生。
「もっと自然でいいんだよ。大人もありのまま楽しむことが大切だよ。」と。

もしかしたら、「森のようちえんだからできるけど…」と思う方もいるかもしれません。
「森がないからできない」「危ないからできない」でもそんなのは実は関係なくて、どこでも、どんなスタイルでも、子どもに関わる保育士次第で保育はいくらでも広がるのです。
とお話してくださいました。